重要な意思決定
19504月

1600名の人員整理と工販分離で再建

背景

ドッジ不況で販売が停滞し月賦回収の破綻が資金繰りを圧迫

1949年、GHQのドッジ・ラインによる超緊縮財政で自動車需要が急減した。自由販売への移行で市場が買い手優位になると月賦販売が急増し、回収条件も悪化した。販売代金の回収が滞り製造資金を食い潰す構造が危機の本質であり、金融支援が得られなければ倒産しかねない局面に追い込まれた。住友銀行が融資を拒んだ経験は、外部借入に依存しない財務体質を志向する動機として社内に深く根づいた。

決断

希望退職1600名と製販分離で製造・販売の資金を峻別

会社側は人件費の圧縮を避けられないと判断し、1600名規模の希望退職募集を柱とする再建策を打ち出した。労働争議に発展したが、「金融支援がなければ立ち行かない」という現実のもとで削減実施を決断した。資金繰り悪化の根本要因が販売代金の回収停滞にあったことから、工販分離が進められ、1950年4月に販売部門をトヨタ自動車販売として分離した。製造資金と販売資金の混在を制度的に断ち切る設計であった。創業者の豊田喜一郎は人員整理の責任を負い社長を退任し、後任に石田退三が就いた。

結果

朝鮮特需が合理化と制度改革の成果を一気に顕在化させた

1950年に勃発した朝鮮戦争で米軍向けトラックの大量受注が入り、工場稼働率が急上昇して資金繰りが大きく改善した。合理化と制度改革が先にあり、外部環境の追い風がそれを一気に成果へつなげた構図であった。1600名の人員整理という苦い経験は、できるだけ人を増やさずに工場の稼働を高めるという制約条件をトヨタに植え付け、後のかんばん方式確立の動機となった。工販分離体制は1982年の再合併まで32年間維持され、トヨタの成長期を支える制度的基盤となった。