ジェイテクト光洋精工と豊田工機の合併によるジェイテクトの発足
トヨタグループに二つのステアリングメーカーは要るか——出自の異なる2社を1社に束ねた選択
- 概要
- 2005年2月に基本合意し同年5月に合併契約書を結んだ光洋精工と豊田工機が、2006年1月1日に合併して株式会社ジェイテクトとなった経営判断。軸受・工作機械・ステアリングの3事業が1社に集まった。
- 背景
- 1980年の第三者割当増資でトヨタ自動車工業が筆頭株主となった光洋精工と、1941年にトヨタ自動車工業から分離独立した豊田工機は、いずれもステアリングを手がけ、北米・欧州にそれぞれ独自の拠点網を築いていた。
- 内容
- 光洋精工を存続会社とする合併で、商号をジェイテクトへ変更。合併期日は当初予定の2006年4月1日から2006年1月1日へ3カ月繰り上げられた。社長には旧光洋精工社長の吉田紘司氏が就き、海外子会社の商号もJTEKTへ統一された。
- 含意
- トヨタグループ内でステアリング事業を1社へ集約する再編の先行例となった。合併後にステアリングの世界シェアは高水準を保った一方、旧2社が別々に築いた海外拠点網の二重構造は残り、ブランド統一は2022年までかかった。
重複をなくす合併と、混ざりきらない会社
この合併の理屈は明快であった。同じ製品を2社が別々の設備で作り、別々の海外拠点で顧客に納めている——その重複を消せば、開発も購買も生産も一本化できる。トヨタグループという単一の親会社を共有していたことが、合併の意思決定を早めたとみることができる。実際、ステアリングでは世界首位の地位が続き、売上高1兆円の目標も期限より早く達した。数字で測る限り、統合の効果は説明のつく形で表れている。
ただ、会社が一つになることと、事業が一つに混ざることは別であった。国内の事業ブランドが統一されるまでに16年、本店が刈谷へ移るまでに15年を要し、その後も3事業の融合は経営計画の主題として残っている。1921年の大阪の軸受専業と1941年のトヨタ直系の工作機械メーカーという出自の違いは、商号を揃えただけでは消えなかったとみられる。重複の解消は合併の日に完了するが、異なる事業をどう一体で動かすかという問いは、その日から始まるのかもしれない。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
北米・欧州で並存した2つのステアリング拠点網
合併前の光洋精工と豊田工機は、いずれもステアリングを手がけていた。光洋精工は1960年4月に国分工場で開発・試作を始め、1988年4月には米TRW INCとの合弁でTRW KOYO STEERING SYSTEMSを設立して北米生産に入る。豊田工機は1968年9月に自動車用パワーステアリングの生産を始め、1989年10月に米テネシー州でTOYODA TRW AUTOMOTIVEを設立した。欧州でも光洋精工が1993年3月にフランス・イリニイ市の会社を、2000年3月にディジョン市の拠点を子会社化しており、同じトヨタグループの内側に2つの拠点網が並んでいた[1]。
この重複は、後年に社長を務めた安形哲夫氏が合併の理由そのものとして語っている。同氏は2018年の取材で、合併前の豊田工機も光洋精工もステアリングを作っており「トヨタグループに二つもいらんわなとなって一緒になった」と述べ、ジェイテクトの誕生をグループ再編の先行例と位置づけた。トヨタ本体の部品調達から見れば、同じ製品を2社が別々の設備と拠点で作る状態が続いていた。統合の必要は、両社の内部からというより、グループ全体の設計として持ち上がっていた[2]。
出自の異なる2社と、2002年のファーベス
2社の来歴は対照的であった。光洋精工は1921年に大阪で創業した独立系の軸受専業で、1979年の経営危機を経て1980年9月の第三者割当増資によりトヨタ自動車工業が筆頭株主となった。豊田工機は1941年5月にトヨタ自動車工業から金属工作機械の生産を担って分離独立した会社で、はじめから親会社の生産計画のなかにあった。大阪の独立系と刈谷のトヨタ直系という違いは、労務や購買の慣行にも及ぶ。同じグループに属しながら、経営の作法が同じではない2社であった[3]。
距離を縮めたのは、電動パワーステアリングであった。2002年11月、豊田工機・トヨタ自動車・デンソーと光洋精工の4社合弁で、電動パワーステアリングの開発・販売会社ファーベスが設立される。油圧式から電動式への移行が進むなかで、グループのステアリング技術を1カ所へ集める組織上の受け皿となった。両社の技術者が同じ会社で仕様をすり合わせた経験は、合併に先立つ実務上の予行にあたる。ファーベスから合併の基本合意まで、間は2年余りであった[4]。
決断
2005年の基本合意と3カ月の前倒し
2005年2月、光洋精工と豊田工機は合併に基本合意した。当初の合併期日は2006年4月1日で、2008年度に売上高1兆円規模の企業となることを目標に掲げている。軸受を主力とする光洋精工と工作機械を主力とする豊田工機が、双方が手がけるステアリングを含めて1社にまとまる案であり、トヨタグループの部品事業再編としては当時最大級の規模であった。両社はいずれも東証・大証・名証の上場会社であり、統合の枠組みは合併という正面からの方式が採られた[5][6]。
2005年5月、両社は合併契約書を締結し、あわせて合併期日を2006年1月1日へ3カ月繰り上げた。新社名は「ジェイテクト(英文表記はJTEKT)」と決まる。期日の前倒しは、統合効果の発現を早める意思の表れであると同時に、期首ではなく期中に会社を一本化する選択でもあった。2006年3月期の連結業績に旧豊田工機分が加わるのは期末の3カ月のみで、統合初年度の数字は両社を単純に足したものにはならない[7][8]。
3事業を1社に束ねた体制と海外子会社の商号統一
2006年1月1日、光洋精工を存続会社として両社は合併し、商号を株式会社ジェイテクトへ変更した。軸受は光洋精工、工作機械は豊田工機、ステアリングは両社という分担が、1つの会社の3事業として並ぶ構成になる。国内の軸受業界では、日本精工・NTNと並ぶ3強の一角がここで組み替えられた。トヨタグループの内側では、ステアリングを1社へ集約する体制が合併の日をもって完成している[9][10]。
経営体制は両社から持ち寄られた。旧光洋精工社長の吉田紘司氏がジェイテクトの代表取締役社長に就き、旧豊田工機会長の山田隆哉氏が取締役会長、旧豊田工機社長の横山元彦氏が取締役副社長となった。海外子会社の商号も同じ日付で改められ、北米のステアリング統括会社KOYO STEERING SYSTEMS OF NORTH AMERICAはJTEKT NORTH AMERICAへ、欧州のKOYO STEERING EUROPEはJTEKT EUROPEへ、豊田工機系のTOYODA-KOKI AUTOMOTIVE TORSEN EUROPEはJTEKT TORSEN EUROPEへ変わっている。KOYOとTOYODAの名を海外の統括会社から外す作業が、発足と同時に始まった[11][12]。
結果
掲げた1兆円と、残された二重構造
規模の目標は、掲げた期限より早く届いた。合併を含む2006年3月期の連結売上高は7,243億円、営業利益446億円、従業員は30,029人であったが、2008年3月期には連結売上高1兆1,576億円、営業利益776億円に達し、基本合意の際に置いた2008年度1兆円の目標を前倒しで超えた。ステアリングでも成果は続き、2018年時点で世界シェア25%を保つ首位のメーカーとなっている。もっとも、合併の直後から順風であったわけではない。2006年後半にはトヨタの設備投資の抑制を受けて工作機械の受注が前年比で3割近く落ち、統合の初年からグループの投資動向に業績が振れる構造も表に出た[13][14]。
一方で、組織の一体化には時間がかかった。旧2社が別々に築いた北米・欧州の拠点網は合併後も並存し、海外統括会社の商号こそ発足と同時に改めたものの、国内の事業ブランドがJTEKTへ統一されたのは2022年4月、本店所在地が大阪から愛知県刈谷市へ移ったのは2021年6月であった。合併から16年を経てKOYOとTOYODAの2ブランドがようやく1つになり、そのあとに、軸受・工作機械・ステアリングの3事業をどう一体で運営するかという課題が経営の正面に残った[15][16]。
- ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
- ジェイテクト 有価証券報告書(2006年3月期・連結)/(2008年3月期・連結)
- ジェイテクト 沿革(JTEKT公式)
- 日経クロステック(2005年2月3日)「光洋精工と豊田工機が2006年4月に合併,2008年度には売上高1兆円の企業目指す」
- 日経クロステック(2005年5月13日)「光洋精工と豊田工機,合併期日を3カ月早めて2006年1月から「ジェイテクト」に」
- ジェイテクト 適時開示 2006年1月5日「代表取締役の異動及び子会社の商号変更に関するお知らせ」
- 週刊東洋経済 2006年10月14日号「ビジネスリポート 世界一目前の急拡大路線に変調?! 設備投資にブレーキ “縮む”トヨタの足固め」
- 週刊東洋経済 2018年9月15日号「トップに直撃 ジェイテクト 社長 安形哲夫」