重要な意思決定
19619月

特約店を整備

背景

レース優勝の評判と親会社の販路を活用し急速に特約店を整備

ヤマハ発動機は全国に特約店を整備し、1960年1月までに国内173店の販売網を確保した。急速に販路を構築できた背景には、二輪車が国内主要レースで優勝したことによる評判の形成、量産によるコストダウンで販売店からの引き合いが強まったこと、そして親会社ヤマハが楽器の全国展開で培った営業所網を活用できたことがあった。各販売所はヤマハの営業所内に併設され、東京・大阪・名古屋・札幌など主要都市に配置されたが、いずれも4名前後の小規模な体制であった。

後発メーカーとして急速に販売網を立ち上げる必要があったヤマハ発動機にとって、親会社の既存インフラを転用する手段は合理的であった。ただし、この体制はヤマハ発動機が小売店に直接販売するのではなく、特約店を介した間接販売であり、販売網の統制力には構造的な限界を抱えていた。

決断

間接販売体制の構造的脆弱性が新製品不振で露呈

ヤマハ発動機は「ヤマハの販売網」と「特約店」を介した間接販売を国内の基本構造としたが、小売店との直接の関係を持たないこの仕組みは、販売実績の変動に対して脆弱であった。1961年ごろに新製品の売り出しが不振に陥ると、特約店契約の解除が相次ぐ問題が表面化し、販売網の不安定さが経営課題として認識された。

後発メーカーが短期間で全国販路を確保する手段としては有効であったが、販売網の安定性と統制力という面では構造的な弱点を残していた。この経験は、1977年に北米で販売機能を自社法人に統合するYamaha Motor Corporation, U.S.A.設立の判断にも通底する論点であった。