重要な意思決定
赤字転落・再建計画を策定
背景
増産競争後の急速な業績悪化
1980年代初頭、ヤマハ発動機は二輪車の増産によって事業規模を拡大していた。単体業績を見ると、売上高は1980年4月期の3,384億円から1982年4月期には5,158億円まで増加していた。一方で、当期純利益は1981年4月期の85.7億円をピークに低下し、1982年4月期には71.1億円へ減少していた。数量拡大に伴うコスト増と価格競争の影響が、利益面に先行して表れ始めていた。
1983年4月期には状況が一変した。売上高は4,199億円へ減少し、当期純利益は▲106億円と赤字に転落した。翌1984年4月期には売上高3,288億円、当期純利益▲350億円まで悪化している。北米および中東向け輸出の減速、在庫の増加、値引きを前提とした販売競争が同時に進行し、増産体制を前提とした損益構造が維持できなくなっていた。
決断
社長交代と再建への転換
赤字転落を受け、ヤマハ発動機は経営体制を刷新した。1983年、社長に江口秀人が就任し、増産路線からの転換が明確にされた。江口は、当時年産約350万台規模に達していた二輪車の生産体制を過剰と認識し、生産規模の大幅な縮小を再建の出発点に据えた。
再建策では、設備投資の中止、希望退職者の募集、不稼働設備の明示などが実行された。損失を先送りせず、一括して処理する方針が採られ、就任初年度の決算では350億円規模の赤字を計上した。これは、増産競争によって拡大した事業規模を前提とせず、再建可能な水準まで事業を収縮させるための判断であった。この時点で、ヤマハ発動機は成長局面を終え、再建局面へ移行した。