重要な意思決定
カローラ専用の高岡工場を建設
背景
高度成長で乗用車需要が急拡大し日産との販売競争が激化
1960年代、日本経済の高度成長に伴い乗用車需要は急拡大し、1965年の年間59万台から1970年には237万台に達した。所得上昇と個人消費の拡大が重なり、自動車は富裕層の財から勤労世帯が手にする実用品へと変わりつつあった。トヨタはパブリカとコロナの中間に位置する1100cc級の大衆車カローラを開発していたが、日産もサニー(1000cc)で対抗しており、乗用車市場でのシェア争いは激化していた。
決断
月産2万台を見据えた1工場1車種の集中戦略でカローラ専用工場を建設
1966年、トヨタはカローラの専用工場として高岡工場を稼働させた。月産2万台を見据えた1工場1車種の集中戦略は、需要が外れれば過剰設備となるリスクを伴ったが、生産工程を車種に最適化することで徹底的なコストダウンを可能にした。車体工程では溶接にループ・ライン方式を採用し、塗装工程に最新の自動塗装装置、生産管理に電子計算機を用いたオンライン・コントロール・システムを導入して品質と生産効率を両立させた。新開発のK型エンジンは「プラス100ccの余裕」を訴求し、日産サニーの1000ccを排気量で上回る商品設計とした。
結果
設備投資の規模と速度の競争でトヨタが日産に対する優位を確立
カローラの販売は急拡大し、供給が追いつかない状況が生まれると翌1967年に第2組立工場の建設に踏み切った。日産との乗用車シェア争いは販売力の勝負から設備投資の規模と速度の競争へ質を変え、需要に先行して量産能力を確保したトヨタが優位を築いた。1967年には輸出拠点として名古屋トヨタ埠頭を新設し、1968年には輸出専用運搬船「第一とよた丸」を就航させて北米向けの物流体制も整備した。1975年には米国の輸入自動車販売シェアで首位を獲得し、国内最大の自動車メーカーとしての地位を固めた。