1977 年1月

Yamaha Motor Corporation, U.S.Aを設立

歴史的意義
輸出130万台時代に販売管理を内製化した北米法人設立の必然

輸出台数が130万台に達した段階で、代理店依存の販売体制では価格設定・在庫管理・販売政策の統制が困難になった。Yamaha Motor Corporation, U.S.A.の設立は、数量拡大に伴う販売管理の内製化という必然的な判断であった。ホンダが50cc中心で展開したのに対し、中・大排気量帯に注力して単価と数量の双方を引き上げた棲み分けも注目に値する。北米シェア21.2%でホンダに次ぐ2位を確保した時点での体制整備であった。

背景

輸出数量拡大と北米販売の内製化

1960年代後半以降、日本国内の二輪車市場は成長が鈍化し、販売数量の増加は見込みにくい局面に入っていた。一方、北米市場では有力な現地二輪車メーカーがほぼ存在せず、需要の大半を輸入車が占めていた。欧州メーカーの月産規模が約1,000台程度であったのに対し、日本メーカーは月産1万台規模の生産能力を持ち、数量面で差が生じていた。

この環境下で、ヤマハ発動機株式会社は国内需要の回復を前提とせず、輸出数量を生産計画の中心に置く方針をとった。1966年の磐田工場新設により量産余地が拡張され、北米および欧州市場向けの出荷が拡大した。輸出台数はFY1965年の約4万台からFY1969年に22万台、FY1974年に80万台へと増加し、輸出が事業規模を左右する段階に入っていた。

決断

北米現地法人の設立と販売機能の統合

1977年1月、ヤマハ発動機は北米における販売・マーケティング機能を自社で統合するため、Yamaha Motor Corporation, U.S.A. を設立した。それまで代理店や輸入業者に依存していた販売体制を改め、価格設定、在庫管理、販売政策を現地法人の管轄に置く体制へ移行した。これは、輸出数量の拡大に伴い、販売面でも数量管理と収益管理を直接行う必要が生じたためであった。

同時期、北米市場では排気量750cc級を中心とするスポーツ用途の需要が拡大していた。ヤマハ発動機は、50cc中心で展開していたホンダとは異なり、中・大排気量帯の車種投入を進め、数量と単価の双方を引き上げた。その結果、1977年度時点で北米市場における二輪車シェアは21.2%となり、シェア1位のホンダ(40.5%)に次ぐ2位を確保した。輸出と現地販売を一体で管理する体制が、この時点で整えられていた。