ジェイテクト の歴史

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創業 1921年
母体 光洋精工+豊田工機
創業地 大阪市生野区
創業
1921年1月、池田善一郎氏が大阪市生野区に光洋精工社を創設し、ベアリングの生産を始めた。1935年1月に株式会社へ改組し、1949年5月には大阪・東京の両証券取引所へ上場している。もう一方の源流は1941年5月、自動車の量産に欠かせない金属工作機械を自前で確保するため、トヨタ自動車工業から分離独立した豊田工機である。大阪の独立系軸受メーカーと、名古屋の系列工作機械メーカー。出自も本拠も違う2社は、1960年に光洋精工が国分工場でステアリングの試作を始め、1968年に豊田工機がパワーステアリングの生産を始めたことで、同じ製品で向き合った。
決断
赤字が出るたび、独立と社名を差し出して規模へ替えてきた。1979年3月期、光洋精工は減量が同業より1年遅れて68億8,200万円の最終赤字へ転落し、全取締役がいったん辞任して最大の取引先だったトヨタへ支援を要請した。翌1980年9月の第三者割当増資でトヨタ自動車工業が筆頭株主となり、大阪発の独立系メーカーは系列部品メーカーへ立場を変えた。26年後の2005年2月には、グループ内で重複していたステアリング事業を整理するため光洋精工と豊田工機の合併に基本合意し、2006年1月に光洋精工と豊田工機の双方が商号を捨ててジェイテクトが発足する。2009年7月には2期連続赤字のさなかに米ティムケンのニードル軸受事業を取得している。ただし合併は北米と欧州に旧2社の拠点を二重に残し、その整理は20年後の現在も終わっていない。
現況
三つの事業はすべて黒字で、赤字を作っているのは欧米の構造改革である。2026年3月期の売上高は1兆9,250億円。セグメント別では自動車が1兆3,670億円で467億円、産機・軸受が3,471億円で112億円、工作機械が2,109億円で174億円の利益を計上した。合計753億円に対して全社の営業利益は248億円にとどまり、差の508億円は欧米拠点の構造改革などその他費用が占める。利益率では工作機械の8.3%が最も高く、売上の7割を担う自動車事業の3.4%を上回る。2024年に就任した近藤禎人社長は2030年ビジョンでROEとPBRの改善を数値目標に据え、政策保有株式の売却と欧米の採算立て直しを進めている。
競合
軸受とステアリングで、相手の顔ぶれがそっくり入れ替わる。軸受では日本精工とNTNが国内の同業で、その2社は2026年5月に日本精工との経営統合を公表し、規模で上回る相手が1社へまとまる見通しになった。ステアリングでは立場が逆で、日本精工は赤字の続いた自社のステアリング事業を2025年5月に分社して過半の株式を投資ファンドへ譲渡している。ジェイテクトは1960年の国分工場での試作以来この製品を手放さず、2002年に電動パワーステアリングの合弁ファーベスを設け、2017年にインドのSONA KOYO、同年12月に富士機工のコラム事業を取り込んで品揃えを広げた。軸受・工作機械・ステアリングを1社に持つ構成が、製品ごとに違う立ち位置での戦い方を同時に強いている。
ジェイテクト:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 光洋精工と豊田工機 ── 源流を異にする2社の歩み (1921年〜)

1921年の光洋精工 ── 池田善一郎が拓いた大阪の軸受メーカー

光洋精工の創業者・池田善一郎は、1896年に香川県小豆島で生まれ、17歳で大阪に出て関西大学の前身にあたる専門学校の夜間部で設計を学んだ。郷里に近い高松で農機具の販売に従事したのち、ベアリングの将来性に着目して再び大阪へ戻り、1916年ごろ、南区東清水町の小工場に『光洋精工社』の看板を掲げてベアリングの試作研究を始めた。そして1921年1月、弱冠25歳の池田は大阪市生野区猪飼野に工場を建設し、ボール・ベアリングの本格生産を開始する。これを現在のジェイテクトは創業期としている。創業当時の日本の軸受業界は、1916年創業の日本精工、1918年創業で後に東洋ベアリング製造(現NTN)となるメーカーが先行しており、光洋精工はそれに続く国内軸受メーカーの一角として発足した。 [1][2][3][4][5]

  • 光洋精工50年史(光洋精工・1969年)
    • [1]創業者・池田善一郎は1896年(明治29年)香川県小豆島の生まれ、17歳で大阪に出て関西大学の前身の専門学校夜間部で設計を学んだ
    • [5]池田善一郎は大正5年(1916年)ごろ大阪・南区東清水町に「光洋精工社」の看板を掲げベアリングの試作研究を始めた
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1921年(大正10年)1月 大阪市生野区猪飼野でボール・ベアリングの本格生産を開始(現在の創業期の起点)
    • [3]日本精工は1916年創業の軸受メーカー
    • [4]東洋ベアリング製造(現NTN)の源流は1918年創業。ただし『東洋ベアリング製造株式会社』の社名採用は1937年で、1918年時点の社名ではない

光洋精工は技術開発に注力し、生野区中川町の新工場で1923年にはわが国で初めてのテーパー・ローラー・ベアリングの国産技術を完成させる。当時これは『ティムケン以外には生産は不可能』とまでいわれた難物で、光洋精工はこのジンクスを破って業界最高の定評を築いた。従来の浸炭鋼を輸入軸受鋼に切り替え、米国製の新鋭研削盤を他社に先駆けて導入し自社改造するなど材料と工作機械の両面で先行し、1927年には国産軸受生産のトップに立っていた。1935年1月18日には、官公庁需要や戦時体制への移行を背景に、池田善一郎の個人経営だった光洋精工社を資本金100万円の株式会社・光洋精工株式会社へ改組する。戦後は1949年5月に大阪・東京の両証券取引所、同年7月には名古屋証券取引所へも上場を果たし、独立系の軸受専業メーカーとして資本市場に足場を築いた。 [6][7][8][9]

  • 光洋精工50年史(光洋精工・1969年)
    • [6]1923年(大正12年)わが国で初めてのテーパー・ローラー・ベアリングの国産技術を完成
    • [7]テーパー・ローラー・ベアリングは『ティムケン以外には生産は不可能』とされたが、光洋精工がこれを破り業界最高の定評を築いた
    • [8]軸受鋼の採用と新鋭研削盤の導入・自社改造により、昭和2年(1927年)には国産軸受生産のトップに立っていた
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [9]1949年5月 大阪証券取引所・東京証券取引所に上場、同年7月 名古屋証券取引所に上場

光洋精工は軸受専業から出発したが、1960年4月、国分工場でステアリングの開発・試作を開始する。戦後の自動車産業が立ち上がるなか、軸受から派生する自動車部品領域へと足を踏み入れた決断だった。1961年8月にはミシン・工作機械部門を分離して光洋機械工業を設立し、軸受とステアリングという2つの柱に事業を集約した。独立系の自動車部品メーカーとして地歩を固めつつ拡大する路線は、この1960年代の選択と集中によって輪郭を得た。後年トヨタグループに組み込まれるまで、光洋精工は独立系軸受メーカーとしての立ち位置を保ち、自動車部品への傾斜を進めた。 [10][11][12]

  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1960年4月 国分工場でステアリングの開発・試作を開始
    • [11]1961年8月 ミシン・工作機械部門を分離し光洋機械工業を設立
    • [12]1961年に分離して設立されたのは光洋機械工業(現ジェイテクトマシンシステム)
  • 光洋精工50年史(光洋精工・1969年)
    • [1]創業者・池田善一郎は1896年(明治29年)香川県小豆島の生まれ、17歳で大阪に出て関西大学の前身の専門学校夜間部で設計を学んだ
    • [5]池田善一郎は大正5年(1916年)ごろ大阪・南区東清水町に「光洋精工社」の看板を掲げベアリングの試作研究を始めた
    • [6]1923年(大正12年)わが国で初めてのテーパー・ローラー・ベアリングの国産技術を完成
    • [7]テーパー・ローラー・ベアリングは『ティムケン以外には生産は不可能』とされたが、光洋精工がこれを破り業界最高の定評を築いた
    • [8]軸受鋼の採用と新鋭研削盤の導入・自社改造により、昭和2年(1927年)には国産軸受生産のトップに立っていた
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1921年(大正10年)1月 大阪市生野区猪飼野でボール・ベアリングの本格生産を開始(現在の創業期の起点)
    • [9]1949年5月 大阪証券取引所・東京証券取引所に上場、同年7月 名古屋証券取引所に上場
    • [10]1960年4月 国分工場でステアリングの開発・試作を開始
    • [11]1961年8月 ミシン・工作機械部門を分離し光洋機械工業を設立
    • [12]1961年に分離して設立されたのは光洋機械工業(現ジェイテクトマシンシステム)
    • [3]日本精工は1916年創業の軸受メーカー
    • [4]東洋ベアリング製造(現NTN)の源流は1918年創業。ただし『東洋ベアリング製造株式会社』の社名採用は1937年で、1918年時点の社名ではない

1941年の豊田工機 ── トヨタから分離独立した工作機械メーカー

豊田工機の設立は、創業者・豊田喜一郎の構想にさかのぼる。自動車の量産には専用工作機械が欠かせないが、外部に頼れば時間がかかる。自前でつくるほかなく、そのためには工機部を分離して独立会社にする必要があった。社史は、『工作機械の会社は儲からん会社であるが、トヨタ自動車工業としてぜひとも必要』だとして、喜一郎が採算の苦しさを承知で独立を決意したと記す。独立を早めたのは法制度で、1938年の工作機械製造事業法と先の自動車製造事業法(1936年公布)は同一会社が同時に適用を受けられず、工機部の切り出しが避けられなくなった。こうして1941年5月、豊田工機はトヨタ自動車工業から金属工作機械の生産を担って分離独立した。光洋精工が独立系として自発的に自動車部品へ進んだのに対し、豊田工機ははじめから親会社トヨタの生産計画に組み込まれた存在だった。 [13][14][15][16]

  • 豊田工機二十年(豊田工機・1961年)
    • [13]創業者・豊田喜一郎は専用工作機械の自給のため工機部を分離独立させる必要があると考え、採算の苦しさを承知で独立を決意した
    • [14]1938年(昭和13年)制定の工作機械製造事業法と1936年公布の自動車製造事業法は同一会社が同時適用を受けられず、工機部の独立を早めた
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1941年5月 トヨタ自動車工業から金属工作機械の生産を目的として分離独立し豊田工機を設立
    • [16]豊田工機はトヨタ自動車工業から分離独立した企業(豊田喜一郎が主導したグループ内企業)

豊田工機株式会社の創立総会は、1941年4月28日にトヨタ自動車工業本社で開かれた。公称資本金は800万円、うち半額400万円を払い込み、その3百万円はトヨタ自動車工業が現物出資した。残額は情勢を見て公募する方針で、これは豊田系会社として初の公募事例だった。取締役社長に豊田利三郎、副社長に豊田喜一郎、常務に菅隆俊が就き、5月1日から営業を開始する。工場用地は当初、挙母と知立の中間に求める案があったが、地盤の軟弱が機械精度に響くことを嫌って断念し、刈谷町長・大野一造のあっせんで刈谷の現在地57,252坪を坪当り2円83銭で取得して建設に入った。 [17][18][19]

  • 豊田工機二十年(豊田工機・1961年)
    • [17]1941年(昭和16年)4月28日 トヨタ自動車工業本社で創立総会、公称資本金800万円・払込400万円、うち300万円をトヨタ自動車工業が現物出資、5月1日営業開始
    • [18]創立時の取締役社長に豊田利三郎、副社長に豊田喜一郎、常務に菅隆俊が就任
    • [19]工場用地は挙母と知立の中間案を地盤理由で断念し、刈谷町長・大野一造のあっせんで刈谷の現在地57,252坪を坪当り2円83銭で取得

1968年9月、豊田工機は自動車用パワーステアリングの開発に成功し生産を開始する。工作機械メーカーだった豊田工機が自動車部品の製造に乗り出し、トヨタ車向けパワーステアリング供給の地位を確立した。1977年10月にはアメリカ・イリノイ州にTOYODA MACHINERY USA CORPORATIONを設立し、米国での工作機械販売網を築き始める。トヨタ系の工作機械メーカーからトヨタ系のステアリングメーカーへ、豊田工機は事業の比重を移した。軸受という領域に踏み込まなかった豊田工機と、工作機械を手放した光洋精工は、1960〜70年代を通じて異なる事業領域を分担していた。 [20][21][22]

  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1968年9月 豊田工機が自動車用パワーステアリングの開発に成功し生産を開始
    • [21]1977年10月 米国イリノイ州にTOYODA MACHINERY USA CORPORATIONを設立
    • [22]1977年設立のTOYODA MACHINERY USA CORPORATIONは豊田工機の米国工作機械販売会社
  • 豊田工機二十年(豊田工機・1961年)
    • [13]創業者・豊田喜一郎は専用工作機械の自給のため工機部を分離独立させる必要があると考え、採算の苦しさを承知で独立を決意した
    • [14]1938年(昭和13年)制定の工作機械製造事業法と1936年公布の自動車製造事業法は同一会社が同時適用を受けられず、工機部の独立を早めた
    • [17]1941年(昭和16年)4月28日 トヨタ自動車工業本社で創立総会、公称資本金800万円・払込400万円、うち300万円をトヨタ自動車工業が現物出資、5月1日営業開始
    • [18]創立時の取締役社長に豊田利三郎、副社長に豊田喜一郎、常務に菅隆俊が就任
    • [19]工場用地は挙母と知立の中間案を地盤理由で断念し、刈谷町長・大野一造のあっせんで刈谷の現在地57,252坪を坪当り2円83銭で取得
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1941年5月 トヨタ自動車工業から金属工作機械の生産を目的として分離独立し豊田工機を設立
    • [16]豊田工機はトヨタ自動車工業から分離独立した企業(豊田喜一郎が主導したグループ内企業)
    • [20]1968年9月 豊田工機が自動車用パワーステアリングの開発に成功し生産を開始
    • [21]1977年10月 米国イリノイ州にTOYODA MACHINERY USA CORPORATIONを設立
    • [22]1977年設立のTOYODA MACHINERY USA CORPORATIONは豊田工機の米国工作機械販売会社

1973年の海外進出から1979年の経営危機へ

光洋精工は1973年11月、米国サウスカロライナ州にAMERICAN KOYO CORPとの合弁でAMERICAN KOYO BEARING MANUFACTURING CORPを設立し、米国現地生産を開始した。独立系軸受メーカーとしてグローバル展開を進める動きは、日本精工・東洋ベアリングに並ぶ国内3位級の軸受メーカーとしての存在感を反映していた。オイルショック後の円高局面を見据えて、需要地での生産体制を先行して整備する判断でもあり、後に続く欧州拠点展開の出発点ともなった。既存事業の効率化と新しい収益源の創出を両立させる動きが、1970年代の光洋精工の基調にあり、親会社を持たない独立系としてのスピード感で海外投資を次々と進めた。 [23][24]

    • [23]日本精工・東洋ベアリング(NTN)と並ぶ国内3位級(3強の一角)の軸受メーカーという位置付け
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1973年11月 米国サウスカロライナ州にAMERICAN KOYO CORPとの合弁でAMERICAN KOYO BEARING MANUFACTURING CORPを設立

だが光洋精工の独立路線は1970年代末に行き詰まる。1979年3月期(昭和54年3月期)に最終赤字68億8,200万円・累積損失88億6,900万円という大幅な赤字を計上し、全取締役がいったん辞任し、最大の取引先で大株主でもあったトヨタ自動車工業に支援を仰いだ。トヨタは社長以下5人の役員を送り込み、6月末の株主総会で池田巌社長は代表権のない会長へ退き、後任には『再建屋』の異名をとるトヨタ系の井村栄三・東海理化電機製作所社長が就いた。新体制は再建策『NL(ニューライト)80計画』を掲げ、旧徳島工場跡地など100億円超の資産売却や約1,200〜1,300人の人員削減、東京・高松工場の閉鎖といった減量経営を進めた。大阪発の独立系メーカーが事実上トヨタ傘下で再建を図るこの選択は、翌1980年の第三者割当増資によるトヨタの筆頭株主化へと直結した。 [25][26][27][28][29]

  • 経済展望 51巻13号(経済展望社・1979年7月)
    • [25]1979年3月期(昭和54年3月期)最終赤字68億8,200万円・累積損失88億6,900万円(銀行時評は前三月期88億6,900万円の赤字と記載)
    • [26]全取締役がいったん辞任し、トヨタ自動車工業が社長以下5人の役員を派遣。1979年6月末の株主総会で池田巌社長は代表権のない会長へ退き、井村栄三(東海理化電機製作所社長)が後任社長に就任
    • [27]再建策『NL(ニューライト)80計画』で期間損益の黒字化定着をめざし、旧徳島工場跡地など100億円超の資産売却・人員削減・東京/高松工場の閉鎖統合などの減量経営を実施
  • 銀行時評 13巻9号(銀行時評社・1979年9月)
    • [28]約1,200〜1,300人の人員削減(経済展望は前年度1,300人、銀行時評は前年1,200人近くと記載)
    • [29]トヨタは1979年時点で光洋精工の最大ユーザーかつ大株主であり、翌1980年の第三者割当増資で筆頭株主となった(1979年の経営支援が1980年の系列化に直結)

一方の豊田工機は、トヨタ車の海外生産拡大に追随する形で米国・欧州へと拠点を展開した。両社は軸受(光洋)とステアリング・工作機械(豊田)という得意領域を分けつつも、後輪駆動から前輪駆動への転換や電動パワーステアリングの登場など、自動車技術の変化に応じて製品群を広げた。同じトヨタ系列の中で異なる出自を持つ2社が、1970年代から1980年代にかけて並走していた構図であり、この二頭体制が21世紀初頭まで続いた。北米・欧州の双方に独自の拠点網を別々に構えた構造が、合併後の一体運営の難しさに直結し、後年の改革課題の原型を形作った。 [30]

  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]光洋精工は軸受、豊田工機はステアリング・工作機械を得意領域とし、トヨタ系列内で2社が並走した
    • [23]日本精工・東洋ベアリング(NTN)と並ぶ国内3位級(3強の一角)の軸受メーカーという位置付け
  • ジェイテクト 有価証券報告書 第125期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1973年11月 米国サウスカロライナ州にAMERICAN KOYO CORPとの合弁でAMERICAN KOYO BEARING MANUFACTURING CORPを設立
    • [30]光洋精工は軸受、豊田工機はステアリング・工作機械を得意領域とし、トヨタ系列内で2社が並走した
  • 経済展望 51巻13号(経済展望社・1979年7月)
    • [25]1979年3月期(昭和54年3月期)最終赤字68億8,200万円・累積損失88億6,900万円(銀行時評は前三月期88億6,900万円の赤字と記載)
    • [26]全取締役がいったん辞任し、トヨタ自動車工業が社長以下5人の役員を派遣。1979年6月末の株主総会で池田巌社長は代表権のない会長へ退き、井村栄三(東海理化電機製作所社長)が後任社長に就任
    • [27]再建策『NL(ニューライト)80計画』で期間損益の黒字化定着をめざし、旧徳島工場跡地など100億円超の資産売却・人員削減・東京/高松工場の閉鎖統合などの減量経営を実施
  • 銀行時評 13巻9号(銀行時評社・1979年9月)
    • [28]約1,200〜1,300人の人員削減(経済展望は前年度1,300人、銀行時評は前年1,200人近くと記載)
    • [29]トヨタは1979年時点で光洋精工の最大ユーザーかつ大株主であり、翌1980年の第三者割当増資で筆頭株主となった(1979年の経営支援が1980年の系列化に直結)

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ジェイテクトの沿革1921〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1921〜1979年光洋精工と豊田工機 ── 源流を異にする2社の歩み光洋精工社(ジェイテクトの前身)を創設、ベアリング生産を開始
池田善一郎株式会社に改組し光洋精工株式会社を設立
池田善一郎トヨタ自動車工業から分離独立し豊田工機を設立
池田善一郎大阪・東京証券取引所に上場
池田善一郎名古屋証券取引所に上場
池田巌光洋精工国分工場でステアリングの開発・試作を開始
池田巌ミシン・工作機械部門を分離し光洋機械工業を設立
池田巌豊田工機が自動車用パワーステアリングの開発に成功し生産を開始★★
池田巌AMERICAN KOYO BEARING MANUFACTURINGを設立
池田巌TOYODA MACHINERY USA CORPORATIONを設立
1980〜2012年トヨタ系列化と光洋精工・豊田工機の2006年大合併井村栄三減資(1980年7月末の資本の額を3/4減少)★★
井村栄三光洋精工の巨額赤字を受けたトヨタ自動車工業への支援要請と第三者割当増資

1979年3月期に68億8,200万円の最終赤字を計上した光洋精工が、全取締役の辞任を経て最大の取引先であるトヨタ自動車工業に支援を要請し、1980年の減資と第三者割当増資によってトヨタを筆頭株主に迎えた経営判断。

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★★★
井村栄三TRW INCとのパートナーシップでTRW KOYO STEERING SYSTEMSを設立
井村栄三豊田工機がテネシー州にTOYODA TRW AUTOMOTIVEを設立
井村栄三KOYO BEARINGS (EUROPE)を設立
井村栄三イリニイ市のSOCIETE DE MECANIQUE D'IRIGNYを子会社化
井上博司ルーマニアのRULMENTI ALEXANDRIAを取得
井上博司KOYO ROMANIAに商号変更
吉田紘司豊田工機・トヨタ・デンソーとの4社合弁でファーベスを設立
吉田紘司TRW KOYO STEERING SYSTEMSの持分を追加取得し子会社化
吉田紘司光洋精工と豊田工機の合併によるジェイテクトの発足

2005年2月に基本合意し同年5月に合併契約書を結んだ光洋精工と豊田工機が、2006年1月1日に合併して株式会社ジェイテクトとなった経営判断。軸受・工作機械・ステアリングの3事業が1社に集まった。

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★★★
横山元彦リーマン危機で純損失▲120億円に転落★★
横山元彦2期連続赤字下で決めた米ティムケンのニードル軸受事業の取得

リーマン・ショックで2期連続の最終赤字に沈んでいた2009年7月、ジェイテクトが米ザ・ティムケン・カンパニーのニードル軸受事業を約290億円で取得する売買契約を結び、同年12月に譲り受けた経営判断。

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★★★
横山元彦2期連続純損失▲194億円、営業利益は4億円とほぼ消滅★★
2013〜2023年安形・佐藤両社長在任中の改革と北米・欧州の採算上の負担安形哲夫安形哲夫氏が社長に就任
安形哲夫SONA KOYO STEERING SYSTEMSを子会社化
安形哲夫富士機工を完全子会社化★★
安形哲夫ダイベアを完全子会社化
安形哲夫コロナ直前の需要減で純損失▲38億円
佐藤和弘事業ブランドを「JTEKT」へ統一
近藤禎人近藤禎人氏が社長に就任
近藤禎人欧州ニードル・ローラー・ベアリング(NRB)事業を譲渡完了★★
出典・参考

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