1936年〜 創業から上場・自動車部品メーカーへの転身
日本発條の業績推移:単体
- 1936年 芝浦スプリング製作所として設立
- 1939年 社名を日本発条に商号変更し創立
- 1940年 横浜工場の懸架ばねの操業開始とともに本拠を移転
- 1943年 精密ばねの生産を開始
- 1958年 大同発条の合併と日発販売の分離独立によるばね国内首位の地盤固め 素材メーカーが手放したばね部門を引き受け、補修品の販路を切り離した二手
- 1961年 豊田工場の新設によるトヨタ向け自動車シート事業への本格参入 系列に入らない専業メーカーが、得意先ごとに工場を建てるという選び方をした
- 1968年 日本シャフトに経営参加
芝浦スプリング製作所として鉄道車両用ばねから出発
日本発條の出発点は1936年6月6日、東京・芝浦で資本金60万円をもって設立された「芝浦スプリング製作所」である。当時の日本は満州事変後の景気拡大期で、鉄道車両・産業機械向けの板ばね需要が伸びていた。設立者は鋼材問屋・機械業界の人物で、当初の生産品目は国鉄向けの貨車用板ばね・客車用枕ばねが中心であったが、概略書『企業の歴史:明治百年』は、日本の自動車工業がようやく国内に芽生え生産量もわずかであった当時に、自動車用の板ばね・巻ばねの製造販売をも手がけて出発したと伝える。創業から3年後の1939年9月8日、日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を「日本発条株式会社」と改め、現在の同社としての創立を迎えた。財閥系商社・素材メーカーの参画によって資本基盤と原材料調達網を強化した再編であり、芝浦スプリングという町工場規模の前身から、財閥系資本のサプライヤーへの転換点であった。 [1][2][3][4][5][6]
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [1]1936年6月 東京・芝浦で『芝浦スプリング製作所』を設立(板ばね製造から創業)
- [2]当初の主力生産品目は鉄道車両(国鉄)向けの板ばね(貨車用板ばね等)
- [3]1939年9月 日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を『日本発条株式会社』と改称し創立
- [4]出資参加企業は日本鋼管・三菱商事・古河鉱業
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [5]芝浦スプリング製作所の創立は1936年6月6日、資本金60万円(概略書による具体的な創立日・資本金)
- [6]社名を日本発条株式会社へ改称したのは1939年9月8日
1940年11月、横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転した。横浜は当時、日産自動車・いすゞ自動車・三菱重工業の自動車製造拠点が集積する地域で、自動車向け懸架ばねの量産体制を整える上での立地優位があった。創業時の鉄道車両向け板ばねから、成長する自動車向け懸架ばねへ主力を移した。1943年12月には伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた。精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流となる小型・高精度ばねのノウハウは、この戦時期の伊那工場で蓄積された。 [7][8][9]
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [7]1940年11月 横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転
- [8]1943年12月 伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた
- [9]伊那工場の精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流とされる(性格付けは資産と整合)
戦時統制下では軍需向けの航空機・艦船用ばねの生産も担い、横浜工場と伊那工場の二拠点体制で生産規模を拡大した。板ばね・巻ばねの設備拡充に向けて幾度かの増資を重ね、1943年7月には線ばね・薄板ばねなどを手がける精密ばね専門メーカーの大日本発条を吸収合併した。これにより板ばね・懸架ばねに線ばね・薄板ばねが加わり、生産品種を多様化したばねの総合メーカーへと品揃えを広げた。終戦後は財閥系資本を持ちながらも財閥解体の対象にはならず、日本鋼管系の独立企業として再出発した。戦後の混乱期は鉄道車両・トラックの修理需要と、自動車産業の復活に向けた懸架ばね供給で凌いだ。1950年代に入ると周辺企業の取込みによる事業拡大に動き、1953年12月には横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加して、グループへの企業取込みを始めた。この時期に蓄積した板ばね・懸架ばねの生産技術と取引基盤が、続く上場と自動車部品事業への転身を支える土台となった。 [10][11]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [10]1943年7月 線ばね・薄板ばね等の精密ばね専門メーカー大日本発条を吸収合併し、生産品種を多様化してばねの総合メーカーとして飛躍
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [11]1953年12月 横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加し、周辺企業のグループ取込みを開始
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [1]1936年6月 東京・芝浦で『芝浦スプリング製作所』を設立(板ばね製造から創業)
- [2]当初の主力生産品目は鉄道車両(国鉄)向けの板ばね(貨車用板ばね等)
- [3]1939年9月 日本鋼管・三菱商事・古河鉱業らの出資参加を得て社名を『日本発条株式会社』と改称し創立
- [4]出資参加企業は日本鋼管・三菱商事・古河鉱業
- [7]1940年11月 横浜工場で懸架ばねの操業を開始すると同時に本拠を神奈川県横浜市へ移転
- [8]1943年12月 伊那工場の操業を開始し、精密ばねの生産を始めた
- [9]伊那工場の精密ばねは時計・計測機器・通信機器向けで、後年のHDDサスペンション事業の技術的源流とされる(性格付けは資産と整合)
- [11]1953年12月 横浜機工株式会社(現連結子会社)に経営参加し、周辺企業のグループ取込みを開始
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [5]芝浦スプリング製作所の創立は1936年6月6日、資本金60万円(概略書による具体的な創立日・資本金)
- [6]社名を日本発条株式会社へ改称したのは1939年9月8日
- [10]1943年7月 線ばね・薄板ばね等の精密ばね専門メーカー大日本発条を吸収合併し、生産品種を多様化してばねの総合メーカーとして飛躍
東証上場と自動車シート事業への参入
1954年3月、日本発條は東京証券取引所に上場した。上場により資本市場からの資金調達基盤を獲得し、自動車産業の拡大期に合わせた生産設備投資の原資とした。同じ1954年から1960年代にかけて、トヨタ自動車・日産自動車・いすゞ自動車・三菱自動車・ホンダの乗用車・小型トラックが本格量産期に入り、それに随伴する形で日本発條の懸架ばね・自動車シートの納入量が拡大した。1958年には精密ばね事業会社の日発精密工業株式会社を設立、同年に自社に次ぐ大手ばねメーカーであった懸架ばね製造の大同発条㈱を合併して川崎工場とし、1959年には自動車補修用ばねの販売部門を分離独立させて日発販売株式会社を設立し、全国的な販売体制を確立した。概略書『企業の歴史:明治百年』はこの一連の再編を、日本発條が名実ともにわが国のばねのトップメーカーとして地盤を固めた画期と位置づける。事業領域ごとに子会社・工場を独立させていく分権的な事業運営体制の原型も、この時期に形作られた。 [12][13][14][15]
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [12]1954年3月 東京証券取引所に上場
- [13]1958年 日発精密工業株式会社を設立/同年 大同発条㈱を合併し川崎工場とする
- [14]1959年 自動車補修用ばねの販売部門を分離独立し日発販売株式会社を設立
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [15]合併した大同発条は日本発條に次ぐ大手ばねメーカーであり、同合併と日発販売の分離独立による全国販売確立を概略書はわが国のばねのトップメーカーとしての地盤固めと位置づける
1961年6月、川崎工場に精密ばね専門工場を新設すると同時に、シート専門工場としてトヨタ自動車の本拠地である愛知県豊田市に豊田工場を新設した。豊田工場の新設は、日本発條が自動車シート事業へ本格進出する画期であった。それまで主力だった懸架ばねに加え、座席フレーム・シートクッションを含む自動車シート事業の供給網に組み込まれたことで、日本発條はトヨタ系サプライヤー構造の中核を担った。続く1962年12月には川崎工場にもシート専門工場を新設し、北関東の太田工場(1969年)、広島工場(1964年)と全国に配置した。1963年7月には物流子会社の日発運輸株式会社を設立、同年12月にはタイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立して、海外生産拠点の第一号とした。タイへの進出は当時の日系電機・自動車メーカーのアジア進出に随伴する動きで、後年に東南アジア生産網の起点となる重要な布石であった。 [16][17][18][19][20]
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [16]1961年6月 川崎工場に精密ばね専門工場を新設、同時にシート専門工場として愛知県豊田市に豊田工場を新設
- [17]1962年12月 川崎工場にシート専門工場を新設
- [18]広島工場の新設は1964年8月(本文は『広島工場(1964年)』)・太田工場は1969年7月(本文は『太田工場(1969年)』)
- [19]1963年7月 日発運輸株式会社を設立
- [20]1963年12月 タイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立(海外生産拠点の第一号)
1968年12月に日本シャフト株式会社を子会社化、1970年5月には配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設して産業機器事業を本格化した。1973年11月には懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設し、関西圏での懸架ばね生産能力を強化した。1975年12月には板ばねメーカーの株式会社スミハツに経営参加して周辺企業を取り込み、1980年4月にはサンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした。1936年から1980年までの44年間で、日本発條は「鉄道車両用板ばね製造業」から「自動車向け懸架ばね・シート・精密ばねの総合ばねメーカー」へ事業領域を拡張し、トヨタ系・日産系・ホンダ系という主要自動車メーカーの生産拠点に随伴する形で全国展開を完了した。概略書『企業の歴史:明治百年』が刊行された1968年時点で、同社の製品の約8割は自動車メーカー向けであり、全国のばね生産額のほぼ6割を同社が占めるまでになっていた。 [21][22][23][24][25]
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [21]1970年5月 配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設
- [22]1973年11月 懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設
- [23]1975年12月 株式会社スミハツに経営参加(板ばねメーカーの取込み)
- [24]1980年4月 ㈱サンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [25]概略書刊行の1968年時点で、同社の製品の約80%が自動車メーカー向け、全国のばね生産額のほぼ60%を同社が占めた(概略書による当時のシェア)
- 日本発條 有価証券報告書 第94期(2014年3月期)【沿革】
- [12]1954年3月 東京証券取引所に上場
- [13]1958年 日発精密工業株式会社を設立/同年 大同発条㈱を合併し川崎工場とする
- [14]1959年 自動車補修用ばねの販売部門を分離独立し日発販売株式会社を設立
- [16]1961年6月 川崎工場に精密ばね専門工場を新設、同時にシート専門工場として愛知県豊田市に豊田工場を新設
- [17]1962年12月 川崎工場にシート専門工場を新設
- [18]広島工場の新設は1964年8月(本文は『広島工場(1964年)』)・太田工場は1969年7月(本文は『太田工場(1969年)』)
- [19]1963年7月 日発運輸株式会社を設立
- [20]1963年12月 タイのバンコクに合弁会社NHKスプリングタイランド社を設立(海外生産拠点の第一号)
- [21]1970年5月 配管支持装置の専門工場として神奈川県厚木市に厚木工場を新設
- [22]1973年11月 懸架ばねの専門工場として滋賀県甲賀郡(現甲賀市)に滋賀工場を新設
- [23]1975年12月 株式会社スミハツに経営参加(板ばねメーカーの取込み)
- [24]1980年4月 ㈱サンチュウ晃を買収して工機事業本部小牧工場とした
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [15]合併した大同発条は日本発條に次ぐ大手ばねメーカーであり、同合併と日発販売の分離独立による全国販売確立を概略書はわが国のばねのトップメーカーとしての地盤固めと位置づける
- [25]概略書刊行の1968年時点で、同社の製品の約80%が自動車メーカー向け、全国のばね生産額のほぼ60%を同社が占めた(概略書による当時のシェア)