創業1937年、大阪市西淀川区で㈱日本輸送機製作所の事業を継承して日本輸送機㈱が設立され、蓄電池式の機関車や運搬車の製造から出発した。同社は電池で駆動する電動車に資源を集中させ、1958年には日本初のリーチ式バッテリーフォークリフトを発売し、屋内で排気ガスを出さない電動フォークリフトの需要をつかんだ。1970年には無人搬送車にも乗り出し、電動と自動化の技術を早くから蓄えた。国内の屋内物流に強い一方、エンジン車と海外に強い三菱重工業とは正反対の強みを持ち、この補完が半世紀後の統合とグループ再編につながった。
- 歴史詳細 4章・4,149字
メインコンテンツ。一次資料をベースに歴史を紐解く
- 沿革年表 21件
主要な出来事を重要度別に時系列で整理
- 長期業績 2006〜2025年(20カ年)
有価証券報告書などの公開データに基づく長期データ
- 直近の業績
業績推移と経営体制
- セグメント情報 2014〜2024年(11カ年)
各事業の売上・営業利益・利益率の推移
- 歴代社長 5名
代表取締役社長・CEO の在任期間・経歴・在任中の施策
- 取締役一覧 2018〜2024年(7カ年)
取締役の構成バランスと社外独立性
- 大株主・株主構成 2015〜2024年(10カ年)
上位10名の入れ替わりと所有者区分7区分の推移
- 組織と給料 2011〜2024年(14カ年)
連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較
歴史詳細 - 4つの時代区分で読み解く
1937年〜2008年 蓄電池式運搬車から電動フォークリフト専業メーカーへ
日本輸送機の設立と電動車専業としての確立
1937年8月、大阪市西淀川区で㈱日本輸送機製作所の事業を継承した日本輸送機㈱が設立され、蓄電池式機関車・運搬車の生産販売を開始した[1][2]。3年後の1940年8月には京都府乙訓郡(現・京都府長岡京市)へ本社を移し、以後この地を生産と経営の拠点とする[3]。戦後の物流近代化とともに構内運搬機械の需要が広がるなか、同社は電池で駆動する電動車を軸に据え、当時主流だったエンジン式とは異なる道を選んだ。排気ガスを出さず屋内でも扱いやすい電動車は、倉庫や工場の構内物流に適していた。この電動への集中が、のちの三菱重工業との補完関係を生む素地となっていく。
1958年7月、同社は日本初のリーチ式バッテリーフォークリフトの生産を始め、屋内作業で排気ガスを出さない電動フォークリフトの分野を切り開いた[4]。倉庫や工場の狭い通路で荷を扱うリーチ式は、電動車の強みが活きる用途であり、同社の技術的な特色を決定づける製品となる。エンジン式が量の世界で先行するなか、日本輸送機は国内の屋内物流という土俵で電動車専業メーカーとしての立ち位置を固めていった。この選択が、海外・エンジン車に強い三菱重工業との後年の統合で「補完関係」と評される前提を用意した[5]。
株式上場と無人搬送車で広げた事業基盤
1961年10月、日本輸送機は東京証券取引所市場第二部・大阪証券取引所市場第二部と京都証券取引所に上場し、資本市場から成長資金を得る体制を整えた[6]。高度経済成長のもとで構内物流の機械化が進み、電動フォークリフトの需要は伸びていく。上場で調達した資金は、生産設備の増強と新製品の開発に振り向けられた。1971年2月には東証・大証の市場第一部銘柄へ指定替えとなり、上場企業としての格を上げた[7]。国内のバッテリー式フォークリフトで確たる地歩を築く一方、地盤とする国内需要は次第に頭打ちとなり、本格的な海外開拓が長らく課題として残る[8]。
1970年5月には無人搬送車の生産を開始し、決められた経路を自動で走る搬送機の技術に早くから取り組んだ[9]。工場や倉庫の省人化に応える無人搬送車は、電動車で培った制御の知見を土台とする製品であり、フォークリフトに次ぐ事業の柱となっていく。工場の自動化が進むにつれて、その重みは年を追って増していった。この時期に蓄えた無人搬送と自動走行の技術は、半世紀を経て同社が無人搬送車や自動化のソリューション事業を成長軸に掲げる際の源流となった。国内市場の成熟という壁に直面しながらも、電動と自動化という二つの軸で、同社は次の時代への布石を打っていく。
2009年〜2016年 三菱重工との提携・統合とニチユ三菱フォークリフトの誕生
資本提携から国内販売統合会社の設立へ
海外中心でエンジン車を得意とする三菱重工業と、国内中心でバッテリー式電気車を専業とする日本輸送機(ニチユ)は、互いの弱みを補う関係にあった[11]。三菱重工業は2007年6月にニチユへの出資比率を7.6%から20%へ引き上げて筆頭株主となり、翌2008年には両社の国内販売を集約する方針で合意する[10]。先進国では屋内向けの電動車が主流となり、伝統的なエンジン車を柱とする三菱重工業には販売面のテコ入れが欠かせなかった。格式を重んじてきた三菱重工業が、国内部隊をニチユ主導の新会社の下に置く選択に踏み切った点に、規模とシェアを優先する判断がうかがえる。
2009年4月、両社は国内のフォークリフト販売・サービス事業を統合してニチユMHIフォークリフト㈱を設立し、あわせて地域販売子会社15社を9社へ統廃合した[12]。三菱重工業の国内部隊がニチユの過半出資による新会社の傘下に入る形で、販売網の重複を解消していく。フォークリフトの世界需要は新興国を背景に拡大基調にあり、なかでも中国は日本の3倍を超える巨大市場へ成長していた[13]。単独での海外開拓が難しいニチユにとって、三菱重工業との連携は海外拡大への足がかりとなり、両社は国内統合を土台に次の段階の事業再編へと進む。
事業承継による世界3位群への浮上
2013年4月、ニチユは三菱重工業から吸収分割の手続きによってフォークリフト事業を承継し、同時に三菱重工業の連結子会社となった。あわせて社名をニチユ三菱フォークリフト㈱へ変更する[14]。三菱重工業は種類株を含めて全株式の64.75%を握り、世界8番手だった同社の事業を引き継いだニチユは、屋内向け電動車の強みに海外・エンジン車の事業を重ね合わせた[15]。屋内向け電動車で強いニチユと、海外・エンジン車で強い三菱重工業の組み合わせは、当事者から「パーフェクトな補完関係」と呼ばれた統合であった。
事業承継の効果は売上高に鮮明に表れた。連結売上高は承継前の2013年3月期の834億円から、翌2014年3月期には2058億円へと一気に膨らんでいる。年間販売台数は6万台強となり、トップの豊田自動織機や2位の独キオンには水をあけられながらも、世界3位群の一角へ浮上した[16]。バッテリー式の技術に加えてエンジン車と海外顧客基盤を得たニチユ三菱フォークリフトは、国内専業メーカーから世界市場を視野に入れるメーカーへと立ち位置を移していく。この規模拡大が、続くユニキャリア買収の布石ともなった。
まさに理想的な組み合わせ。パーフェクトな補完関係だ。
2016年〜2020年 ユニキャリア買収と三菱ロジスネクストへの改称
ユニキャリア取得から完全子会社化まで
世界シェアの上積みを狙う三菱重工グループは、産業革新機構・日立建機・日産自動車が出資して設立した持株会社ユニキャリアホールディングス㈱の買収に動いた[19]。2016年3月、三菱重工業の100%子会社である三菱重工フォークリフト&エンジン・ターボホールディングス㈱がニチユ三菱フォークリフトの親会社となり、同社はユニキャリアホールディングスの株式35%を取得する[17]。買収総額は1100億円を超え、残りの株式は三菱重工業が引き受けた[18]。日立建機系のTCMと日産フォークリフトの流れをくむユニキャリアの取り込みは、国内フォークリフト再編の総仕上げにあたった。
2017年1月、ニチユ三菱フォークリフトは持分法適用関連会社だったユニキャリア㈱の株式を親会社から追加取得し、100%子会社とした[20]。これによりバッテリー式・エンジン式のフォークリフトから無人搬送機まで、複数ブランドを一つのグループに束ねる体制が整う。ニチユ・三菱・ユニキャリアという国内の主要な系譜が一社に集約され、豊田自動織機に次ぐ国内勢の中核が形づくられた。この追加取得は、2013年の事業承継から続いた段階的な資本集約の総仕上げにあたる。相次ぐ統合で規模を得た同社の次の課題は、拡大したブランドと海外拠点をいかに一体の企業として束ね直すかに移っていく。
三菱ロジスネクストへの改称とグローバル統括再編
2017年10月、ニチユ三菱フォークリフトはユニキャリア㈱の国内販売以外の事業を吸収分割で承継し、社名を三菱ロジスネクスト㈱へ変更した[21]。物流の次を担うという含意を込めた新商号は、複数ブランドを抱えるグローバル企業への転換を対外的に示すものとなる。統合の効果は数字にも表れ、連結売上高は2017年3月期の2710億円から、ユニキャリアを取り込んだ2018年3月期には4331億円へ拡大した。国内ではニチユ・三菱・ユニキャリアの各ブランドを併存させながら、相次ぐ買収で膨らんだ事業を一つの企業グループの下に整理し直す作業が本格化していく。
2018年4月には欧州統括会社を三菱ロジスネクストヨーロッパ社として再編し、米国統括会社の三菱ロジスネクストアメリカス社を設立して、欧米の販売・生産子会社をその傘下に置いた[22]。2019年から2020年にかけては米州で現地企業を相次いで子会社化し、海外販売網を厚くしていく。2020年4月には三菱重工業が中間持株会社を吸収合併して直接の親会社となり、国内販売会社も11社から9社へ再編した[23]。地域統括会社を軸とする体制づくりを通じて、買収で束ねた各ブランドをグローバルな一体運営へと近づけていった。
2021年〜2026年 コロナ禍からの最高益更新と投資ファンドによる株式の非公開化
価格適正化と円安が生んだ最高益の更新
新型コロナウイルスの影響と部品不足による出荷遅れで、連結売上高は2021年3月期に3914億円まで落ち込み、2019年3月期・2020年3月期には最終赤字も計上した。部材の供給制約と物流の混乱は、世界に生産・販売網を広げた同社の業績を大きく揺らす要因となる。その後は国内外での価格適正化と円安が追い風となり、業績は急回復へ向かった。とりわけ米州での部品不足の解消と受注残の消化が進んだことが、増収増益の推進力となっていく[24]。国内でも段階的な価格改定が浸透し、円安による海外売上高の押し上げも重なった。
2023年3月期の売上高は6154億円、続く2024年3月期は7018億円と過去最高を更新し、営業利益は426億円、親会社株主に帰属する当期純利益は275億円へ大きく伸びた。中期経営計画『LS23』は数値目標を全項目で達成し、同社は無人搬送車や自動化のソリューション事業を成長軸に据える中期経営計画『LT26』へ移行する[25]。一方で、中国製のリチウムイオン電池を搭載した車両の参入により、国内外の価格競争は激しさを増していた。かつて電動車専業として磨いた技術は、脱炭素と自動化を掲げる新中計のもとで改めて競争軸に据えられていく。
東証再編と投資ファンドによる株式非公開化
2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しにより、同社は市場第一部からスタンダード市場へ移行した[26]。この時点でも三菱重工業が過半の株式を握る親子上場の状態は続いており、少数株主との利益相反や資本効率をめぐる論点は長く残されていた。過去最高益を更新する一方で、上場を維持する意義そのものが改めて問われるようになる。三菱重工業にとっても、グループ全体のなかでフォークリフト事業の扱いをどう定めるかは重い課題であった。こうしたなかで、親子上場の解消が次の資本再編の最大の焦点となっていった。
2026年、同社は大きな転機を迎える。日本産業パートナーズ(JIP)系の合同会社が1株1537円で株式公開買付け(TOB)を実施し、2026年2月にこれが成立した[27]。スクイーズアウトの手続きを経て同年4月27日に東京証券取引所スタンダード市場を上場廃止となり、4月30日には商号を「ロジスネクスト㈱」へ変更する[28]。買付けの後は三菱重工業が再出資し、最終的な株主をJIPと三菱重工業の2社とする再編で、日本輸送機の設立から数えて89年にわたった上場企業としての歴史に区切りをつけた。非公開化のもとで、フォークリフトと自動化ソリューションの世界3位群という立ち位置をどう伸ばすかが次の課題となる。