重要な意思決定
19342月

大阪金属工業株式会社を設立。住友と資本提携

背景

住友財閥と資本提携。経営の近代化へ

1933年の時点でダイキンは、人事労務の面で課題を抱えていた。社員が競合企業を立ち上げて、ダイキンの技術者・技術を引き抜き、顧客も奪還されることに悩まされていた。 そこで、ダイキンは組織体制を近代化するために、住友財閥の住友伸銅所との資本提携を締結することを決めた。当時のダイキンの企業規模に対して、住友財閥は比較できないほどの大企業であり、異例の資本提携となった。 ダイキンは住友から銅やアルミといった材料を仕入れており、両社ともに大阪に拠点を置いていたという縁があった。住友財閥としてダイキンの高い技術力に期待した。 ただし、資本政策において、ダイキン側は経営の支配権を譲らない姿勢をとり、住友財閥に条件提示した。具体的には、①株式の保有比率は、創業者の山田晃氏の持分に対して、住友財閥の持分が超過しないこと、②住友財閥は取締役の過半数をダイキンに派遣しないこと、③住友財閥はダイキンの経営方針に関与しないことを条件として提示している。 住友財閥はこの条件を承諾し、ダイキンは住友財閥との資本提携による株式会社設立を行った。

決断

軍需企業として業容を拡大

1933年時点のダイキンは従業員数約300名であったのに対して、1941年の時点で10,000名を突破。約7年間で30倍に急拡大を遂げた。 背景としては、軍需品に対するニーズが高まったことや、資金調達によって大規模な設備投資が可能になったことが挙げられる。1930年代後半は日本で海軍と陸軍が軍備拡張を図った時代であり、ダイキンは時代の波に乗る形となった。 すなわち、戦前にダイキンが中小企業から大企業へと発展する上で、住友財閥との資本提携は重要な決定事項であったといえる。