曙ブレーキ工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

どの完成車メーカーにも過半を渡さない代わりに、技術は外から借り続けた。1960年10月、曙ブレーキ工業は米英仏3社と技術提携を締結し、岩槻製造所へ資本金の数倍を投じた。摩擦材1品目の供給から、ブレーキ装置全体を手掛ける会社へ移るためである。技術は契約で借り、量産の工場とテストコースだけは自前で建てた。新車組付用ライニングの占有率は約65%に達し、日産・トヨタ・いすゞ・三菱が株主に並びながら、いずれも決定権を持たない構成が保たれる。1986年10月にはGMとの合弁アムブレーキを設立して、四半世紀にわたる筆頭株主との関係を打ち切って米国生産へ移った。借りる相手を替えながら過半を渡さなかったことが、ほぼ全ての完成車メーカーへ納入できる立場を55年守った。

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