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ミツカンの歴史

高収益企業だが国内売上高は長期低迷。グローバルで巨額買収を決断するも利益率が低下

主な投資決議

○支出を伴う重要な意思決定
1954年月
食酢の瓶詰めラインに設備投資
n/a
瓶詰めラインの自動化投資
1958年月
東京工場を新設稼働
5億円
東京工場の新設
1981年月
米AIC社を買収(食酢の海外展開)
13億円
AIC社の取得価格
1997年月
朝日食品株式会社に資本参加(納豆に新規参入)
n/a
2011年月
旭松食品から納豆事業を買収
n/a
2015年月
米パスタソース事業を買収
2150億円
パスタブランドの取得価格
ミツカンの長期業績
1983〜2022

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 企業と広告 10(12)(113), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1884
*2
ミツカンの商標制定

商標条例の制定を受けて、他社製品との差別化を図るために商標を制定。東京の歌舞伎で関係者1500名を集めてPRするなど、酢の販売拡大を目論んだ

1889
*3
ビール事業に参入(撤退済)
新規事業
事業失敗

明治時代後半にビール醸造のブームとなり、ミツカン(4代目・中埜又左衛門)はビール事業に参入。「カブトビール」の商標で本格的な醸造所を半田に新設し、好況期には国内シェア5位を確保。だが、競争激化により撤退へ

1901
*5
銀行事業に参入(撤退済)
新規事業
事業失敗

明治時代後半に銀行を設立。酢の醸造業で稼いだ利益を活用し、半田における地域金融業に参入。だが、第二次世界大戦中の1938年に伊藤銀行(東海銀行)に吸収合併されてい消滅へ

1924
*4
株式会社中埜酢店を設立
会社設立

個人事業から株式会社に組織転換

1945 08月
*6
戦災を回避

第二次世界大戦期において、酢の醸造における競合他社(マルカン)が都心部の工場を被災して営業停止となったのに対して、ミツカンは都心部から離れた半田に立地していたことで空襲による被災を最低限となった。この結果、競争優位へ

1952 08月
*7
中埜又左エ門(7代目)が社長就任

中埜又左エ門(当時30歳)が創業家7代目としてミツカンの社長に就任。以後、2002年に逝去するまでミツカンの経営に従事し、食酢の近代化、加工食品への進出、海外進出など、事業の積極展開を行なった

Performance
1804〜1953
江戸市場向けの酢で業容を拡大。愛知県半田の名家に発展し、銀行業やビール醸造にも参入

■ この間の売上は不明です※

■単体 | ■連結

■ この間の利益率は不明です※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1954
*8
食酢の瓶詰めラインに設備投資

半田(愛知県)と尼崎(兵庫県)の2工場において、瓶詰ラインを稼働。食酢を量り売りではなく、瓶詰めにより販売することで品質を担保。1960年代のスーパーマーケットの台頭とともに、ミツカンが家庭用食酢でシェアをキープする原動力となった

中埜又左エ門(ミツカン創業家・7代目)
出所 : 1995/3 食品の包装(26)2
1958
*9
東京工場を新設稼働
5
億円
東京工場の新設

関東市場に本格進出するために東京工場を新設。投資額は5億円で借入金により調達。ミツカンの純利益100年分に相当する投資であり、社運をかけた設備投資となった。

中埜又左エ門(ミツカン創業家・7代目)
出所 : 1982/2 総合食品5(9)(57)
1964
*10
味ぽんを発売

食酢から多角化するために調味料に本格参入。「味ぽん」を発売することで、食酢に頼るビジネス構造から脱却し、食品加工メーカーに転身した。

1968
*11
純正食品キャンペーンを展開
マーケティング

ミツカンは品質を重視する姿勢を鮮明にし、合成酢が主流だった業界に一石を投じるキャンペーンを展開。同業者から脅されつつも、醸造酢を消費者にアピールし、競合他社を牽制した。この結果、ミツカンの姿勢は消費者から支持され、食酢の販売をさらに伸ばした

中埜又左エ門(ミツカン創業家・7代目)
出所 : 1995/3 食品の包装(26)2
Performance
1954〜1970
酢の大量生産に巨額投資。瓶詰めの合理化でスーパー向けシェアを確保

■ この間の売上は不明です※

■単体 | ■連結

■ この間の利益率は不明です※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1971
*12
経営方針として「超酢作戦」を発表

1964年の味ぽんの発売以来、食酢からの多角化を進めていたが、1971年に経営方針として「超酢作戦」を策定。酢以外の加工食品の比率を向上し、全社売上高1000億円を目指すことを公表した。以後、ミツカンは、加工食品(調味料・おむすび・チラシ寿司の素・納豆)への投資に注力

1979
*13
「しゃぶしゃぶのたれ」を発売
1982
*15
おむすび山を発売

ふりかけ・茶漬け領域に本格参入。先発の丸美屋食品と永谷園を追随するために、ご飯に振りかけるのではなく、お弁当のおにぎり向けに最適化した製品を展開。同時に積極的な販売促進(テレビコマーシャル)への投資を実施した。この結果初年度から年間20億円の売り上げを達成

1983
*16
売上高1000億円を突破
業績好調

1983年ごろまでに食酢以外の売上構成比が44%を突破。味ぽんを筆頭とする調味料や、ふりかけ「おむすび山」の販売増加が売上増を牽引。FY1983にミツカンは売上高1000億円を突破した。

1988
*17
「追いがつおつゆ」を発売
1990
*18
「五目ちらし」を発売
Performance
1971〜1996
多角化と海外進出を開始。調味料や納豆に参入

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 企業と広告 10(12)(113), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1997
*19
朝日食品株式会社に資本参加(納豆に新規参入)
新規事業

納豆業界の競争激化によって債務超過に陥った朝日食品(納豆国内シェア3位)について、ミツカンは資本参加を決定。1998年に「金のつぶ」シリーズを発売し、納豆業界に本格参入した。以後、2000年代を通じてミツカンは納豆事業への投資を本格化させた

2000
*20
欧米企業の買収を本格化

2000年前後からミツカンは米国・英国の企業買収を本格化。手始めに2000年に米国スピーコ社(食酢メーカー)を買収。国内の食品市場が人口減少により頭打ちになる中で、成長の糧を海外展開に求めた。

2005
*21
米Holland Houseブランドを買収

米国の家庭用クッキングワインのブランドを取得

2011
*22
旭松食品から納豆事業を買収
2015
*23
米パスタソース事業を買収
2150
億円
パスタブランドの取得価格

ミツカンは北米でパスタ事業を本格展開するために、ユニリーバ傘下のコノプコ社からパスタソースのブランド2つ(rugaとbertolli)の取得を決定した。Raguは北米シェアNo.1であり、両ブランドによる売上高は約600億円であった。ミツカンの事業取得価格は2150億円であり、三菱UFJ銀行などの借入で捻出。なお非上場企業ミツカン(売上高約1600億円)によるグローバルな大型買収として注目を浴びた。

Twitterを読み込み中....
2019
*24
お家騒動スクープ
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2022 03月
*25
減収減益へ
業績低迷

海外事業の巨額買収によるのれん償却で収益性が悪化。国内事業は高収益を持続するが売上成長は低迷

2022 08月
*26
中埜和英会長が逝去

2002年から2014年までミツカンの社長を歴任した中埜和英氏が71歳で逝去

Performance
1997〜2023
納豆事業と海外買収を本格化。海外の巨額買収により利益率が低迷へ

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値