1986年1月に高田明氏は父親が経営するカメラ店から分離する形で、長崎県松浦市に「たかた」を設立した。松浦市の平戸で順調にカメラ店を経営して年商1.5億円を達成したものの、ある事件がきっかけに島の世論が二分され、結果として売上高が半減する危機に陥った。
このため、高田明社長は顧客が固定されがちな平戸ではなく、人口が多く、思想信条によって商売が左右されにくい長崎県佐世保に店を移すことを決意したという。
長崎放送が街の店主に「商品紹介をさせる」というラジオ番組を企画し、高田明はこの企画に応募して参加。高田明はビデオカメラをラジオ放送を通じて紹介したところ、放送時間わずか5分で10台のビデオカメラを販売。この経験から、ジャパネットたかたは通販に活路を見出した。
ラジオ通販に続き、ジャパネットたかたはテレビ放送での通販事業に進出。深夜時間帯に30分「ジャパネットたかたテレビショッピング」の番組放映を開始
通販番組を見ている方の大半は商品の細かいスペックや操作方法にはあまり関心がない。多くのお客様の興味は『その商品が生活のどんな不便を解消し、どんな快適さをもたらすか』にあるから、番組でもそこに焦点を絞るようにしている。自分の仕事は、モノを売ることではなく、人々の生活を潤わせ、楽しくするきっかけを提供すること...(中略)...モノを買うという行為は、生活の中で生じた何らかの問題解決手段を入手する行為にほかならない。このため『その商品を買えば、どんな問題がどう解決されるのか』がクリアに提示されればされるほど、人間は購買意欲をかき立てられる。その意味で、機能説明ではなく、購入後の顧客の生活の変化を訴える方法は、通販以外にも応用できる合理的な営業技術の一つだと思う
CSデジタル放送の開始を前に、ジャパネットたかたは数億円を投じて自社にテレビスタジオ「ジャパネットスタジオ242」を新設。通販番組の内製化を志向
2000年にジャパネットたかたは郵政省から「CSデジタル放送委託業者」認可を得て、2001年からCS放送でジャパネットたかたの専用通販チャンネルでの放送を開始した。
テレビ通販の拡大によりジャパネットは業容を拡大し、2003年には705億円を達成。実演販売する高田明社長は「いま、日本で最もモノを売る営業マン」(2003/3日経ベンチャー)と形容された。
2004年3月9日にジャパネット高田の顧客情報の流出が判明。流出原因は元社員による顧客情報の外部への持ち出しによる
2000年代を通じてデジタル家電(液晶テレビ)が各家庭に普及。2010年前後にはエコポイントなどにより大型テレビの販売が好調に推移し、ジャパネットたかたは6期連続の増収を記録
顧客満足を高めるために、外部委託していたコールセンター業務(福岡で1500名が従事)を内製化するために子会社を設立
液晶テレビが普及したことを受けて、ジャパネットたかたの売上高が低迷。2011年度から2期連続での減収に陥った