重要な意思決定
2006

B787向け炭素繊維を納入

背景

40年の赤字を経て形成されたボーイングとの継続的な取引関係

炭素繊維は1960年代から研究開発が進められてきたが、事業としての収益化は長く実現しなかった。製造工程の複雑さ、航空機用途で求められる厳格な品質基準、市場規模の限定性から、多くの化学メーカーが開発途中で撤退し、量産技術を維持し続けた企業は限られていた。東レは約40年にわたり赤字を許容しながら炭素繊維の研究開発と供給体制の整備を継続し、B767・B777と機種をまたいだ供給実績を積み上げてきた。

B767では胴体構造の一部、B777では尾翼を含む主要構造部材に炭素繊維が採用され、使用範囲は段階的に拡大してきた。各機種での供給を通じて品質管理体制、認証対応、設計段階からのすり合わせの経験が蓄積されており、東レとボーイングの間には機種をまたぐ継続的な取引関係が形成されていた。

2000年代に入り、ボーイングは次期旅客機の開発において、機体構造への複合材料の全面採用を検討していた。従来機では構造材の一部にとどまっていた炭素繊維を主翼・胴体を含む機体全体に採用することで、燃費を約20%改善する計画であった。材料供給企業には従来以上の供給規模と長期的な安定供給が求められ、過去の実績が選定に直結する局面となった。

決断

16年間1兆円規模の長期独占供給契約の締結

2006年4月、東レの炭素繊維がボーイング787の主要構造材として全面採用されることが発表された。787では胴体や主翼など機体の広範な部位に複合材料が使用され、機体重量に占める複合材比率は約50%に達した。従来機と比較して炭素繊維の使用量は大幅に増加し、材料供給の規模は質的に異なる水準に達した。

ボーイングは787向けの材料調達において、複数社による競争調達ではなく、東レとの長期独占供給契約を選択した。契約期間は16年間、受注総額は約1兆円規模とされた。炭素繊維は製造工程が長く、トレーサビリティや品質再現性が厳格に求められるため、長期的な供給実績を持つ企業への集中調達が合理的と判断された。

この契約は、東レにとって炭素繊維事業の収益構造を根本的に変えるものであった。スポーツ用途や限定的な航空機採用の段階では、炭素繊維は高付加価値だが小規模な事業にとどまっていた。787向け全面採用により、数量・金額の両面で事業規模が拡大し、量産旅客機向けの継続的な供給事業として成立する条件が整った。

結果

量産旅客機向け供給の定着と顧客集中リスクの顕在化

787向け供給の開始により、炭素繊維は商業旅客機の主要構造材として定着した。機体1機あたりの使用量は従来機を大きく上回り、機体の生産レートに連動した継続的な供給が前提となった。東レは米国現地法人を通じた生産体制を整備し、ボーイングの製造拠点に近接した供給網を構築した。

航空機用途での地位が確立したことで、炭素繊維事業は東レの収益構造において重要な位置を占めるようになった。設計段階から材料が組み込まれる構造は、一度採用されれば機種の生産期間を通じた継続取引が見込める一方、主要顧客の開発・生産計画に事業の浮沈が直結するリスクも伴った。

実際に、787の生産遅延やその後のボーイング737MAXの運航停止など、顧客側の事情によって炭素繊維の需要は変動した。2020年にはボーイング向け販売の低迷を受けて米国子会社で25%の人員削減を実施するに至った。40年の赤字を経て確立した航空機向け事業は、特定顧客への依存度の高さという構造的な課題を併せ持っており、用途分散の必要性が経営課題として浮上していった。