ヤマハ発動機の決断社史:経営の意思決定を振り返る

更新:

決断

増やした量を先に縮め、そこから立て直す順序を繰り返してきた。1979年から打倒ホンダを掲げて生産を拡大した反動で1983年に戦後初の営業赤字に転じ、同年8月に江口秀人社長のもとで年産を半減させた。不稼働設備の損失は初年度に一括計上した。1992年12月にはヤマハとの合併観測を退け、合併より先に2社の事業の仕分けを優先した。2009年12月には工場再編と希望退職で損益分岐点型の経営へ移行し、リーマン後の需要急減で膨らんだ固定費を削減した。2021年2月には創業地の浜北工場の閉鎖と本社工場への国内二輪生産の集約を決めた。規模を追った1983年の失敗が、以後の危機対応をすべて縮小から始めさせた。

免責事項およびポリシー