重要な意思決定
かんばん方式を全社導入
背景
1600名の人員整理が増員に頼らず稼働を高める制約条件を植え付けた
1950年の1600名の人員整理という苦い経験は、できるだけ人を増やさずに工場の稼働を高めるという制約条件をトヨタに植え付けた。豊田自動織機から転じた大野耐一は、工場に残る属人的な職人芸を排し、誰でも均質に作業できる標準化を現場に徹底した。1951年に創意工夫委員会を発足させて改善提案を組織的に吸い上げる仕組みを整え、必要なものを必要なときに必要なだけ供給するジャストインタイムの思想を段階的に現場に浸透させていった。
決断
ジャストインタイムの思想を全工場に適用しかんばん方式を全社導入
大野耐一は「ブラックボックスな職人芸」を追放し、生産技術を均質化していくことに時間を費やした。個々の作業の標準化から始まり、工程間の部品供給を必要量に限定するかんばん方式を段階的に拡大し、1963年に全社導入を達成した。かんばんという情報カードを使って後工程が前工程に必要数だけを発注する仕組みは、在庫を極限まで削減し、ムダを排除する生産管理の基盤となった。大野はトヨタにおける生産技術の実質的なトップとして振る舞い、社風形成に大きな影響をもたらした。
結果
オイルショック後に270億円のコストダウンを達成し改善文化が定着
1975年のオイルショック後には1.5年間で270億円のコストダウンを達成し、同年の創意工夫の提案件数は38万件に達した。現場主導の改善が組織文化として定着し、トヨタ生産方式は日本の製造業のみならず世界の生産管理の標準を書き換えた。人員整理の記憶が増員なき増産の追求を促し、それがかんばん方式として結実した因果構造は、痛みを伴う経験が制約条件となり生産思想を形づくる構図を示している。