トランスコスモスの歴史

Last Updated: | Author: @yusugiura
歴史概要 1966年〜2022年

祖業はパンチカードのデータ入力代行業。その後コールセンターのグローバル展開で急成長を遂げた

1966
データ入力の受託ビジネスを起業

#創業経緯

1966年に奥田耕己は大阪にて丸栄計算センターを設立。コンピューターを使用した計算業務の委託業務を意図したが、実際にはデータ入力の代行ビジネスを主力に据えた。

当時はコンピューターは高額であり、コンピューターを使用した計算は資金力の豊富な大企業が大型コンピュータを導入するのが一般的で、中堅企業がコンピュータを活用することが難しい時代であった。そこで、計算業務の受託ビジネスが産業として勃興するが、いずれも参入障壁が低く倒産する企業が相次いだため、創業者の奥田はあえてデータ入力代行を主力事業に据える戦略をとった。

当時のデータ入力は、実質的にパンチカードの穴を開ける作業であり、女性従業員を雇うことで代行業務を実施していたという。

なお、データ入力代行の顧客は朝日新聞や大林組などであり、トランスコスモスは大企業受けの受託ビジネスを中心に据えていた。

1980
コールセンター業務に投資

#意思決定

1980年代から1990年代にかけて、トランスコスモスはコールセンター事業に集中投資をした。1995年には中国にコールセンターの拠点を新設し、人件費の安いアジアでコールセンター業務を請け負うグローバル体制を構築した。

トランスコスモスの特色は、技術サポートを充実させるために正社員を多く登用していることにある。トランスコスモスの顧客は自動車メーカーなど、コールセンター業務を通じて顧客の質問に答えるためには専門的な知識が欠かせなかった。そこで、トランスコスモスはコールセンターの従業員を正社員登用することで離職率を抑え、技術的な質問に対応できる体制を整えた。

この結果、トランスコスモスは自動車メーカーを中心に企業のコールセンター業務を受託することによって業容を拡大し、1989年に株式公開、1997年には東京証券取引所第一部への株式上場を果たし、コールセンターの大手企業として注目を集めた。

2002
ITバブル崩壊に伴い業績悪化へ

#業績悪化

2000年前後のITバブル絶頂期において、トランスコスモスはIT企業への投資を積極的に行い、光通信とソフトバンクと並んで急成長IT企業として注目を集めた。

だが、2000年までにITバブルが崩壊するとトランスコスモスの株価も暴落。IT企業への投資が軒並み失敗に終わったため、2002年3月期から2期連続の赤字を計上した。

また、業績悪化に関して、奥田耕己(トランスコスモス創業者)や奥田昌孝(トランスコスモス当時社長)は投資家に対して十分な説明を行わなかったとして、メディアから批判され、トランスコスモスは「奥田商店」として批判の対象になった。

2016
大規模な組織改革を実施し、デジタルビジネスの支援業務を強化

#意思決定

2010年以降、スマートフォンの普及によって顧客が求めるサービス内容が変化し、ECサイトにおけるカスタマーサービスなど、従来とは異なるニーズが生まれつつあった。

そこで、トランスコスモスはカスタマーサポートから営業やマーケティングまで、顧客のビジネスを一気通貫で支援する「DECサービス(D:ダイレクトマーケティング・E:ECワンストップ・C:コンタクトセンター)」の強化を決め、2016年に大規模な組織変更を実施した。

トランスコスモスとしては、価格競争の激しいコールセンタービジネスではなく、より複合的なサービスを提供することで、価格競争から脱する意図があったものと思われる。