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森ビルの歴史

東京港区の大家さんとして知られる。地権交渉に約30年かかる大規模都市開発に圧倒的な強み
1955
*3
森不動産を設立
会社設立

森家の後継であった森泰吉郎は、当時、横浜市立大学の教授であったが、家業である不動産業を「ビル貸し」として発展させるために「森不動産」を設立。近代的な不動産業への転身を図る。

1959
*4
森泰吉郎が大学教授を廃業。森ビルの社長に就任して不動産業に専念

横浜市立大学の教授であった森泰吉郎は不動産業を本業に据えるため、安定した大学教授の職を辞して森ビルの経営に専念した。以後、森ビルは新橋・虎ノ門周辺の自社保有地に「ナンバービル」を相次いで建設し、貸しビル業者として頭角を表す。

森泰吉郎の発言
出所 : 1984/6/25日経ビジネス「利潤は追わずともついてくる・森泰吉郎氏」
1970
*5
年商21億円を記録

森ビルは虎ノ門および西新橋の周辺に大量のナンバービルを新設することで貸しビル業者として業容を拡大。森ビルは東京のオフィス市場において、三井不動産や三菱地所など、大手財閥系に次ぐ床面積を貸し出す大手不動産業者に変貌した。この結果、森ビルは1970年に年商21億円を記録する。

1971
*6
六本木赤坂地区の再開発を主導(アークヒルズ開発)

1971年に森ビルは大規模再開発に同社の将来を賭けた。東京の赤坂地区における都市再開発に民間企業として参画することを決め、住宅密集地を再開発することで、超高層オフィスを建設することを試みる。老朽化した木造住宅未収地帯は、火災リスクが高いことから、東京都などの行政も森ビルのような民間企業の再開発を後援したが、当該地区の住民は「前例のない再開発」を前に拒絶反応を示した。立ち退き交渉が成立するまで、結果として約10年の歳月が経過した。この間、森ビルは地域住民と溶け込み、徐々に再開発の必要性を住民に啓蒙するなど、地道な交渉を続けている。

1985
*7
アークヒルズ竣工

1985年に森ビルは大規模再開発の第一弾としてアークヒルズを竣工。オフィス、マンション、ホテルが併設した街を作り上げ、かつての不良住宅地区の付加価値向上に大きく寄与した。

1986
*8
六本木6丁目地区の再開発を主導(六本木ヒルズ開発)

アークヒルズの完成と前後して、森ビルは次なる大規模再開発の土地として六本木6丁目を選択。地権者の一人であるテレビ朝日とともに、アークヒルズの開発手法を踏襲しつつ都心部大規模再開発の第二弾に取り組んだ。

1989
*9
麻布台地区の再開発を主導

森ビルは大規模再開発を継続するために、麻布台地区(最初は我善坊地区)における再開発交渉を開始。以後、2019年頃までの約30年間にわたって地権者との交渉を通じて、住宅密集地域の再開発を目論む。

1993
*10
森泰吉郎が社長在任中に逝去

森ビルの創業者である森泰吉郎は高齢のために88歳で社長職のまま逝去した。以後、森ビルの経営は森泰吉郎の兄弟に引き継がれる。

1999
*11
森ビルから森トラストが分離独立

森ビルの創業者である森泰吉郎が逝去した後、森ビルの資産の遺産相続が問題となった。相続対象者である森稔と、森章は性格が全く異なることから、兄弟間で別会社を立ち上げることで旧森ビルの資産を継承する。そして、大規模再開発を主軸とする森ビル(森稔)と、不動産証券化などの金融業を主軸とする森トラスト(森章)の2社に分割された。

2003
*12
六本木ヒルズ竣工

2005年に森ビルは六本木6丁目地区の再開発の成果として六本木ヒルズを竣工した。六本木ヒルズには外資系証券会社のゴールドマンサックスや、インターネットベンチャーが入居して「ヒルズ族」という言葉が流行するなど、森ビルは日本の新しい文化の発信地の中心的存在となった。

2014
*13
虎ノ門ヒルズ竣工

終戦直後から虎ノ門で計画されていた大規模道路「東京都市計画道路幹線街路環状第2号線」の開発の見通しが立ったことを受けて、行政で道路の上に高層ビルを建設する計画が持ち上がった。この案件を森ビルが獲得し、虎ノ門ヒルズとして開業した。

2023
*14
麻布台地区の再開発完了(予定)。総事業費5800億円

2019年に麻布台地区の権利変換計画が認可され、当該地区が着工できる見通しが立った。2023年に森ビルは麻布台地区の再開発を完了する見込みで、超高層ビルが立ち並ぶ予定である。総事業費5800億円。