三洋化成工業との経営統合発表と破談
なぜ対等統合の構想は実行段階で崩れたのか
更新:
- 概要
- 2019年5月、日本触媒は三洋化成工業との対等の経営統合を発表し、統合持株会社の傘下に両社が入る枠組みで2020年10月の統合完了を目指した。新型コロナウイルスの影響で2021年4月への延期を経て、2020年10月に三洋化成工業側からの申し入れで中止となった。
- 背景
- SAP市場の成熟化と新興国での紙おむつ普及という業界環境の変化のなか、日本触媒は欧州子会社NSEの慢性的な赤字という自社の課題を抱えていた。世界シェアで並び立つ両社の統合には、規模の結集によって大口顧客への交渉力を高める狙いがあった。
- 内容
- 統合は持株会社を新設し両社を完全子会社化する枠組みで、日本触媒の五嶋祐治朗社長が新会社社長、三洋化成工業の安藤孝夫社長が会長に就く人事とした。新型コロナの影響で2020年4月に延期したのち、同年10月に三洋化成工業側から中止が申し入れられた。
- 含意
- 統合準備の期間中に日本触媒の欧州事業が新型コロナの影響で急速に悪化し、2019年7月以降3度目の業績下方修正に追い込まれたことが、対等統合の前提だった業績見通しを崩した。統合の判断時点と実行段階とで業績が乖離するリスクを、対等統合という枠組みの脆さとともに示した事例である。
対等統合という枠組みの脆さ
この破談の核心は、対等統合という枠組みが、統合準備の期間中に生じた業績格差にどこまで耐えられるかという点にあったとみることができる。2019年5月の発表時点では、両社は世界シェアの拡大という共通の目的でまとまっていたが、統合比率の前提となる各社の企業価値は、準備期間の1年半のあいだに変わりうるものであった。日本触媒の欧州事業が新型コロナの影響で急速に悪化し、3度にわたる業績の下方修正を重ねたことは、対等統合の合意を支えていた前提そのものを揺るがした。
統合の発表からおよそ1年半後、日本触媒は2021年3月期に最終赤字108億円を計上し、欧州子会社NSEの設備減損119億円がその主因となった。統合という選択肢を失った日本触媒は、単独でのSAP事業の立て直しという、統合発表以前から抱えていた課題にあらためて向き合った。判断の時点で見積もった業績と、実行段階で現実となった業績が乖離したとき、対等統合という枠組みがいかに脆いかを、この破談は示している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
SAP市場における日本触媒の立ち位置
日本触媒は、紙おむつなどに使う高吸水性樹脂(SAP)で世界大手に数えられる化学メーカーであった。1985年にSAPの量産に乗り出した際は先行する三洋化成工業に7年遅れての参入だったが、アクリル酸からSAPまでの原料一貫生産体制を武器に、参入からわずか1年で国内生産量の首位に立ち、以来、世界最大の紙おむつメーカーであるP&Gを主要な顧客としてきた。三洋化成工業も同じSAP市場の大手であり、両社を合わせた世界シェアはおよそ3割に達していた。アジアなど新興国で中間層が拡大し、紙おむつの普及に伴って吸水ポリマーの需要が伸びる一方、成熟した市場では価格競争が強まっていた[1][2]。
もっとも、SAP事業の拡大は日本触媒に大口顧客への依存という別の課題も残した。P&Gのグローバルな紙おむつ事業の拡大に合わせて生産拠点を米国・欧州・アジアへ広げてきた結果、SAP輸出比率は売上の8割に達し、業績が単一の大口顧客の意向に左右されやすい構造となっていた。市場が成熟するなか、同業他社との規模の結集によって収益基盤を厚くする発想が、日本触媒の選択肢として浮上した[3]。
欧州拠点の慢性赤字とサバイバルPJ
日本触媒にとって、欧州拠点の収益悪化という自社の課題も統合の背景にあった。2015年、ベルギーの子会社NSEを通じて455億円を投じ、欧州でSAPとアクリル酸の新工場を新設する決定をした。しかし最大顧客P&Gの値下げ圧力でSAPの収益性は下がり、NSEは慢性的な赤字に陥った[4]。
2017年には「サバイバルPJ」を発足させ、2020年度までの4年間で設備投資900億円・戦略投資600億円・研究開発費570億円を投じてSAP事業の収益力回復と新規事業の創出を掲げるなど、単独での立て直しにも動いていた。規模の拡大による収益基盤の強化と、自力での構造改革という2つの道を、日本触媒は同時に模索する立場に置かれていた[5]。
決断
2019年5月の経営統合発表
2019年5月29日、日本触媒は三洋化成工業との経営統合を発表した。両社は統合持株会社を新設して2社をその完全子会社とする枠組みを採り、2020年10月をめどに統合を完了させる計画を示した。新会社の社長には日本触媒の五嶋祐治朗社長が就き、三洋化成工業の安藤孝夫社長は会長に回る人事とし、対等の統合であることを強調した[6]。
両社が掲げた統合の狙いは、世界シェアの拡大であった。中間層が広がるアジアなど新興国で紙おむつの普及が進み、吸水ポリマーの需要が伸びている市場環境を踏まえ、両社は経営統合によって規模を結集し、世界シェアの拡大を目指すとした[7]。
新型コロナによる延期とその後の推移
2020年4月24日、日本触媒と三洋化成工業は経営統合の延期を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大や原油価格の下落で事業環境の見通しが不透明になったためで、統合の期日を2020年10月から2021年4月へ先送りした[8][9]。
延期発表からおよそ半年が経過した2020年10月の段階でも、統合そのものが撤回される兆しは表立っては見えていなかった。実際に中止の決定は、発表の直前1〜2週間のうちに固まったと報じられており、両社が長く統合実現の方向性を維持し続けていたことがうかがえる[10]。
結果
業績下方修正の連鎖と統合中止
2020年10月21日、日本触媒と三洋化成工業は経営統合の中止を正式に発表した。申し入れたのは三洋化成工業側であった。新型コロナウイルスの影響で高吸水性樹脂の需要が落ち込み、日本触媒の足元の販売数量はおよそ1割減少していた。日本触媒は2019年7月以降、業績の下方修正を3度重ねており、三洋化成工業の安藤孝夫社長は「(経営統合の)前提条件が変わった」と述べ、日本触媒の五嶋祐治朗社長も「1〜2年先の事業環境が想定できない」と話した[11][12][13]。
破談の背景には、新型コロナウイルスの影響にとどまらない両社の戦略の違いもあったとみられる。日本触媒が既存のSAP事業のてこ入れを急いだのに対し、三洋化成工業は新型電池など新規事業の育成に力点を置いており、両社の成長戦略には温度差があった。世界シェアで並び立つ両社であっても、どの事業に経営資源を集中させるかという方向性の違いが、対等統合の合意形成を難しくしたと考えられる[14]。