1951〜2022
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
29701億円
2022.12 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
1362億円
2022.12 | (親)当期利益

サントリー | キャッシュフロー

※数値は投資CFの値 | 単位:億円
CF 2009/12 2010/12 2011/12 2012/12 2013/12 2014/12 2015/12 2016/12 2017/12 2018/12 2019/12 2020/12 2021/12 2022/12
営業CF 1027 1394 1430 1301 1665 1576 2662 2526 2617 2503 3216 2313 2807 2444
投資CF -3889 -282 -797 -934 -2154 -14737 -2075 -623 -877 -1041 -1205 -1339 -1525 -1209
財務CF 2436 -606 669 -1002 2321 10779 65 -877 -1720 -2329 -2189 -106 -1783 -1317
出所:有価証券報告書

サントリー | 近年の財務および投資施策

※企業買収・自己株式取得など
2009
オランジーナ・シュウェップスを買収
3000 億円
買収価格
2013
サントリー食品インターナショナルの株式上場
3900 億円
資金調達
2013
グラクソ・スミスクラインの飲料部門を買収
2100 億円
買収価格
2014
Beam Inc.を1.4兆円で買収
1.42 兆円
取得原価
1899年〜

鳥井信治郎氏が創業。潤沢な宣伝費で合成酒「赤玉ポートワイン」を拡販

歴史考察

普及しつつあった「ぶどう酒」に着眼して創業

明治時代において、ワインは高級品であったため、日本国内では「ぶどう果汁」と「飲用アルコール」を調合した合成酒が「ぶどう酒」として普及していた。国内で神谷伝兵衛氏(合同酒精株式会社・現オエノンHD)が考案した「香竄葡萄酒(はちじるし・こうざん・ぶどう酒)」が薬用酒として販売されてトップシェアを確保していた。

この市場が拡大しつつある「ぶどう酒」に着眼した鳥井信治郎氏が、1889年に鳥井商店を大阪で個人創業したのがサントリーの歴史の始まりである。鳥井信治郎氏は薬種問屋に丁稚奉公していた経験があり、薬用酒を取り扱っていたことから、ぶどう酒の商売には馴染みがあった。

ぶどう酒を取り扱う発端は、鳥井信治郎氏と輸入商との偶然の出会いであった。鳥井信治郎氏は、偶然にも輸入商であったセレス兄弟商会の社長(セレス氏・神戸居住)と知り合い、スペインから樽酒の輸入に成功。大阪で瓶詰めをして「ぶどう酒」の販売を開始し、国内市場に後発参入した。

ぶどう酒の販売に苦戦。味付けに問題

ところが、スペイン産のぶどう酒が日本人の舌に合わない問題に直面し、販売に苦戦した。明治時代の日本人からすれば、スペイン産の本格的なぶどう酒は口に合わなかった。

このため、サントリーは創業から数年の間は苦境の時期が続き、順調な創業とは言い難いスタートとなった。

新聞広告を宣伝に活用した「赤玉ポートワイン」がヒット

1907年に鳥井信治郎氏はスペイン産のポートワインに着目し「赤玉ポートワイン」として発売した。小西儀助商店に奉公した頃に培った味ききを生かして、輸入ポートワインに、独自に甘味料を配合したぶどう酒を開発。この甘味料入りの葡萄酒を「赤玉ポートワイン」の独自ブランドとして発売した。価格は38銭(米5kg分の価格相当)に設定され、高級品として位置付けられた。

だたし、サントリーはぶどう酒市場において後発参入であったため、積極的な広告宣伝を展開して差別化を図った。大阪朝日新聞の紙面広告で「天然甘味・薬用葡萄酒!!赤玉ポートワイン」と訴求した。効能を押し出すために、医学博士による推薦文も添えるなど、マーケティングに注力することで販売を拡大した。

特筆すべきは、宣伝投資の規模であった。鳥井信治郎氏は新聞広告のコンバージョンを向上させるために、地方紙を含めて30紙の新聞にかかさずに目を通していたと言われている。広告出稿では大枠を確保できる1ページ広告を中心に実施し、掲載新聞の選択・時期・地域の決定も行っていたという。金額は非開示だが、相応の金額を宣伝費として投資したものと推定される。

なお、国内のぶどう酒市場では、戦前にサントリーが50%以上を確保したと言われ、酒類市場における広告宣伝の重要性を浮き彫りにした。

1923年〜

ポートワインの利益を原資に国産ウイスキーの製造に参入

歴史考察

ウイスキーの国産化に挑戦

大正時代を通じて赤玉ポートワインによって業容を拡大したことを受けて、創業者の鳥井信治郎氏は国産ウイスキーへの参入を決定した。ウイスキーの本場はスコットランドであり、日本を含めた東南アジアでは醸造実績がなく、未知なる分野に挑戦することを意味した。

ウイスキーは蒸留した原酒の仕込みから、製品化までに約6年以上の貯蔵が必要なため、経営リスクを伴う事業であった。このため、ウイスキーへの参入から数年間は赤字が続くため、容易に参入できる領域ではなかった。

なお、鳥井信次郎氏はウイスキーに参入した理由を明言していないが、赤玉ポートワインが「合成酒」であったため、本格的な酒類メーカーに発展することを目論んだと推定される。

参入から約27年にわたり苦境

1923年にサントリーは京都の山崎にて蒸溜所を新設し、国産ウイスキーの製造を開始した。ウイスキーの初出荷は1929年であり、約6年にわたって売上0円の時代が続いた。

そして、ウイスキー参入から6年後の1929年に「サントリー白札」を出荷し、国産ウイスキーの販売を開始。ウイスキーのブランドには「サントリー」の名称が採用した。ところが、日本人にウイスキーの味は馴染みがなく販売に苦戦。1937年に味を改良した「角瓶」を発売して味の問題を克服したものの、第二次世界大戦に巻き込まれたことで嗜好品であるウイスキーは販売中止を余儀なくされた。

ウイスキーの需要拡大は終戦後

サントリーのウイスキーが事業として軌道に乗ったのは、1945年の終戦後であった。日本に駐留した米軍向けにウイスキーを出荷して好評を博したことや、1950年にウイスキーの販売統制が解除されたことで国内販売が軌道に乗った。

このため、サントリーは1923年のウイスキー参入から、実際にウイスキーが市販されるまでに約6年(1929年「白札」)、味が受け入れられるまで約14年(1937年「角瓶」)、市場が拡大するまで約27年(1950年「ウイスキー販売統制の解除」)を要した。

1950年〜

ウイスキーで急成長。宣伝投資で国内シェア50%超を確保

1950〜1962
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
223億円
1962.3 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
n/a億円
1962.3 | 経常利益
1963年〜

ビール事業に本格参入するもシェアを奪えず。45年連続の赤字へ

1963〜1971
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
n/a億円
1971.3 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
n/a億円
1971.3 | 経常利益
1972年〜

経営安定化のために多角化を志向。清涼飲料に参入

1972〜1984
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
8515億円
1984.3 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
397億円
1984.3 | 経常利益
1985年〜

酒税法改正の値上げでウイスキー需要が急減。売上低迷へ

1985〜1991
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
8001億円
1991.12 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
109億円
1991.12 | 経常利益
1992年〜

清涼飲料への投資を継続。売上面で酒類事業を凌駕して主力事業へ

1992〜2000
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
14005億円
2000.12 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
737億円
2000.12 | 経常利益
2001年〜

国内市場の低迷で業績不振。グローバル展開を模索

2001〜2009
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
15507億円
2009.12 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
818億円
2009.12 | 経常利益
2010年〜

キリンとの経営統合を断念。飲料・食品事業を単独上場へ

2010〜2013
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
20402億円
2013.12 | 売上高
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
1205億円
2013.12 | 経常利益
2014年〜

Beam Inc.を1.4兆円で買収。グローバル展開で単独の生き残りを図る

2014〜2024
サントリー | 売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
売上高_経常利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)