重要な意思決定
松下幸之助氏が経営職を退任
背景
16年間の「半引退」と創業者依存の構造
松下幸之助は1961年に会長へ退いたが、その後も重要局面では影響力を行使し続けた。1964年の熱海会議では営業本部長代行として現場復帰し、販売制度の抜本改革を主導している。形式上は退いていても実質的な最高意思決定者であり続けた16年間は、組織の自律性を高める余地が限られる構造を伴っていた。
1977年2月、松下電器は山下俊彦氏の社長就任を発表し、松下幸之助は経営の第一線から正式に退いた。戦後の高度成長を牽引してきた創業家主導の経営体制は、ここで制度上の区切りを迎えた。もっとも、松下は名誉会長として1989年4月の逝去まで理念の象徴的存在であり続け、影響力が完全に消えたわけではなかった。
決断
サラリーマン社長体制への移行と「創業者なき経営」の開始
後任の山下体制は創業者の理念を継承しつつ、組織的な合議と事業部制を基軸とする経営運営へと軸足を移した。以後、谷井昭雄、森下洋一、中村邦夫と4代にわたるサラリーマン社長が経営を担い、経営は創業家から完全に分離された専門経営者体制へと移行していく。
この転換は企業規模の拡大と事業の多角化に対応するための統治構造の変化であった。しかし同時に、創業者の理念をどの程度まで経営判断の指針とするかという問いを各社長に突きつけることにもなった。社名変更や持株会社化といった構造改革が実行に移されたのは、創業者の影が薄まった2000年代以降のことであった。