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日医工の歴史

ジェネリック医薬品の老舗。海外の企業買収の失敗と、国内の品質不正という2つの失敗で債務超過へ。2023年に上場廃止予定
日医工の長期業績
1979〜2022

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 野田経済(1354), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1967 07月
*3
内外医師新薬株式会社を吸収合併
1967 06月
*2
医薬品の製造を開始
1968
*4
神経痛治療薬ダイメジンがヒット

神経痛治療薬が日医工として初のヒット製品になった1960年代後半を通じて「ダイメジン」に加え、ムチ打ち症治療薬「エルホーレン」、循環系調整薬「カリクロモン」の3つの製品が主力に育った。いずれも医家向け。

1978 07月
*5
株式会社田村薬品を吸収合併
1980 07月
*6
名古屋証券取引所第2部に株式上場
株式上場

株式上場を果たした。田村四郎(当時社長)は、技術及び直販網に対して、引き続き投資する姿勢を宣言

田村四郎(日医工・創業者)
出所 : 1980/8証券アナリストジャーナル
1981 11月
*7
大阪証券取引所第2部に株式上場
株式上場
1983 03月
*8
新総合研究所を新設
1985 06月
*9
東京医薬品工業株式会社を吸収合併
1986 06月
*10
南砺工場を新設
1986
*11
薬価引き下げで売上低迷へ

厚生省による薬価引き下げにより、売上高は100億円前後で横ばいで推移。1990年代に至るまで、日医工の業績は長期低迷を迎えた

1990
*12
新薬開発を本格化
Performance
1966〜1994
医薬問屋を経営する田村史郎氏が製造に進出するために創業。上場後は薬価引き下げで業績低迷

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 野田経済(1354), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1995
*13
新薬開発から撤退
事業失敗

1995年に新薬開発からの撤退を決断した。創業社長であった田村四郎氏が、会社を息子の田村友一氏に継がせるにあたって、不採算事業から撤退する考えがあったという

田村友一(日医工・当時取締役)
出所 : 2016/5 SMBCマネジメント
1996 08月
*14
富山第二工場を新設
1996 11月
*15
3期連続赤字を計上
業績低迷

FY1996〜FY1998にかけて赤字転落。新薬開発の撤退や、過剰な設備投資の影響

1998
*16
従業員約100名をリストラ

業績不振により従業員約500名のうち約100名を解雇

2000 02月
*17
創業家の田村友一氏が社長就任
創業

田村史郎氏の息子。当時38歳

2001 05月
*18
日本たばこ産業からOTC事業を継承
2001 11月
*19
自己資本比率8.2%に低迷

金融機関に対する有利子負債の返済を継続

2005 04月
*20
マルコ製薬株式会社を買収
2005 04月
*21
日本ガレン株式会社を吸収合併
2005 06月
*22
商号を日医工株式会社に変更

旧社名:日本医薬品工業

Performance
1995〜2008
創業家二代目の田村友一氏が社長就任。新薬開発から撤退して経営再建へ

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2009 06月
*23
連結子会社3社を合併。商号を日医工ファーマに変更
2010 11月
*29
新株予約権活用増資で130億円を調達

国内医薬品工場の設備投資に充当。

2010 05月
*25
フランスのサノフィと戦略的提携に合意

欧州の大手製薬メーカーであるサノフィと共同で日医工サノフィを設立。ジェネリック医薬品の取扱品目の拡大によって、日本国内での売上高拡大を目指した

田村友一(日医工・代表取締役社長)
出所 : 2016/5 SMBCマネジメント
2010 12月
*26
東京証券取引所第1部に株式上場
株式上場
2010 04月
*27
富山第一工場にHoneycomb棟を新設

グローバル品質管理センターとして設置

2010 04月
*24
富山第一工場にPentagon棟を新設

医薬品の製造棟。ジェネリック医薬品の市場拡大に対応

2013 04月
*28
富山第一工場にPyramid棟を新設

医薬品の製造棟。ジェネリック医薬品の市場拡大に対応

2014 04月
*30
アステラス製薬の富士工場を継承

日医工ファーマの静岡工場として稼働

2015 07月
*31
世界トップ10の目標を掲げる

従来は国内事業が中心だったが、グローバル展開を宣言。海外のジェネリック医薬品メーカーの日本参入を受けて、日医工は自らが海外展開することで防衛を図る

田村友一(日医工・代表取締役社長)
出所 : 2015/7/14ロイター
2016 08月
*32
Sagent Pharmaceuticals, Incを約730億円で買収

好調な国内ジェネリック医薬品に次ぐ事業として、グローバル展開を図る。資金は銀行からの借入調達による。(だが、巨額買収により財務体質が悪化し、2022年9月の日医工の債務超過の布石となった)

田村友一(日医工・代表取締役社長)
出所 : 2015/7/14ロイター
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2018 01月
*33
富山第一工場にObelisk棟を新設

医薬品の製造棟。ジェネリック医薬品の市場拡大に対応

2020 03月
*34
富山第一工場で品質不正の疑い
リスク

2020年2月に独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)と富山県は共同で、日医工の富山第一工場に対して抜き打ちの査察を実施したところ、品質不正の疑いが発覚した。

Performance
2009〜2020
ジェネリック薬品に本格投資。国内では製造設備を実施。海外では巨額買収を決断

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2022 03月
*36
富山第一工場の稼働再開が延期

日医工は不正が発覚した富山第一工場について、出荷再開が2023年秋以降になることを公表。生産品目が400品目と多く、評価試験が間に合わない事態に陥った。2021年3月の業務停止から2年以上にわたって工場が稼働できない状態へ

2022 03月
*37
最終赤字1049億円を計上
業績低迷
2022 05月
*38
国内及び海外で減損損失を計上
事業失敗
業績低迷
海外展開

日医工は、買収したSagent Groupにおいて開発中であった「バイオシミラー」と「オーフォンドラッグ製剤」の2つについて、米国において承認申請が遅れる見通しを公表した。これを受けて、IFRSにおける減損テストを通じて無形資産の減損損失の計上を決めた。

また、Sagentにおける新薬の生産拠点の稼働が中止されるなど、新薬の承認を前提とした経営計画が破綻した。

減損に関しては、開発費の面では、日医工において148億円、Sagentにおいて66億円を計上する見込みとなった。加えて、Sagent買収によって日医工に計上された「のれん」も減損対象となり、2023年4月における減損損失が、日医工で342億円、Sagent Gourpで279億円という巨額に及ぶことが公表された。

2022 05月
*39
第1回債権者集会を開催(ADR)

財務体質が悪化したことを受けてADRを申請し、受理されたことを受けて債権者集会を実施。メインバンクは三井住友銀行。

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2022 09月
*40
2022年9月末時点で356億円の債務超過
2022 11月
*41
JWPによる経営再建が決定。200億円の増資と上場廃止へ

投資ファンドJWPは日医工の経営再建に名乗りをあげた。日医工の200億円の増資を引受けて、株式の90%を取得する方針を明らかにした。資金用途は85億円を運転資金、115億円は富山第一工場の稼働に向けた設備投資に充当。また、株式90%が取得されること受けて日医工の上場廃止が確定し、株価が暴落した。

2022 11月
*42
創業毛の田村友一氏が代表取締役社長の引責辞任の意向
創業

創業家のトップとして長らく社長を歴任した田村友一氏が社長を引責辞任する意向を示した。これをもって日医工は田村家による経営に終止符を打った

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2022 11月
*43
第2回債権者集会を開催(ADR)
2023
*44
上場廃止を予定
Performance
2021〜2023
品質不正が発覚。国内では業務停止、海外では新薬の承認申請の延期へ。財務面でも債務超過に陥り上場廃止へ

■ 売上収益: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上収益_当期利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
40 References.