JCBの歴史

三和銀行系のクレジットカード会社として創設。先発企業として国内加盟店をいち早く開拓して会員数を拡大。一方、海外では独自路線を選択するも加盟店政策の失策もあり苦戦。非上場企業

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Author: @yusugiura
1961〜1968 - 創業経緯
クレジットカードの再先発企業。ただし会員獲得と加盟店開拓で開拓に苦戦し、高所得者向けのサービス展開にとどまる
1961 01月
[*出所1-1]
会社設立
株式会社日本クレジットビューローを設立(JCB設立)
都市銀行であった三和銀行は、欧米で普及しつつあったクレジットカードの将来性に着目し、日本国内における参入を決定した。ただし、大蔵省は銀行が貸倒リスクの高いクレジットカードを事業化することに反対し、関連会社としてクレジットカード事業を開始。1961年にJCBを設立(出資比率は三和銀行50%:日本信販50%)した。社長には三和銀行出身の河村氏が就任。日本信販は加盟店開拓の役割を担う
河村良介氏(JCB・代表取締役社長)
河村良介氏(JCB・代表取締役社長)
1987/3月刊消費者信用
1961 03月
[*出所1-2]
サービス拡充
クレジットカードの発行を開始
JCBは会社設立と同時にクレジットカードの発行を開始した。8桁の数字を記載したプラスチックカードを発行し、JCBの加盟店で利用できるものであった。毎月15日締めの翌月10日一括払い方式。入金方式は銀行の口座振替による自動引き落としであり、任意の銀行口座から実施。JCBは貸倒リスク(踏み倒し)を最小化するために「一流企業の管理職かつ勤続10年以上」のサラリーマンに対してのみ会員を募集しており、クレジットカードは国内で急速に普及したわけではなかった
1964
[*出所1-3]
業績低迷
会員獲得・加盟店確保に苦戦。社内で悲観論も噴出
1960年代において、クレジットカードの普及は厳しい状況にあった。加盟店としては会員数がなければ契約すたるメリットがなく、会員としても加盟店で使えなければ意味がないため、加盟店・会員の両面における確保に苦戦。この結果、JCBの社内でもクレジットカードの将来性に悲観する声が高まり「会社の解散」(1980/12金融財政事情)も検討された
河村良介氏(JCB・代表取締役社長)
河村良介氏(JCB・代表取締役社長)
1988/12/19日経ビジネス
1965
[*出所1-4]
アメックスと提携
海外旅行者向けに短期(有効期限1ヶ月)のクレジットカードの発行をアメックスブランドで開始
1966
[*出所1-5]
日本信販と提携解消。三和銀行が株式を無理やり買取
三和銀行はJCBの利益を確保したい思惑があり、合弁相手であった日本信販に対して株式の買取を請求。日本信販は不承不承ながらも株式の売却を容認した。この時、日本信販はJCBに対して「分割払いには参入しない」ことを要求することで、銀行系であるJCBが、信販系クレジットカードの強みである「月々分割払い」に参入しないよう、約束を締結した。
山田光成氏(日本信販・代表取締役社長)
山田光成氏(日本信販・代表取締役社長)
1967
[*出所1-6]
子会社
新規事業
都市銀行が子会社を通じてクレジットカードに本格参入
住友クレジットの発足をはじめ、クレジットカードへを巡る競争が激化。競争を通じて世の中にクレジットカードの認知が広まり、日本国内でもカードの普及期に突入
1968
[*出所1-7]
JCB・OCBが合併。加盟店政策を変更
JCBは設立時に加盟店募集のために、東京地区にJCB・関西地区にOCBを設立した。両社の資本関係は微妙に異なっており、OCB(出資比率:三和銀行70%・大信販30%)は日本信販の競合である大信販が担う形であった。このため、営業におけるねじれを解消するために、JCBとOCBの合併を決定した
Performance > 1961〜1968
1967〜1981 - 爆速成長
クレジットカードへの認知度が高まり成長軌道へ。国内加盟店数で競合を圧倒
1968 06月
[*出所2-1]
サービス拡充
北海道拓殖銀行の加盟店での相互利用を開始
JCBは北海道での加盟店募集のために、北海道拓殖銀行と提携。HCBを設立し、JCBとの加盟店の相互乗り入れの業務提携を締結した。この経緯から、北海道地区に限って、JCBは別会社を通じて加盟店を管理する形となった。
1972
[*出所2-2]
業績好調
国内会員数100万名を突破
1974
[*出所2-3]
業績好調
年間カード取扱高1000億円を突破
1970年代を通じて日本国内ではクレジットカードが普及。JCBは加盟店数・会員数で国内トップ企業となり、銀行系クレジットカードで国内取扱高No.1を持続
朝長正軌氏(JCB・代表取締役社長)
朝長正軌氏(JCB・代表取締役社長)
[表] クレジットカード各社の概況
1978
[*出所2-4]
商号を株式会社ジェーシービーに変更
1980
[*出所2-5]
新規事業
JCBギフトカードを発行。前払いに参入
Performance > 1967〜1981
1981〜1998 - 海外展開
海外の加盟店政策で致命的失敗。海外会員数100万名目標も計画未達へ
1981
海外展開
独自の海外展開を決定。VISA・Masterに対抗
【海外への独自進出を決定】 1980年代を通じた海外旅行の普及とともに、クレジットカードにも「日本人が海外でも使うことができる」という機能が... 続きを読む
1983
[*出所3-2]
業績好調
会員数500万名を突破
1983
[*出所3-3]
キャッシングに注力しない方向性を表明
住友クレジットなどがキャッシングを収益源としたのに対して、JCBではキャッシングのサービスを提供するものの限度額を10万円に設定。多重債務者の発生を防止する観点から、JCBはキャッシングに慎重な姿勢を示した
谷村隆(JCB・代表取締役社長)
谷村隆(JCB・代表取締役社長)
1987 03月
[*出所3-4]
業績好調
取扱高1兆円を突破
JCBのカード会員数899万名、JCBの加盟店数71万店、会員1人あたり年間利用高は約12万円
1983
[*出所3-5]
業績好調
会員数1000万名を突破
1984
[*出所3-6]
カード桁数を11桁から16桁に変更
国際基準に準拠するための措置
1988
[*出所3-7]
サービス拡充
海外展開
代理店による海外加盟店の募集を開始。約100億円の投資
JCBは従来の自前で加盟店を開拓するスタイルから、代理店による海外加盟店の募集に舵を切った。代理店に支払う手数料として約100億円の投資を容認し、海外展開の加速を目論む
[表] 1988年時点におけるJCBの経営計画
1995
[*出所3-8]
サービス拡充
データ分析によるDM事業を開始
JCBはクレジットカードにおける購買履歴をもとに、ユーザーにダイレクトメール(手紙)を郵送するマーケティング事業に参入。某百貨店向けのDMによって来店率が10〜20%向上するなど、新しいマーケティングとして注目を浴びた。JCBはデータベースにおける相関関係を見出すことに、事業の付加価値を求めた。だが、1998年ごろにはクレジットカードの乱発により、各社が似たようなマーケティングを展開し、顧客管理に基づくDMの効果が薄れる結果になっている。
1998 01月
計画未達
海外展開
グローバルシェア2.0%。海外会員数で目標未達
【海外会員数の獲得目標は大幅未達へ】 1988年の時点でJCBは「1994年3月期までに海外会員数100万名を確保する」という目標を掲げてい... 続きを読む
Performance > 1981〜1998
2001〜2022 - 業績低迷
国内人口の頭打ちを受けて業績低迷。打開策を見出せず
2001
[*出所4-1]
サービス拡充
JCB分割払いのサービス提供を開始
2008
[*出所4-2]
2代目基幹システムを稼働。200億円の追加費用が発生
2004年からTISが主導して、IBMとともに基幹システムを新規に構築した。オンプレ構成で、主な言語はJavaとCOBOL(主にバッチ処理を担当)。ただし、当初の見積もりよりも200億円の開発費がオーバして稼働も遅延。TISは訴訟を視野に入れたが、当時の報道によれば最終的にJCBは80〜90億円の追加負担で和解したとされる。なお、TISも三和銀行系列の企業であり、JCBがTISに対して数%出資する関係
浜川一郎氏(JCB・代表取締役社長)
浜川一郎氏(JCB・代表取締役社長)
2010
[*出所4-3]
中国
中国銀聯と国内加盟店業務で契約締結
2014
[*出所4-4]
サービス拡充
JCBブランドによるデビットカードの取り扱いを開始
2015
[*出所4-5]
サービス拡充
JCBブランドによるプリペイドカードの取り扱いを開始
2019
[*出所4-6]
業績好調
国内会員数1億名を突破(累積)
2019 08月
[*出所4-7]
加盟店審査に機械学習を導入
2018年に施行された改正割販法への対応として、加盟店審査を強化。従来の初期与信はNTTデータのシステムを活用していた一方、途上与信では自動化が進んでいなかった(1日処理可能件数は10件/人)。そこで、主に途上与信において機械学習を導入。画像解析では銃などの禁止商品を判別し、自然言語処理ではNGワードの抽出に活用
2021
[*出所4-8]
ネットプロテクションズHDと業務提携を締結
BNPL(後払い)への参入を目論んだ提携。ただしVISAとPaidyが提携したタイミングから数年遅れる形であり後発となった
Performance > 2001〜2022
1961
Report

株式会社日本クレジットビューローを設立(JCB設立)

都市銀行であった三和銀行は、欧米で普及しつつあったクレジットカードの将来性に着目し、日本国内における参入を決定した。ただし、大蔵省は銀行が貸倒リスクの高いクレジットカードを事業化することに反対し、関連会社としてクレジットカード事業を開始。1961年にJCBを設立(出資比率は三和銀行50%:日本信販50%)した。社長には三和銀行出身の河村氏が就任。日本信販は加盟店開拓の役割を担う

河村良介氏(JCB・代表取締役社長)

当時、三和銀行から、アメリカに行ってカード業務をつぶさに学んで来た人が帰国し、その報告によって三和内部ではクレジットカードの将来性に、大いに着目はしていた。しかし、カードだけでなく、これからは銀行も企業以外にも、個人との取引の拡大を、様々な方法で実施に移していく時期だと考えてもいた。消費者信用というものが、将来の銀行業務にとって大いに重要性があるとすれば、新会社はカード以外のニーズにも応えられるものでなければならぬと考えて、クレジットビューローという商号を採用した

1987/3月刊消費者信用
1961
Report

クレジットカードの発行を開始

JCBは会社設立と同時にクレジットカードの発行を開始した。8桁の数字を記載したプラスチックカードを発行し、JCBの加盟店で利用できるものであった。毎月15日締めの翌月10日一括払い方式。入金方式は銀行の口座振替による自動引き落としであり、任意の銀行口座から実施。JCBは貸倒リスク(踏み倒し)を最小化するために「一流企業の管理職かつ勤続10年以上」のサラリーマンに対してのみ会員を募集しており、クレジットカードは国内で急速に普及したわけではなかった

1981
Report

独自の海外展開を決定。VISA・Masterに対抗

海外への独自進出を決定

1980年代を通じた海外旅行の普及とともに、クレジットカードにも「日本人が海外でも使うことができる」という機能が求められるようになった。この時、国際ブランドであるVISAとMasterは、それぞれJCBに接触して、海外展開で提携する打診があった。

これに対して、JCBは国際ブランドの申し出を断り、自前で海外の加盟店を開拓する道を選択。JCBとしてクレジットカードの2枚持ちが当たり前になるという読みもあった。この決定をもってJCBは、VISA・Masterに宣戦布告する形となる。

谷村隆(JCB・代表取締役社長)

日本のカードで唯一我がJCBだけが世界で通用するブランドだ。会員数、加盟店数ではビザ、マスターカード、アメリカンエキスプレスに次いで世界で4番目の地位にあり、すでにダイナースクラブを抜いている。従って、海外展開はあくまで独自にやる。ビザやマスターと提携して彼らの傘下でやっていくつもりは全くない

1988/12/19日経ビジネス
1995
Report

データ分析によるDM事業を開始

JCBはクレジットカードにおける購買履歴をもとに、ユーザーにダイレクトメール(手紙)を郵送するマーケティング事業に参入。某百貨店向けのDMによって来店率が10〜20%向上するなど、新しいマーケティングとして注目を浴びた。JCBはデータベースにおける相関関係を見出すことに、事業の付加価値を求めた。だが、1998年ごろにはクレジットカードの乱発により、各社が似たようなマーケティングを展開し、顧客管理に基づくDMの効果が薄れる結果になっている。

1998
Report

グローバルシェア2.0%。海外会員数で目標未達

海外会員数の獲得目標は大幅未達へ

1988年の時点でJCBは「1994年3月期までに海外会員数100万名を確保する」という目標を掲げていた。これに対して、JCBが実際に海外会員数が100万名を突破したのは1999年であり、計画に比べて5年遅れる形となった。

1981年から開始したJCBによる海外展開は、1998年にグローバルシェア2.0%という結果に終わった。このため、JCBは「海外で使いにくい国際カード」「日本人のための国際カード」(1998/1/19日経ビジネス)と呼ばれ、グローバル展開は頓挫した。

足で稼ぐ営業ではVISA・Masterに太刀打ちできず

問題は海外における加盟店開拓の効率の悪さにあった。VISAやMasterは現地の銀行など、有力企業と提携することで加盟店開拓を「外注」することでスケールしたが、JCBは自前での加盟店開拓を志向したためスケーラビリティーを確保できなかった。

VISAやMasterは、1970年代には日本に参入していたように、クレジットカードが普及途上にあった段階でグローバル展開を志向していた。この段階でクレジットカードの運営ノウハウに加えて、アクワイアラによる加盟店確保の仕組みを作り上げており、後発のJCBが参入する隙を与えなかったという事情もある。

遅すぎた代理店方式による加盟店開拓

1981年から海外加盟店の募集を開始したが、当初はJCBの社員が現地に赴いて1件1件開拓して行ったという。まずは日本人が集まりそうな地域の店舗から開拓し、場合によって社員がラクダに乗って僻地に訪れることもあった。このように足で稼ぐスタイルをとったものの、流石に効率が悪かった。

1989年からJCBは代理店経由の加盟店開拓も志向したが、すでに先発のVISAとMasterが市場を席巻しており効果に乏しかった。加盟店としても発行枚数の多いVISAやMasterといった先発ブランドとの契約を図ったため、後発のJCBが参入できる余地がなかった。

この結果、1998年ごろの取扱高において、JCBのグローバルシェアは2.0%という厳しい結果に直面した。この結果、業界関係者の間では「JCBは国際ブランドとしてやっていけない」(1998/1/19日経ビジネス)という共通認識が形成されたという。

2008
Report

2代目基幹システムを稼働。200億円の追加費用が発生

2004年からTISが主導して、IBMとともに基幹システムを新規に構築した。オンプレ構成で、主な言語はJavaとCOBOL(主にバッチ処理を担当)。ただし、当初の見積もりよりも200億円の開発費がオーバして稼働も遅延。TISは訴訟を視野に入れたが、当時の報道によれば最終的にJCBは80〜90億円の追加負担で和解したとされる。なお、TISも三和銀行系列の企業であり、JCBがTISに対して数%出資する関係

浜川一郎氏(JCB・代表取締役社長)

JCBのシステムは、TIS様を抜きにして語ることはできません。1989年に稼働を開始した「JET」、1008年に更改した「JENIUS」という2代の基幹システムは、TIS様との長年にわたる大型プロジェクトによって生まれたものです。このほか、オーソリゼーションや、最近ではモバイルペイメントのためのシステムなど、JCBの成長の歴史は、TIS様とともに取り組んだ様々なシステム開発の歴史であるとも言えるでしょう

Performance > Details

[表] クレジットカード業界の概況(各社単体の数値)
[表] 1988年時点におけるJCBの経営計画

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0 References.

[*3-1]
1988/12/19
日経ビジネス「JCB・国際化の単独路線いかに」
[*3-7]
1988/12/19
日経ビジネス「JCB・国際化の単独路線いかに」
[*3-8]
1995/12/14
日経ビジネス「データを上手に料理。休眠カード蘇らせたJCB」
[*3-9]
1998/1/19
日経ビジネス「JCB、苦悩する日の丸カード」