1943年、トヨタ自動車工業と川崎航空機の共同出資で資本金5,000万円の東海飛行機株式会社が設立された。[1][2]戦時下の航空機部品製造を本業とする会社で、太平洋戦争末期の軍需生産の一翼を担う位置づけだった。1968年刊の概略書は、翌1944年3月に工場が完成し、終戦時まで航空発動機の生産に従事したと記している。[3]終戦後の航空機製造の禁止と軍需生産の停止により、東海飛行機は本業を失った。1947年から1948年にかけて、ミシン・自動車部品製造への事業転換が進み、1949年6月の企業再建整備法に基づき、資本金15百万円で愛知工業株式会社として新生再発足した。[4]トヨタ系部品メーカーの源流が、戦時航空機メーカーの再建を通じて1949年に確立された。
1952年7月、愛知工業は名古屋証券取引所に新規上場し[5]、地方市場での資本市場アクセスを得た。1968年刊の概略書によれば、愛知工業は戦後、自動車の補給部品生産とミシンの二本立てで再出発し、1953年にダイカスト部門を加えて三本柱の経営となった。[6]1953年6月にはダイカスト製品の製造を開始し[7]、後年の基幹技術の一つとなるダイカスト事業へ参入した。1960年3月、新川工業から鋳造部門を分離して高丘工業(現アイシン高丘)を設立し[8]、鋳造機能の専業子会社化を行った。1961年8月、愛知工業は自動変速機の製造を開始し[9]、これが後の主力事業AT(オートマチックトランスミッション)に発展した。同社はこの間に自動変速装置トヨグライド、自動模様編機APK、高級ジグザグミシンを開発している[10]。同年10月には名古屋証券取引所市場第一部に上場し[11]、地方市場での主要区分への昇格を完了した。
アイシンのもう一方の源流である新川工業も、戦時下の航空機会社として生まれた。1945年2月、トヨタ自動車工業の豊田喜一郎の発意により[12]、東海飛行機の刈谷工場内で東新航空機株式会社が設立された。東海飛行機の協力工場として工作機械部品を製造する会社だったが、終戦にともなう航空機工業の禁止を受け、同年9月に民需へ転換し、所在地の地名にちなんで新川産業株式会社へ社名を改めた。[13]自動車部品の製造販売を企業目標に定め、戦後はトヨタ自動車工業の直系部品メーカーとしてクラッチを主力に育てた。1957年に自動クラッチの開発へ着手し、1959年にはダイヤフラム式クラッチの開発も始めた。[14]生産面では1958年に高岡町(現豊田市)へ新豊工場用地を取得し、1959年4月には刈谷工場を開設して[15]自動車・自動二輪部品の生産体制を広げた。
1965年8月、愛知工業が新川工業を吸収合併し[16]、社名をアイシン精機株式会社に変更した。合併構想は1961年2月、トヨタ自動車工業副社長の豊田英二が両社首脳に提案したのが始まりで、約4年の検討を経て1964年末に合意し、1965年2月23[17]日に正式発表された。同じ分野の機能部品をつくるほぼ同規模の2社を一体化して企業体質を強め、トヨタグループの中核部品メーカーに育てる狙いがあった[18]。両社はともに豊田喜一郎の事業を源流とする兄弟会社で[19]、愛知工業はトランスミッション・ブレーキなど駆動・制動部品、新川工業はクラッチと車体部品を得意としていた。新川工場・新豊工場を引継ぎ、合併後の資本金は2,856百万円[20]となった。トヨタ自工のあっ旋で合併が実現し、自動車部品メーカー[21]の大同団結として当時注目された。社名のアイシンは、愛知工業の『アイ』と新川工業[22]の『シン』を組み合わせたもので、現在の社名アイシンの源流である。
アイシン精機の主力に育ったAT(オートマチックトランスミッション)には、特許上の制約があった。トヨタのトヨグライドなどが採用したワーナー方式が米国ボーグ・ワーナー社の基本特許に抵触し(周辺特許はGM[23]・フォードが保有)、独自展開が難しかったためである。トヨタ自動車工業との協議を経て、アイシン精機は1966年8月からボーグ・ワーナー社と合弁交渉を進め[24]、1969年5月、折半出資でアイシン・ワーナー株式会社(後のアイシン・エィ・ダブリュ)を設立した。[25]資本金21億6,000万円、本社は刈谷市[26]、初代社長には豊田稔が就いた。1988年3月にアイシン・エィ・ダブリュへ社名変更し[27]、ATの世界市場で上位シェアを占める主力事業会社となった。1970年5月には東京証券取引所第一部および大阪証券取引所第一部に上場した(2009年12月に大証一部は上場廃止[28])。
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|---|---|---|---|---|
| 1943〜1980年戦前の航空機部品事業から戦後愛知工業として再発足、自動変速機事業の確立 | 資本金15百万円をもって愛知工業を設立 | ★ | ||
| 愛知工業、名古屋証券取引所に新規上場 | ★ | |||
| 愛知工業、ダイカスト製品の製造開始 | ★ | |||
| 愛知工業、自動変速機の製造開始 | ★★ | |||
| 愛知工業、名古屋証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| 愛知工業と新川工業の合併によるアイシン精機の発足 1965年8月、トヨタ系の部品メーカー愛知工業と新川工業が合併し、アイシン精機が発足した。豊田英二トヨタ自動車工業副社長の提案を機に、約4年をかけて対等の精神で束ねた統合で、現在の社名アイシンの源流である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| アイシン精機に商号変更 | ★ | |||
| AT特許問題を米ボーグ・ワーナーとの折半合弁で決着させたアイシン・ワーナーの設立 1969年5月、アイシン精機は米ボーグ・ワーナー社と折半出資でアイシン・ワーナーを設立し、オートマチックトランスミッション(AT)の基本特許をめぐる問題を、係争ではなく合弁で決着させた。半世紀続くAT主力事業を、争わずに手にした判断である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東京証券取引所第一部・大阪証券取引所第一部に上場 | ★ | |||
| アイシン・U.S.A.を設立 | ★ | |||
| 1981〜2010年グローバル展開とトヨタ系部品メーカーグループの形成 | アイシン・U.S.A.マニュファクチャリングを設立 | ★ | ||
| 統括会社アイシン・アメリカを設立 | ★ | |||
| 城山工場を分離独立させアイシン・エーアイを設立 | ★ | |||
| アイシン・エィ・ダブリュ精密を設立 | ★ | |||
| アイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカが発足 | ★ | |||
| 豊田幹司郎 | アイシン・オートモーティブ・キャスティングを設立 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | エィ・ダブリュ・ノースカロライナを設立 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | アイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカの販売機能を子会社化 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | 北米統括会社アイシン・HD・オブ・アメリカを設立 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | デンソー・住友電気工業・トヨタ自動車と共同出資でアドヴィックスを設立 | ★★ | ||
| 藤森文雄 | 刈谷工場をアドヴィックスに譲渡 | ★★ | ||
| 2011〜2025年EV化対応とアイシンへの社名変更による経営統合 | 伊原保守 | シロキ工業を株式交換により完全子会社化 | ★★ | |
| 伊原保守 | アート金属工業を株式取得により子会社化 | ★ | ||
| 伊勢清貴 | アイシン精機とアイシン・エィ・ダブリュの経営統合と社名「アイシン」への一本化 2021年4月、アイシン精機が連結子会社アイシン・エィ・ダブリュを吸収合併し、社名を『アイシン』へ改めた。伊勢清貴社長のもとで2019年10月に基本合意した、AT事業とボディ機構部品事業を一つの会社に束ねる経営統合である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 伊勢清貴 | アイシンに商号変更 | ★ | ||
| 吉田守孝 | アイシン化工を吸収合併 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(アイシン)