三菱石油との合併と日石三菱発足(1998年・ENEOS HDの決断)

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論点 単独の合理化を続けるか同業と合併するか
ENEOS HD:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
単独でのコスト削減の限界から選んだ、15年来の提携相手との一体化

何をなぜ決めたか:単独でのコスト削減の限界から選んだ、15年来の提携相手との一体化

概要

1998年10月28日、日本石油と三菱石油は翌年4月に合併すると発表した。日本石油が存続会社となり、1999年4月1日に三菱石油を吸収合併して商号を日石三菱に変更した。三菱石油の株主には新株239,350,767株を割り当て、資本金は11,967百万円増えた。発表の席に並んだのは、日本石油の大澤秀次郎社長と三菱石油の泉谷良彦社長である。

日石三菱は精製能力が日量134万8,000バレルの国内最大の元売りとして発足した。最初の期(2000年3月期)の連結売上高は3兆5,949億円で、合併前の2社の合計3兆4,257億円を上回った。ただし、合併関連費用5,102百万円を計上したこの期は、連結で4,858百万円の最終損失となった。

背景

両社の協力は合併の15年前から続いていた。1984年11月、日本石油は三菱石油と仕入・精製・物流・販売の4分野で業務提携を開始した。その少し前、三菱石油の株式の50%を持つ米ゲッティオイルがテキサコに買収され、テキサコは日本石油に三菱石油株の購入を打診した。日本石油はこの打診を断り、資本を持たない提携のほうを選んでいる。

合併の発表を急がせたのは収益の悪化である。1996年4月にガソリンの輸入が解禁され、元売りの間で価格競争が強まった。三菱石油は1997年3月期から3期続けて連結最終損失を計上し、1998年3月期の損失は35,969百万円に達した。日本石油は黒字を保ったものの、連結営業利益は1998年3月期の39,689百万円から翌期は27,897百万円へ減っていた。

内容

大澤秀次郎社長が挙げた合併の理由は、コストの削減だった。日本石油は1998年3月までの3年間で700億円のコストを減らしたが、次の3年で同じ額を単独で減らす見通しは立たなかった。大澤秀次郎社長は単独での合理化を 『コストダウンもだんだんと種切れしてくる』 と認め、三菱石油との合併で重複を消す道を選んだ。

発足後は重複した設備と組織の整理を急いだ。1999年7月に旧三菱石油の水島製油所を精製子会社の日石三菱精製へ移し、9月末には川崎製油所の原油処理を停止した。1999年3月末から2000年3月末までに、製油所は11カ所から9カ所へ、油槽所は82カ所から65カ所へ、地域の事業所は22から13へ減った。従業員は5,425名から4,602名になった。

含意

日石三菱が掲げた目標は、発足から3年で年間コストを860億円減らすことだった。最初の期だけで約500億円を減らし、3年目の2002年3月期には年間コストを約1,200億円、有利子負債を約3,200億円減らして、当初の目標(860億円・3,000億円)を超えた。連結営業利益は2000年3月期の29,304百万円から2003年3月期には96,586百万円まで増えた。

一方、価格を決める力は合併だけでは得られなかった。発足時のガソリン市場のシェアは23.2%で、エクソンモービル系の合計23.4%と並ぶ水準にとどまった。日石三菱は1999年9月に興亜石油を子会社化し、11月にはコスモ石油と業務提携を開始して合理化の範囲を広げた。2002年6月には新日本石油へ商号を変更している。

いつ何が起きたか 12件
考察:単独の合理化が尽きた先の合併
考察

考察:単独の合理化が尽きた先の合併

なぜ日本石油は、単独でも存続できる立場にありながら合併を選んだのか。当時の日本石油は黒字を保ち、精製能力も業界で最大だった。しかし、3年で700億円を減らした後に、同じ額を減らす当てはなかった。輸入の解禁で価格を上げにくくなった以上、利益を守る手段はコストの削減しかない。単独で減らせる分が尽きたとき、残る手段は相手の設備と組織を合わせて重複を消すことだったと考えられる。相手に選んだのは、15年の提携で互いの業務を知る三菱石油だった。発表から半年足らずで合併を実行できたのも、その蓄積があったからだろう。

もっとも、この合併は赤字の相手を引き受ける選択でもあった。三菱石油は1997年3月期から3期続けて連結最終損失を計上していた。日本石油が受け継いだのは、規模と設備だけではない。三菱石油の損失体質と、余った設備の整理も一緒に引き受けた。日石三菱が最初の期に最終損失を計上したのは、その負担が表に出たためとみられる。しかも、規模が大きくなっても価格を決める力が増すとは限らない。ガソリンのシェアはエクソンモービル系と並ぶ水準にとどまり、競争の構図そのものは変わらなかった。

結果からみれば、合併はコストの面で成功した。日石三菱は発足から3年で年間コストを約1,200億円減らし、当初目標の860億円を4割近く上回った。連結営業利益は2003年3月期に96,586百万円となり、合併前の2社の合計12,717百万円(1999年3月期)の7倍を超えた。一方で、合併は再編の終わりではなかった。日石三菱は発足した年のうちに興亜石油を子会社化し、コスモ石油とも提携した。2004年3月期には減損会計の早期適用などで最終損失を計上している。合併はコストの削減という狙いを達したが、収益を安定させるには追加の手を重ねる必要があった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

ENEOS HD:2社と日石三菱の連結売上高・営業利益の推移

日本石油・日石三菱の売上高(百万円)三菱石油の売上高(百万円)

2社の営業利益の合計は1999年3月期の12,717から2003年3月期に96,586へ

ENEOS HD:2社と日石三菱の連結売上高・営業利益の推移
(百万円) 日本石油・日石三菱の売上高三菱石油の売上高日本石油・日石三菱の営業利益三菱石油の営業利益 備考
1995年3月期 2,654,2081,117,12938,82444,199
1996年3月期 2,578,7171,120,84926,26932,443
1997年3月期 2,660,3801,197,50537,410△2,376 三菱石油が営業損失に転じた
1998年3月期 2,626,1561,147,90639,689△25,110
1999年3月期 2,406,3231,019,33427,897△15,180 1998年10月に合併を発表。2社の営業利益の合計は12,717
2000年3月期 3,594,911−29,304− 1999年4月に合併。日石三菱の最初の期
2001年3月期 4,076,890−70,079−
2002年3月期 3,949,571−75,231− 年間コストを約1,200億円削減し、当初目標を超えた
2003年3月期 4,187,392−96,586− 2002年6月に新日本石油へ商号変更
2004年3月期 4,279,751−55,918− 減損会計の早期適用などで最終損失133,526
出所:日石三菱 Annual Report 2000(2000年3月期)Six-Year Financial and Operating Summary / 新日本石油 ファクトブック2004 主要財務および事業データ
出所:日石三菱 Annual Report 2000(2000年3月期)Six-Year Financial and Operating Summary / 新日本石油 ファクトブック2004 主要財務および事業データ

ENEOS HD:精製能力の推移

日本石油・日石三菱(バレル/日)三菱石油(バレル/日)
ENEOS HD:精製能力の推移
(バレル/日) 日本石油・日石三菱三菱石油 備考
1995年3月期 810,000450,000
1996年3月期 872,000475,000
1997年3月期 872,000475,000
1998年3月期 893,000475,000
1999年3月期 893,000475,000 合併を発表。2社の合計は1,368,000
2000年3月期 1,348,000− 1999年9月末に川崎製油所の原油処理を停止
2001年3月期 1,348,000−
2002年3月期 1,227,000−
2003年3月期 1,217,000−
2004年3月期 1,272,000−
出所:日石三菱 Annual Report 2000(2000年3月期)Six-Year Financial and Operating Summary / 新日本石油 ファクトブック2004 主要財務および事業データ
出所:日石三菱 Annual Report 2000(2000年3月期)Six-Year Financial and Operating Summary / 新日本石油 ファクトブック2004 主要財務および事業データ
参考文献

参考文献

参考

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