ひらまつ創業者の平松博利氏は、もともとフランス料理に興味がなかったが、パリを訪れた際にフランス料理に感動し、料理人としてのキャリアを歩み始めたという。
そして、パリから帰国した1982年に、席数24のレストラン「ひらまつ亭」を東京西麻布に開店。翌1983年には有限会社化した。
1980年当時、フランス料理は日本人にとっては馴染みがなかったため、ひらまつは日本におけバブル期の舶来品ブームという追い風も受けて、高級フレンチの先駆的な存在として注目を集めた。
1994年に本格的な事業展開をするために有限会社を「株式会社ひらまつ」に組織変更した。
この背景は、平松博利氏は料理人としてのキャリアを歩んできたが、将来独立を夢見ていた社員が急逝したことにショックを受けて、経営について勉強し始めたことが発端になったという。
1994年にひらまつは、レストランウエディングに参入し、この事業領域では日本の先駆的な存在となった。この参入にあたって、創業者は同業者から陰口を叩かれたというが、多くの人に美味しい料理を味わってもらいたいという思いで、参入を決意した。
従来の結婚式はホテルで行うのが一般的であったが、価値観の多様化によって結婚式の様式が多様化し、1990年代から2000年代にかけて、新しい結婚式形態を開発した企業が急成長を遂げた。
ひらまつは、結婚式において本格的なフレンチなどの料理を提供することを武器に、レストランウエディングによって業容を拡大した。
東京代官山にイタリアンレストランの「リストランテASO」を開店した。
以後、ひらまつは「フレンチ」と「イタリアン」の2つの業態を、主に都心部に出店することによって、レストラン事業で業容を拡大した。
リーマンショックにも関わらず、ウエディングの需要は衰えなかった。このため、ひらまつは業績好調を維持し、2010年前後には売上高経常利益率10%台を持続した。この結果、東証1部への上場を達成した。
引き続き、ひらまつは店舗網を拡大し、2012年9月期までに24店舗体制となった。
2013年9月期に、ひらまつは売上高114億円に対して、経常利益28.8億円を計上。8期連続の増収増益と、利益率25%を達成した。
利益率の向上によって、ひらまつは株式市場から評価され、株価が高騰した。
ひらまつの創業者である平松博利氏が社長を退任し、後任の代表取締役社長にひらまつの生え抜きである陣内孝也が就任した。
なお、提唱者は不明だが、創業者の退任に対して、ひらまつは平松博利氏に創業者功労金5億円を支払った。
創業者は、ひらまつの社長退任後は「ひらまつ総研」にて個人で経営を続けて、株式会社ひらまつとの関係性は絶たれたかに見えた。しかし、実際は経営に関与し続けたとされる(後述する調査報告書による)。
ひらまつ(陣内孝也・社長)は低迷していた売上成長を達成するために、ホテル事業への本格参入を決定した。2016年には賢島・熱海・箱根・沖縄の各リゾート地にホテルを新設した。
また、レストラン事業でも、手薄であった地方展開を本格化。2017年に京都高台寺に「レストランひらまつ」および和食料亭「高台寺 十牛庵」を開業するなど、店舗新設のための設備投資を積極化した。
この結果、2015年度から2016年度にかけて、ひらまつは投資を実施。設備投資の内訳は下記の通りである。
・京都高台寺・店舗新設:12億円
・三重賢島・ホテル新設:12億円
・静岡熱海・ホテル新設:13億円
・箱根・ホテル新設:15億円
・沖縄宜野座・ホテル新設:23億円
レストランウェディングを取り巻く競争環境が激化し、加えて店舗の新設に対して社員の育成が間に合わなかったため、ひらまつの業績は低迷した。
2017年に京都に新設した店舗を「ひらまつ総合研究所」に譲渡して実質的に撤退を試みるなど、資産の整理に追われた。
そこで、ひらまつは、経営の立て直しのために、アドバンテッジアドバイザーズと経営アドバイスに関する業務提携を締結し、アドバンテッジ系の投資ファンドから20億円の資金調達を実施した。
ところが、アドバンテッジによる経営再建の過程で、創業者に対する不透明な資金流出が発覚。
創業者が経営する「ひらまつ総研」との取引を停止したところ、逆に創業者がひらまつを提訴するなど、訴訟問題に発展した。
この結果、ひらまつは「創業者に関する訴訟問題」と「不透明な資金流用による会計処理」という2つの問題を抱えた。
創業者とひらまつとの係争に関して、外部の第三者から構成される委員会が「調査報告書」を公表した。
これによれば、創業者はひらまつの代表取締役の退任後も、ひらまつに対して「赤字補填のためのコンサルティング料の請求」や、「不要になったマンションの買取」を要求していたことが判明している。このため、外部調査委員会は「重大な背信行為」があったと結論づけた。
不透明な資金用途が明らかになったことで、決算報告書の提出が遅れたため、2020年12月にひらまつは「監理銘柄」に指定されて上場廃止の危機に陥った。
また、ひらまつの陣内社長は経営責任を取って2020年に退任し、後任には日本マクドナルド出身の遠藤久がひらまつの代表取締役の社長に就任した。社長交代によって、株式会社ひらまつと、創業家との間で、一定の距離を保つ意図があったと思われる。
その後、ひらまつは決算書を提出したことで、上場廃止は免れた。
新型コロナウイルスの流行の長期化に伴って、ひらまつでもレストランおよびホテル事業がそれぞれ打撃を受けた。
この結果、2021年3月期にひらまつは、売上高62億円に対して最終赤字41億円に転落した。財務状況も悪化し、2021年3月期末時点での現預金同等物の保有額は6億円(2020年3月期末のは46億円)へと減少した。
加えて、短期借入金は2021年3月期末時点で18億円を計上しており、現金による借金返済に懸念が生じる事態に陥った。
この結果、ひらまつは財務的な危機に陥った。