フジテックの歴史

東洋オーチス出身の内山正太郎氏が創業。後発の劣勢を世界5極体制のグローバル展開で克服。しかし創業者の退任後は業績が長期低迷へ

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Author: @yusugiura
1948〜1963 - 創業経緯
エレベーターの専業メーカーとして創業。後発の独立系企業として営業に注力
1948 02月
会社設立
富士輸送機工業株式会社を設立
【内山正太郎氏が創業】 終戦直後の1948年に内山正太郎氏(当時30歳)が独立し、エレベーター製造メーカーとして「富士輸送機工業」を設立し、... 続きを読む
1950 10月
販売網
[*出所1-2]
神戸営業所を設置。以後、全国に営業所を新設
販売及び保守メンテナンスのために全国に営業所を設置。神戸に続き、数年以内に名古屋、広島、福岡、東京、札幌に営業所を新設
1956
設備投資
[*出所1-3]
塚本工場を新設
大阪市西淀川区に工場を新設。敷地面積は3300平方メートル。工作機械15台・工場従業員100名の体制でエレベーターを量産
1956
販売網
[*出所1-4]
東京営業所を東京支店に格上げ
本社が大阪である関係から、販売面で手薄であった関東地区への投資を開始。郵政省や日本専売公社など官公庁を顧客として開拓に成功(1969年9月期のエレベータ部門の売上のうち、官公庁向けは14.2%)
1959
業務提携
[*出所1-5]
富士電機と提携
モーター製造を依頼
1961
技術開発
[*出所1-6]
トランジスタ制御方式の開発を開始
欧州視察を通じて内山正太郎氏はエレベータの制御にトランジスタを応用できると判断。電子制御による高速エレベーターの研究開発を開始した
1963 05月
株式上場
[*出所1-7]
大阪証券取引所第2部に株式上場
Performance > 1948〜1963
1964〜1972 - 急成長
香港に進出。競争の激しい国内ではなく、グローバル展開で業容を拡大
1964
経営方針
[*出所2-1]
「世界は1つの市場」の理念を発表
内山正太郎氏は、香港など東南アジアの視察を通じて、高層ビルの需要増加を予想。1964年に「世界は1つの市場」という経営理念を発表し、グローバル展開を開始。まずは香港に現地法人を設立。創業者は1ヶ月で広東語をマスター
1964
海外展開
[*出所2-2]
香港に現地法人を設立
技術力を訴求したことで、香港最大のビル「サンヒンビル」への納入に成功。香港においてフジテックが業容を拡大する上で、重要な実績となった
内山正太郎(フジテック創業者)
内山正太郎(フジテック創業者)
2008 フジテック60年の軌跡
1965 01月
設備投資
[*出所2-3]
本社工場を新設
手狭になった塚本工場をはじめ、各生産拠点を集約するために大阪府茨木市に本社工場を新設。投資額8億円
1966 08月
海外展開
[*出所2-4]
シンガポールの政府系住宅開発局(HDB)との取引に成功
エレベーター300台の納入に成功。香港に続き、シンガポール進出の布石をうつ
1970 12月
業績好調
[*出所2-5]
エレベーター国内シェア3位(20%)
国内シェアは、1位三菱電機32%、2位日立製作所28%、3位フジテック20%、4位東洋オーチス15%。金額ベースと推察
Performance > 1964〜1972
1972〜1977 - 急成長
シンガポールに進出。政府系住宅との大口取引により業容を拡大
1972 08月
顧客確保
[*出所3-1]
シンガポールHDBから100億円を受注
エレベーター2000台の納入契約を締結
1972 09月
設備投資
[*出所3-2]
シンガポール・フジエレベーター・コーポレーションを設立
シンガポールでのエレベーターの現地製造子会社を設立。シンガポール開発銀行との合弁方式。フジテックは15億円の投資を決定する代わりに、5年間の免税特例をえた。ロイヤリティーとして生産売上高の4%をフジテックが徴収
1974 02月
商号変更
[*出所3-3]
商号をフジテック株式会社に改称
1974 02月
株式上場
[*出所3-4]
東京証券取引所第1部に株式上場
1977 03月
株式上場
[*出所3-5]
シンガポール預託証券を発行。シンガポール証券取引所に株式上場
2004年10月にシンガポール証券取引所から上場廃止
Performance > 1972〜1977
1977〜1986 - 巨額損失
念願のアメリカ市場に進出するも競争が激しく収益が悪化。巨額損失を計上
1977 07月
海外進出
[*出所4-1]
フジテック アメリカ INC.を設立
創業者の内山正太郎氏は、世界5極体制を掲げて米国に進出。将来的に米国を本社として位置付ける予定とし、日本拠点はフジテックグループの1拠点する構想を立てた
1978 12月
技術開発
[*出所4-2]
マイコン制御のエレベーターを実用化
1979 05月
海外進出
[*出所4-3]
フジテック アルゼンチーナ S.A. を設立
1979
業績好調
[*出所4-4]
無借金経営として脚光を浴びる
内山正太郎(フジテック創業者)
内山正太郎(フジテック創業者)
1979/10/8日経ビジネス
1980 01月
海外進出
[*出所4-5]
富士達股份有限公司(台湾)を設立
1981 06月
株式上場
[*出所4-6]
欧州預託証券(EDR)を発行。ルクセンブルク証券取引所に株式上場
2005年12月にルクセンブルク証券取引所から上場廃止
1981 10月
海外進出
[*出所4-7]
フィリピンに現地法人を設立
1982 05月
設備投資
[*出所4-8]
米オハイオ製作所を新設。投資額約100億円
敷地面積52万平方メートル(建屋面積2万平方メートル)。年間3000台を製造する大規模工場として新設する方針を発表。当初は1983年に稼働予定だったが、実際には1985年稼働となり2年遅れた
1982 06月
海外進出
[*出所4-9]
英国ロンドンに現地法人を設立
1985 04月
海外進出
[*出所4-10]
中国に北京事務所を新設
1986 09月
業績低迷
[*出所4-11]
オハイオ工場で納期遅延。160億円の最終赤字に転落
オハイオ工場関連で約140億円の損失計上。原因はオハイオ工場の稼働が予定より2年遅れ、先行受注に対して生産の納期が間に合わなかったことにあった。このため、違約金の支払い義務が生じ、巨額の貸倒引当金を計上。FY1986にフジテックは売上高276億円に対して160億円の最終赤字に転落した
Performance > 1977〜1986
1987〜1999 - グローバル展開
経営再建によりV字回復。ただし需要一巡で売上成長は頭打ちへ
1992 03月
業績好調
[*出所5-1]
金融収支の増大で利益率を改善
1992
組織変更
[*出所5-2]
エンジニアリング事業部を発足
保守点検を強化するために発足
1992
設備投資
[*出所5-3]
台湾の生産拠点を増設。投資額約50億円
1994
顧客獲得
[*出所5-4]
米国法人で42億円の大型受注
不振が続いていた米国で大型受注を獲得。西海岸の地下鉄駅舎向けに42億円を受注
1995
設備投資
[*出所5-5]
本社工場を滋賀県彦根市への移転を決定
130億円の設備投資を計画。稼働予定は当初1998年だったが、2000年に延期
1995 12月
海外進出
[*出所5-6]
華昇富士達電梯有限公司(中国・河北省)を設立
1997
設備投資
[*出所5-7]
中国の北京近郊に工場新設
1998
業績低迷
[*出所5-8]
国内向け販売で苦戦
バブル崩壊によりゼネコン危機により国内で需要減少。一方で東南アジアでは順調に成長
1999
組織再編
[*出所5-9]
製造・メンテナンス子会社を吸収合併
Performance > 1987〜1999
2000〜2012 - 業績低迷
創業者の内山正太郎氏が逝去。後継社長はグローバル展開を継続するも、業績低迷を打開できず
2000 04月
設備投資
[*出所6-1]
滋賀製作所を新設
2002 01月
海外進出
[*出所6-2]
上海華昇富士達扶梯有限公司(中国・上海)を設立
上海での現地生産を開始。合弁方式
2003 07月
キーパーソン
[*出所6-3]
創業者の内山正太郎氏が逝去
名誉会長の在職中に87歳にて逝去。ただし、引き続き創業家が社長として経営
2004
業績低迷
[*出所6-4]
欧州・米国事業でリストラを実施
米国及び欧州で業績不振を打開できず
2006 03月
設備投資
[*出所6-5]
滋賀県彦根市に本社研究棟と第2工場を新設
2006年4月に本社を大阪府茨木市から滋賀県彦根市に移転
2006 03月
資産売却
[*出所6-6]
旧本社跡地を閉鎖。一部敷地を売却へ
大阪府茨木市の旧本社工場を売却
2008 02月
販売体制
[*出所6-7]
東京本社を設置
首都圏における営業を強化
2009 03月
業績低迷
[*出所6-8]
最終赤字6.4億円を計上
リーマンショックにより国内事業が不振に。一方で東南アジア事業は好調に推移
Performance > 2000〜2012
2012〜2022 - 業績低迷
中国向けエレベーターの拡販で売上拡大に成功するも、数年で価格競争が激化。再び業績低迷へ
2013 04月
経営方針
[*出所7-1]
中期経営計画「Grow Together」を公表
FY2013-FY2015の計画を公表。日本及びアジアにおける投資を拡大する方針。とくに中国では従来の北京・上海地域だけではなく、広州・重慶・成都での販売にも注力し、内陸部では新規代理店の開拓を重視
2011
設備投資
[*出所7-2]
インドでの現地生産を開始
2014 03月
業績好調
[*出所7-3]
大幅増収。売上高1470億円へ
中国事業を中心とした海外事業が好調
2017 03月
業績低迷
[*出所7-4]
増収記録が途絶して減収へ
中国における価格競争が激化。フジテックの売上高は低迷へ
2020 08月
企業買収
[*出所7-5]
Amalgamated Lifts Limitedを買収
イギリスに拠点を置くエレベーターの販売・保守企業を買収。買収金額は非開示
Performance > 2012〜2022
2022〜2023 - ガバナンス
大株主の投資ファンドがガバナンス不全を指摘。創業家の内山社長は退任へ
2022 05月
ガバナンス
[*出所8-1]
投資ファンドのOasisが株式7.29%を取得
大量保有報告書にて公表。取得金額は160億円。保有目的は「純投資・重要提案行為等を行うため」とし、株主提案を示唆
2022 05月
ガバナンス
[*出所8-2]
大株主のOasisが「フジテックを守るために」の資料を公表(1回目)
内山社長がフジテックの資金を私物化した疑いたあると指摘。社長退任を要求した
2022 06月
社長交代
[*出所8-3]
内山高一社長が緊急退任
株主総会の1時間前に内山社長が退任(社長選任議案の撤回)を発表
2022 08月
企業買収
[*出所8-4]
第三者委員会を設置
大株主のOasisが指摘した関連当事者取引について、追加調査を開始
2022 08月
企業買収
[*出所8-5]
Express Lifts Limitedを買収
インドのエレベーター製造・保守メーカー(売上高約14億円)を完全子会社化。買収価格は非開示
2022 11月
業績低迷
[*出所8-6]
業績予想を下方修正
営業利益・経常利益・当期純利益において21%〜31%の下方修正。主要因は国内事業と中国事業における原材料価格の高騰
2022 11月
ガバナンス
[*出所8-7]
Oasisが株式17.26%の保有を報告
株主の正式名称はOasis Management Company Ltd. 2022/5/18の異動前の保有比率が9.92%に対し、2022/11/29の異動後の保有比率が17.26%に増加
2022 12月
ガバナンス
[*出所8-8]
大株主のOasisが「フジテックを守るために」の資料を公表(2回目)
Oasisは「フジテックの現社外取締役は、コーポレート・ガバナンスの毀損を長年放置し、さらに、株の最も基本的な権利である議決権を奪い、内山氏を株主に対して説明責任を負う取締役から説明責任のない会長として無暗に昇進させました」(2022/12Oasis「フジテックを守るために」)として批判
2022 12月
ガバナンス
[*出所8-9]
大株主のOasisが臨時株主総会の招集を請求
請求者はOasis Investments Ⅱ Master Fund Ltd.およびOasis Japan Strategic Fund Ltd.主に社外取締役6名の解任と、新たに7名の社外取締役の専任を要求
Performance > 2022〜2023
1948
Report

富士輸送機工業株式会社を設立

会社設立

内山正太郎氏が創業

終戦直後の1948年に内山正太郎氏(当時30歳)が独立し、エレベーター製造メーカーとして「富士輸送機工業」を設立し、大阪市西区に本社を構えた。大阪で創業した経緯から、創業期は関西地区を中心にエレベータの事業を拡大する。

エレベーターの修理を請け負う

内山氏は外資系のエレベーター会社である東洋オーチスに勤務した経験があり、当時はまだ普及していなかったエレベータで起業を果たした。ただし、創業当初は資本力に乏しかったため、エレベーターの製造ではなく修理を主に手掛けていた。

創業期の主な顧客は、進駐軍MP、インターナショナルスクール、三越百貨店など。特に、三越百貨店では深夜のメンテナンス作業を請け負っており、内山氏が作業を率先。過酷な労働環境であった。

1949年には乗用エレベーターを山下汽船(神戸本社)に納入し、エレベーターの製造会社に転身した。創業2年目にエレベーターを開発できた理由は、内山正太郎氏が、東洋オーチスでの勤務経験を経ており、エレベータに熟知していたためと推察される。

後発参入の不利を営業努力によって克服

エレベータは普及途上にあったものの、既に戦前から三菱電機などの先発企業が存在しており、フジテックは後発企業であった。このため簡単に受注できる環境ではなく、フジテックは粘り強い営業努力が求められた。創業者の内山正太郎氏は、自ら率先して新築ビルをターゲットに徐々に顧客を拡大していった。

その後、高度経済成長期を通じて日本で雑居ビルが新築されたことで、後発のフジテックも売上を拡大できる余地が生まれた。

なお、フジテックにおいて、1969年9月期末時点における従業員数821名のうち、工場に約464名、支店営業所に約250名、本社に115名が配属。メーカーでありながらも営業体制を充実させた点に特色がある。

内山正太郎(フジテック創業者)

うちは毎日が背水の陣なんだ。実績が乏しい中で、既存の大手に勝つには、相手の3倍も5倍も努力しなければならない。並大抵の努力では、このハンディを乗り越えることはできない。とにかく技術を見てくれ!と何度も足を運び、粘り強く説得することで、少しずつ得意先を増やしていこうじゃないか!

1979/10/8フジテック広報部

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[*1-7]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*3-3]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*3-4]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*3-5]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-1]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-3]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-4]
1979/10/8
日経ビジネス「内山正太郎氏が語る中堅企業の多国籍化戦略・編集長インタビュー」
[*4-5]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-6]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-7]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-9]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*4-11]
1987
会社四季報(新春号)
[*5-1]
1991
会社四季報(秋号)
[*5-2]
1992
会社四季報(秋号)
[*5-3]
1993/12/13
日経ビジネス「フジテック・国内外7工場で生産分担」
[*5-4]
1992
会社四季報(秋号)
[*5-5]
1992
会社四季報(秋号)
[*5-6]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*5-7]
1997
会社四季報(新春号)
[*5-8]
1997
会社四季報(新春号)
[*5-9]
1999
会社四季報(秋号)
[*6-1]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*6-2]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*6-3]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*6-4]
2004
「会社四季報(春号)」
[*6-5]
FY2005
フジテック「有価証券報告書」
[*6-6]
FY2021
フジテック「有価証券報告書」
[*6-7]
2008
「会社四季報(春号)」
[*6-8]
FY2021
フジテック「有価証券報告書」
[*7-1]
FY2014
フジテック「アニュアルレポート」
[*7-2]
FY2014
フジテック「アニュアルレポート」
[*7-3]
FY2013
フジテック「有価証券報告書」
[*7-4]
FY2016
フジテック「有価証券報告書」