1985年に勧業電気は新工場を稼働したものの、期待したほどの大型受注を獲得することができなかった。勧業電気はサンプル出荷はしていたものの、メーカーからの正式発注がない状態で、新工場を稼働したことが仇となった。
特に、VTR向けの精密シートコイルの採用について、日立製作所からの信頼を裏切ったため(公式発表前に勧業電気が一方的に採用された旨を情報発信した)、日立からの受注が先細りになったことが影響したという。
このため、新工場は過剰設備となり、勧業電気の財務状況が悪化した。
勧業電気の最大の誤算は、円高ドル安の進行にあったと推察される。1985年のプラザ合意によって円高ドル安が進行すると、国内の製造業は安い人件費を求めて東南アジアでの生産を本格化した。モータなどの部品も東南アジアで生産される廉価品を活用するようになり、国内生産を主体とする勧業電気の精密シートコイルのモーターは割高な製品となった。
この結果、モータ業界においては「精密シートコイル」ではなく「東南アジアでの格安モーター」が重宝された。勧業電気が決定した「国内での量産」は、コスト競争力を削ぐ意思決定であり、結果としてグローバルなモーターの価格競争の趨勢に乗ることができなかった。
また、成長市場であったハードディスク向けに関しては、ベンチャー企業であった日本電産が顧客との共同開発体制を敷くことによってシェアを確保しており、勧業電気が付け入る隙がなかった。