日本発條 の歴史

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創業 1939年
創業者 楓英吉・井上清・坂本壽
創業地 東京都港区
創業
1936年6月、東京・芝浦で資本金60万円の芝浦スプリング製作所が設立され、国鉄向けの貨車用板ばねと客車用枕ばねの製造から始まった。1939年9月、日本鋼管・三菱商事・古河鉱業の出資参加を得て日本発条へ商号を改め、町工場規模の前身から財閥系資本の供給者へ移る。1940年11月には横浜工場で懸架ばねの操業を始め、本拠を神奈川県横浜市へ移した。1943年7月に線ばね・薄板ばねの大日本発条を吸収合併し、同年12月には長野県の伊那工場で時計・計測機器・通信機器向けの精密ばね生産を始めている。東京証券取引所へ上場したのは1954年3月である。
決断
同じばねの技術を、そのつど別の産業へ持ち出してきた。1943年12月に伊那工場で始めた精密ばねは、時計・計測機器向けの小型・高精度品だった。1958年5月に懸架ばね大手の大同発条を合併して川崎工場とし、翌1959年には自動車補修用ばねの販売部門を日発販売として分離独立させ、全国の販路を整えている。1961年6月にはトヨタ自動車の本拠地に豊田工場を新設して自動車シートへ参入し、ばね部品から座席という完成品へ製品領域を広げた。伊那の技術が量産事業になったのは半世紀後で、1996年10月に長野県駒ヶ根市へHDD用サスペンションの専門工場を増設し、米ハッチンソンとの2社寡占のもとで世界シェア6割を占めるに至る。納入先を鉄道車両から自動車へ、さらにハードディスクへ替えながら小型・高精度ばねの製造技術を持ち回った末に、自動車の景気循環とは別の周期で動く事業が育った。
現況
売上の15%にすぎないHDD用サスペンションが、営業利益の57%を稼いでいる。2026年3月期の連結売上高は8,168億円、営業利益457億円、純利益278億円。DDS(ディスクドライブサスペンション)は売上1,267億円に対し営業利益260億円で利益率20.6%に達し、創業事業の懸架ばねは1,674億円で7億円、0.4%にとどまる。シートは2,925億円で80億円である。2024年5月に事業ごとにROICと資本コストを比べる管理を敷き、DDSを成長事業、シートと懸架ばねを構造改革の対象と位置づけた。当期はタイの生産設備を中心に固定資産減損115億円を計上し、純利益は前期の481億円から42%減っている。自動車部品の利益で精密ばねを育てた流れは逆になり、現在はデータセンター向けの利益が自動車事業の立て直しを支える。
競合
競う相手は自動車部品の同業ではなく、米ハッチンソン1社である。HDD用サスペンションはこの2社による寡占で、日本発條が世界シェアの6割を占める。ここでの競争の焦点は価格ではなく、データセンター向け大容量HDDが求める数十μmの薄さと精度にある。対して自動車部品では供給者の数が違う。シートでは1972年に定款を書き換えて紡織から自動車部品へ転じたトヨタ紡織が同じ完成車メーカーへ納め、日本発條自身も2001年10月に仏フォルシアとの合弁で日産自動車向けの供給網に入った。売上の36%を占めるシートの営業利益率は2.8%、懸架ばねは0.4%で、供給者の多い市場ほど利幅は薄い。2社しかいない市場と多数がひしめく市場を同時に抱えたことが、事業ごとに資本コストを当てて選別する管理を必要にした。
日本発條:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 創業から上場・自動車部品メーカーへの転身 (1936年〜)

芝浦スプリング製作所として鉄道車両用ばねから出発

日本発條の出発点は1936年6月6日、東京・芝浦で資本金60万円をもって設立された『芝浦スプリング製作所』である。当時の日本は満州事変後の景気拡大期で、鉄道車両・産業機械向けの板ばね需要が伸びていた。設立者は鋼材問屋・機械業界の人物で、当初の生産品目は国鉄向けの貨車用板ばね・客車用枕ばねが中心であったが、概略書『企業の歴史:明治百年』は、日本の自動車工業がようやく国内に芽生え生産量もわずかであった当時に、自動車用の板ばね・巻ばねの製造販売をも手がけて出発したと伝える。創業から3年後の1939年9月8日、日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を『日本発条株式会社』と改め、現在の同社としての創立を迎えた。財閥系商社・素材メーカーの参画によって資本基盤と原材料調達網を強化した再編であり、芝浦スプリングという町工場規模の前身から、財閥系資本のサプライヤーへの転換点であった。 [1][2][3][4][5][6]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]社名を日本発条株式会社へ改称したのは1939年9月8日
    • [2]芝浦スプリング製作所の創立は1936年6月6日、資本金60万円(概略書による具体的な創立日・資本金)
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [3]1936年6月 東京・芝浦で『芝浦スプリング製作所』を設立(板ばね製造から創業)
    • [4]当初の主力生産品目は鉄道車両(国鉄)向けの板ばね(貨車用板ばね等)
    • [5]1939年9月 日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を『日本発条株式会社』と改称し創立
    • [6]出資参加企業は日本鋼管・三菱商事・古河鉱業

1940年11月、横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転した。横浜は当時、日産自動車・いすゞ自動車・三菱重工業の自動車製造拠点が集積する地域で、自動車向け懸架ばねの量産体制を整える上での立地優位があった。創業時の鉄道車両向け板ばねから、成長する自動車向け懸架ばねへ主力を移した。1943年12月には伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた。精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流となる小型・高精度ばねのノウハウは、この戦時期の伊那工場で蓄積された。 [7][8][9]

  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [7]1940年11月 横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転
    • [8]1943年12月 伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた
    • [9]伊那工場の精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流とされる(性格付けは資産と整合)

戦時統制下では軍需向けの航空機・艦船用ばねの生産も担い、横浜工場と伊那工場の二拠点体制で生産規模を拡大した。板ばね・巻ばねの設備拡充に向けて幾度かの増資を重ね、1943年7月には線ばね・薄板ばねなどを手がける精密ばね専門メーカーの大日本発条を吸収合併した。これにより板ばね・懸架ばねに線ばね・薄板ばねが加わり、生産品種を多様化したばねの総合メーカーへと品揃えを広げた。終戦後は財閥系資本を持ちながらも財閥解体の対象にはならず、日本鋼管系の独立企業として再出発した。戦後の混乱期は鉄道車両・トラックの修理需要と、自動車産業の復活に向けた懸架ばね供給で凌いだ。1950年代に入ると周辺企業の取込みによる事業拡大に動き、1953年12月には横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加して、グループへの企業取込みを始めた。この時期に蓄積した板ばね・懸架ばねの生産技術と取引基盤が、続く上場と自動車部品事業への転身を支える土台となった。 [10][11]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [10]1943年7月 線ばね・薄板ばね等の精密ばね専門メーカー大日本発条を吸収合併し、生産品種を多様化してばねの総合メーカーとして飛躍
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [11]1953年12月 横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加し、周辺企業のグループ取込みを開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]社名を日本発条株式会社へ改称したのは1939年9月8日
    • [2]芝浦スプリング製作所の創立は1936年6月6日、資本金60万円(概略書による具体的な創立日・資本金)
    • [10]1943年7月 線ばね・薄板ばね等の精密ばね専門メーカー大日本発条を吸収合併し、生産品種を多様化してばねの総合メーカーとして飛躍
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [3]1936年6月 東京・芝浦で『芝浦スプリング製作所』を設立(板ばね製造から創業)
    • [4]当初の主力生産品目は鉄道車両(国鉄)向けの板ばね(貨車用板ばね等)
    • [5]1939年9月 日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を『日本発条株式会社』と改称し創立
    • [6]出資参加企業は日本鋼管・三菱商事・古河鉱業
    • [7]1940年11月 横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転
    • [8]1943年12月 伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた
    • [9]伊那工場の精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流とされる(性格付けは資産と整合)
    • [11]1953年12月 横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加し、周辺企業のグループ取込みを開始

東証上場と自動車シート事業への参入

1954年3月、日本発條は東京証券取引所に上場した。上場により資本市場からの資金調達基盤を獲得し、自動車産業の拡大期に合わせた生産設備投資の原資とした。同じ1954年から1960年代にかけて、トヨタ自動車・日産自動車・いすゞ自動車・三菱自動車・ホンダの乗用車・小型トラックが本格量産期に入り、それに随伴する形で日本発條の懸架ばね・自動車シートの納入量が拡大した。1958年には精密ばね事業会社の日発精密工業株式会社を設立、同年に自社に次ぐ大手ばねメーカーであった懸架ばね製造の大同発条㈱を合併して川崎工場とし、1959年には自動車補修用ばねの販売部門を分離独立させて日発販売株式会社を設立し、全国的な販売体制を確立した。概略書『企業の歴史:明治百年』はこの一連の再編を、日本発條が名実ともにわが国のばねのトップメーカーとして地盤を固めた画期と位置づける。事業領域ごとに子会社・工場を独立させていく分権的な事業運営体制の原型も、この時期に形作られた。 [12][13][14][15]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]合併した大同発条は日本発條に次ぐ大手ばねメーカーであり、同合併と日発販売の分離独立による全国販売確立を概略書はわが国のばねのトップメーカーとしての地盤固めと位置づける
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [13]1954年3月 東京証券取引所に上場
    • [14]1958年 日発精密工業株式会社を設立/同年 大同発条㈱を合併し川崎工場とする
    • [15]1959年 自動車補修用ばねの販売部門を分離独立し日発販売株式会社を設立

1961年6月、川崎工場に精密ばね専門工場を新設すると同時に、シート専門工場としてトヨタ自動車の本拠地である愛知県豊田市に豊田工場を新設した。豊田工場の新設は、日本発條が自動車シート事業へ本格進出する画期であった。それまで主力だった懸架ばねに加え、座席フレーム・シートクッションを含む自動車シート事業の供給網に組み込まれたことで、日本発條はトヨタ系サプライヤー構造の中核を担った。続く1962年12月には川崎工場にもシート専門工場を新設し、北関東の太田工場(1969年)、広島工場(1964年)と全国に配置した。1963年7月には物流子会社の日発運輸株式会社を設立、同年12月にはタイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立して、海外生産拠点の第一号とした。タイへの進出は当時の日系電機・自動車メーカーのアジア進出に随伴する動きで、後年に東南アジア生産網の起点となる重要な布石であった。 [16][17][18][19][20]

  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [16]1961年6月 川崎工場に精密ばね専門工場を新設、同時にシート専門工場として愛知県豊田市に豊田工場を新設
    • [17]1962年12月 川崎工場にシート専門工場を新設
    • [18]広島工場の新設は1964年8月(本文は『広島工場(1964年)』)・太田工場は1969年7月(本文は『太田工場(1969年)』)
    • [19]1963年7月 日発運輸株式会社を設立
    • [20]1963年12月 タイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立(海外生産拠点の第一号)

1968年12月に日本シャフト株式会社を子会社化、1970年5月には配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設して産業機器事業を本格化した。1973年11月には懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設し、関西圏での懸架ばね生産能力を強化した。1975年12月には板ばねメーカーの株式会社スミハツに経営参加して周辺企業を取り込み、1980年4月にはサンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした。概略書『企業の歴史:明治百年』が刊行された1968年時点で、同社の製品の約8割は自動車メーカー向けであり、全国のばね生産額のほぼ6割を同社が占めるまでになっていた。 [21][22][23][24][25]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]概略書刊行の1968年時点で、同社の製品の約80%が自動車メーカー向け、全国のばね生産額のほぼ60%を同社が占めた(概略書による当時のシェア)
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [22]1970年5月 配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設
    • [23]1973年11月 懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設
    • [24]1975年12月 株式会社スミハツに経営参加(板ばねメーカーの取込み)
    • [25]1980年4月 ㈱サンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]合併した大同発条は日本発條に次ぐ大手ばねメーカーであり、同合併と日発販売の分離独立による全国販売確立を概略書はわが国のばねのトップメーカーとしての地盤固めと位置づける
    • [21]概略書刊行の1968年時点で、同社の製品の約80%が自動車メーカー向け、全国のばね生産額のほぼ60%を同社が占めた(概略書による当時のシェア)
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
    • [13]1954年3月 東京証券取引所に上場
    • [14]1958年 日発精密工業株式会社を設立/同年 大同発条㈱を合併し川崎工場とする
    • [15]1959年 自動車補修用ばねの販売部門を分離独立し日発販売株式会社を設立
    • [16]1961年6月 川崎工場に精密ばね専門工場を新設、同時にシート専門工場として愛知県豊田市に豊田工場を新設
    • [17]1962年12月 川崎工場にシート専門工場を新設
    • [18]広島工場の新設は1964年8月(本文は『広島工場(1964年)』)・太田工場は1969年7月(本文は『太田工場(1969年)』)
    • [19]1963年7月 日発運輸株式会社を設立
    • [20]1963年12月 タイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立(海外生産拠点の第一号)
    • [22]1970年5月 配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設
    • [23]1973年11月 懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設
    • [24]1975年12月 株式会社スミハツに経営参加(板ばねメーカーの取込み)
    • [25]1980年4月 ㈱サンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした

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日本発條の沿革1936〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1936〜1980年創業から上場・自動車部品メーカーへの転身芝浦スプリング製作所として設立★★
社名を日本発条に商号変更し創立
横浜工場の懸架ばねの操業開始とともに本拠を移転
伊那工場が操業開始
精密ばねの生産を開始★★
横浜機工に経営参加
東京証券取引所上場
日発精密工業設立
大同発条の合併と日発販売の分離独立によるばね国内首位の地盤固め

1958年5月、日本発條は大同製鋼が半年前に分離設立した懸架ばね会社・大同発条を合併して川崎工場とし、翌1959年5月には自動車補修用ばねの販売部門を切り離して日発販売を設立した。生産の取り込みと販路の分離を1年おきに実行した二手である。

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★★★
自動車補修用ばねの販売部門を分離独立し日発販売を設立
川崎工場に精密ばね専門工場を新設
豊田工場の新設によるトヨタ向け自動車シート事業への本格参入

1961年6月、日本発條は川崎工場に精密ばね専門工場を新設すると同時に、シート専門工場としてトヨタ自動車の本拠地である愛知県豊田市に豊田工場を新設した。懸架ばねの会社が、座席そのものを作る事業へ入った判断である。

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★★★
合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立
日本シャフトに経営参加★★
シート専門工場として太田工場を新設
配管支持装置の専門工場として厚木工場を新設
川崎工場の精密ばね専門工場を閉鎖
懸架ばねの専門工場として滋賀工場を新設
板ばね製造会社シメブラ社に資本参加
スミハツに経営参加
1980〜2010年海外展開とHDDサスペンション事業の確立コントロールケーブル専門工場として駒ヶ根工場を新設
合弁会社NHK-アソシエイテッドスプリング社を設立
電子部品工場を新設
リア社との合弁で米国にゼネラル シーティング オブ アメリカ社を設立★★
懸架ばねの専門工場として横浜事業所を開設
NHKマニュファクチャリングマレーシア社を設立
ブラジル懸架ばねメーカーのファブリーニ社をメキシコ ラッシーニ社と共同で買収★★
HDD用サスペンション専門工場としてサスペンション第二工場を増設
インド自動車懸架ばねメーカー ジャムナ・グループに資本参加
広島工場を閉鎖
日発運輸と合弁でニッパツパーキングシステムズを設立
フォルシア社との合弁でフォルシア・ニッパツを設立★★
合弁会社広州日正弾簧有限公司を設立
大同特殊鋼から特殊発條興業を買収★★
天木武彦NHKスプリングインディア社を子会社化
玉村和己株式交換により横浜機工を完全子会社化
2011〜2026年CASE対応とHDDサスペンション偏重下の資本効率改革玉村和己株式交換によりトープラを完全子会社化★★
玉村和己NHKスプリングメキシコ社を設立
玉村和己持株会社NHKスプリングヨーロッパ社を設立
玉村和己ニッパツ九州を設立
上村和久ROICとWACCの比較に基づく事業別の立て直しと政策保有株式の売却

2024年5月27日に公表した2026中期経営計画(2025年3月期〜2027年3月期)で、日本発條は新たな経営管理指標としてROICを導入し、事業セグメント別のROICとWACCを並べて開示した。事業ごとに処方を変え、政策保有株式の売却と株主還元を計画に組み込んでいる。

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★★★
上村和久ROICと事業セグメント別ROICを開示
出典・参考
  • 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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