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売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
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税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
1969
3月

株式会社大塚家具センターを設立

創業者・大塚勝久氏について

大塚家具の創業者は、タンス職人であった大塚勝久氏である。春日部は家具生産が盛んな土地であり、大塚勝久氏もタンス職人の家に生まれ育った。ただし、大塚勝久氏は「家具製造」ではなく「卸・小売」を主体とし、優れた家具をコーディネートする部分に価値を置いた点で、独創的なビジネスを志向した。

大塚家具センターを設立

春日部駅前に店舗開業

家具の小売業に本格参入するため、1971年に春日部駅前に店舗を新設した。春日部駅は東武鉄道の主要駅であり、十分な来客が見込める土地柄であった。

百貨店を競合と想定

当時の家具業界では百貨店が主要な小売業として君臨しており、高級品として取り扱われていた。そこで、大塚家具は百貨店を介さずに自ら小売業を手がけることによって「百貨店よりも3割やすく家具を販売する」という方針を掲げることによって消費者の支持を獲得した。なお、大塚勝久は「三越の経営を私にやらせれば売上を倍にしてみせる」(1979/4/9日経ビジネス)と語り、百貨店業界からの顰蹙を買うなど、大塚家具と老舗百貨店の対立構造が鮮明となった。

1969年
3月
株式会社大塚家具センターを設立
1972年
春日部駅前に店舗開業
1977年12月
推定売上高20億円を達成
1978年
板橋店を開業。多店舗展開を本格化

東京進出の本格化に備えて、創業の地である埼玉県春日部から東京九段下に移転した。

発祥の地が埼玉県春日部という関係上、大塚家具は埼玉県内での出店が主軸であったが、多店舗展開を目指した。なお、大塚家具は大店法を避けるために、ボーリング場跡地やスーパー跡地を活用するなど、政治規制の範囲内で店舗の大型化を推し進めた。

1978年
板橋店を開業
1979年
本社を東京に移転
1979年
津田沼店を開業
1979年
荻窪店を開業
1981年
平塚店を開業
1986年
小平店を開業
決算
大塚家具の業績
1978年12月期(単体)
推定売上高
40
億円
1980年
株式を店頭登録銘柄として登録

1970年代を通じて首都圏の郊外に戸建て住宅が大量に建設されたことで、プレハブに適合した大型家具の需要が急伸し、大塚家具は急成長を遂げた。この結果、株式の店頭公開を果たす。

1998年12月
三越と業務提携を締結
2001年12月
過去最高益を達成

国内シェア1位(販売高1%)を確保。1999年度に家具関連企業が190社倒産する中で、大塚家具は過去最高収益を達成して注目が集まった

決算
大塚家具の業績
2001年12月期(単体)
売上高
712
億円
当期純利益
39
億円
2010年12月
3期連続の最終赤字に転落

2000年代を通じて戸建てにはクローゼットなどの収納が事前に備え付けられる家が一般化し、大塚家具が主戦場としてきた「大型家具」という市場の縮小が決定的となった。加えて家具業界では、東南アジアにおける調達に強みのあるニトリが急成長を遂げ、大塚家具を取り巻く競争環境が悪化。この結果、2008年に大塚家具は最終赤字に転落し、売上も伸び悩みに転じる。

2008年
12月
当期純損失を計上
-5.3 億円
2009年
12月
当期純損失を計上
-14.9 億円
2010年
12月
当期純損失を計上
-2.5 億円
決算
大塚家具の業績
2010年12月期(単体)
売上高
569
億円
当期純利益
-2.5
億円
2015年
大塚勝久氏が退任。大塚久美子氏が社長就任(お家騒動)

業績が伸び悩む大塚具では、創業者である大塚勝久と、創業者の長女である大塚久美子の間で意見対立が発生。最終的にはお家騒動に発展し、2015年に創業者の大塚勝彦が社長を退任した。

一連の社長交代の経緯は、親子間のお家騒動として注目を集めた。

決算
大塚家具の業績
2015年12月期(単体)
売上高
580
億円
当期純利益
3.5
億円
2021年8月
ヤマダ電機(ヤマダHD)が大塚家具を買収

ヤマダHDが大塚家具を買収。経営再建を図るも成果を残せず、大塚家具の吸収合併を決定

2019年
12月
ヤマダHDが大塚家具の株式51%取得
調達額 43 億円
2020年
8月
大塚久美子氏が代表取締役社長を退任
2021年
8月
ヤマダHDが大塚家具の株式100%取得
2021年
8月
東証ジャスダックを上場廃止
2022年
5月
ヤマダデンキが大塚家具を吸収合併
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