日本発條の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

同じばねの技術を、そのつど別の産業へ持ち出してきた。1943年12月に伊那工場で始めた精密ばねは、時計・計測機器向けの小型・高精度品だった。1958年5月に懸架ばね大手の大同発条を合併して川崎工場とし、翌1959年には自動車補修用ばねの販売部門を日発販売として分離独立させ、全国の販路を整えている。1961年6月にはトヨタ自動車の本拠地に豊田工場を新設して自動車シートへ参入し、ばね部品から座席という完成品へ製品領域を広げた。伊那の技術が量産事業になったのは半世紀後で、1996年10月に長野県駒ヶ根市へHDD用サスペンションの専門工場を増設し、米ハッチンソンとの2社寡占のもとで世界シェア6割を占めるに至る。納入先を鉄道車両から自動車へ、さらにハードディスクへ替えながら小型・高精度ばねの製造技術を持ち回った末に、自動車の景気循環とは別の周期で動く事業が育った。

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