- 創業
- 1881年5月、笠井順八氏が旧士族らと山口県小野田に日本初の民営セメント会社を興した。初代社長は20年務め、手形事故の責任を取って私財を投げ出し辞めている。息子の笠井真三氏が1939年まで継いだところで創業家は退き、1998年に合流した日本セメントは浅野総一郎氏の系譜である。
- 登用
- 太平洋セメントの初代社長は日本セメント出身の木村道夫氏だが、3年半で退いた後は鮫島章男氏から田浦良文氏まで5代続けて小野田セメント入社が占めている。旧日本セメント出身の北林勇一氏と朝倉秀明氏は代表取締役副社長どまりで、たすき掛けは初代の1回で終わったように見える。
- 任期
- 戦後最長は抑留から帰国して就いた安藤豊禄氏の18年、次ぐのが今村一輔氏の11年で、どちらも合併前である。太平洋セメント発足後は6年を超えた代がなく、直近3代も福田修二氏が6年、不死原正文氏が6年、田浦良文氏は2024年4月から3年目に入った。
- 含意
- 機関設計は監査役会設置会社のままで、2021年3月に置いた指名報酬諮問委員会も答申までしか担わず、候補者を最初に出すのは社長である。社外取締役は2026年6月時点で10名中4名。FY22に332億円の純損失を出しても、交代は在任6年を満了した2024年4月1日で、時期が早まった形跡はない。
1948〜1964年・17年/生え抜き
1965〜1972年・8年/生え抜き
1973〜1974年・2年/生え抜き
1975〜1983年・9年/生え抜き
1984〜1994年・11年/生え抜き
1995〜1997年・3年/生え抜き
1998〜2000年・3年/外部出身
2001〜2006年・6年/生え抜き
2007〜2010年・4年/生え抜き
2011〜2016年・6年/生え抜き
2017〜2022年・6年/生え抜き
田浦良文現任
2023年〜現在・4年/生え抜き
田浦良文
たうら よしふみ
生え抜き(1983年小野田セメント入社)。1996年にアジア統括部バンコク駐在員事務所長を務めるなど海外畑を歩み、取締役専務執行役員から社長へ
不死原正文
ふしはら まさふみ
生え抜き(1978年小野田セメント入社)。執行役員・常務執行役員・取締役専務執行役員を経て社長へ
福田修二
ふくだ しゅうじ
生え抜き(1974年小野田セメント入社)。経理部長を経て一貫して経理畑を歩み、取締役常務執行役員から社長へ
徳植桂治
とくうえ けいじ
生え抜き(1970年小野田セメント入社)。情報システム・経営企画・海外事業を歩み、海外カンパニープレジデントから社長へ
鮫島章男
さめじま あきお
生え抜き(1962年小野田セメント入社)。経理部財務課から一貫して経理畑を歩み、1998年の合併時に常務取締役、2002年に社長へ。双龍セメントの再建など海外路線に先鞭をつけた
木村道夫
きむら みちお
日本セメント出身(1955年入社)。1992年6月に同社社長となり、1998年10月の秩父小野田との合併で発足した太平洋セメントの初代社長へ
平賀一次
ひらが かずつぐ
生え抜き(1958年小野田セメント入社)。1989年6月に取締役、秩父小野田専務を経て1996年6月社長へ
今村一輔
いまむら かずすけ
生え抜き。経理課長・人事課長などの労務畑と営業部輸送課長、東京支店長を経て社長へ。1994年10月の秩父セメントとの合併で秩父小野田社長、1998年10月の日本セメントとの合併後は太平洋セメント会長
大島健司
おおしま けんじ
生え抜き。松本幸市社長の急逝を受け専務取締役から昇格し、前社長の経営路線を引き継いだ
松本幸市
まつもと こういち
生え抜き。副社長から昇格し、石油ショック後の中期計画策定にあたったが、1976年6月に在任のまま急逝
森清治
もり せいじ
生え抜き(1929年入社)。専務取締役から昇格し、40年不況からの立て直しとキルンのSP化・経営多角化を進めた
安藤豊禄
あんどう とよろく
生え抜き(1921年入社)。戦前は朝鮮の平壌・川内・古茂山・三陟各工場の新増設に携わり、戦後の抑留を経て帰国後、社長空席時の専務取締役から社長へ