安藤・間 の歴史

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創業 1889年
創業者 安藤米吉・間猛馬
創業地 大阪府堺市
創業
1889年4月、官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された年に、日本鉄道を辞した技術者・間猛馬氏が福岡県門司で間組を個人創業し、鉄道建設の請負を足がかりとした。仙石貢氏ら帝国大学出の技術者や郷里高知の士族子弟の支援を受けて受注を広げ、本店を門司から下関を経て東京へ移す。1911年には日本初の潜函工事として鴨緑江橋を竣工させ、1917年12月に合資会社、1930年12月に資本金50万円の株式会社間組となった。1943年には日本初の海底トンネルである関門トンネルの下関工区を仕上げ、戦後は神部満之助社長のもとで1953年に米アトキンソン社との共同企業体で佐久間ダムを請け負い、ダムの名門として知られる。
決断
自前で足りない部分は、そのつど外から取り込んできた。1953年の佐久間ダムでは在来工法なら10年以上とされた工事を、米国から持ち込んだ重機械群の編成へ切り替えて3年で仕上げた。1990年代の経営危機では二度の金融支援でも本体の再建が成り立たず、2003年1月に約1,100億円の特別損失を計上して全取引金融機関46行へ支援を要請し、同年10月に会社分割で建設事業を承継会社・株式会社間組へ切り出した。含み損を抱える不動産は旧法人へ残し、承継会社は483億円の有利子負債と1,948人で再出発した。2012年5月には安藤建設との合併を発表し、1918年に株式会社安藤組として発足した建築の会社を迎えている。土木の間組を存続会社として建築の安藤建設を吸収したことが、上場建設会社で7番目という規模を作った。
現況
土木の名門として立った会社の売上は、現在6割が建築である。2026年3月期の連結売上高は4,396億円、営業利益336億円で、建築事業が売上2,622億円・利益243億円、土木事業が売上1,408億円・利益154億円、グループ事業が売上265億円・利益20億円を占める。1962年9月期の完成工事高は土木が62.4%だったから、構成は60年余りで入れ替わった。利益率では土木の11.0%が建築の9.3%を上回るものの、額では建築が3事業合計の58%を出している。2013年に迎えた建築が、現在は売上でも利益でも最大の事業になった。
競合
規模では大手に達しないまま、利益率だけが大手と並んだ。2026年3月期の営業利益率7.6%は、鹿島建設の7.9%、大林組の7.5%とほとんど変わらない。売上高4,396億円は鹿島建設3兆673億円の7分の1で、北米企業の買収を重ねて規模を拡大する大手に対し、安藤・間は国内の建築と土木に留まっている。競争の焦点は受注量ではなく、工事を担う人の確保へ移った。連結の平均年間給与は2018年度の848万円から2024年度の1,005万円へ上がり、2023年に就任した国谷一彦氏は人的資本の価値向上を中期経営計画の基本方針に据えている。若年層の離職と現場の高齢化が進むなかで、受注できる工事量は施工体制の人数が決めている。
安藤・間:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2004年3月期2026年3月期

創業ストーリー 間組の創業と戦後の電源開発――門司からダムの名門へ (1889年〜)

間組の創業と発展――門司に始まる土木の系譜

現在の安藤・間の法人格と上場は、1889年創業の間組[1]を母体として受け継がれている。創業者の間猛馬氏[2]は日本鉄道を辞して独立した技術者[3]で、官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月[4]、福岡県門司で個人企業として間組を創業[5]し、鉄道建設の請負を足がかりに[6]土木建築へ乗り出した。仙石貢氏ら帝国大学出の技術者や郷里高知の士族子弟の支援[7]を受けて受注の裾野を広げ、本店を門司から下関を経て東京へ移し[8]、全国規模で工事を手がける総合建設業者へ育った。1911年には日本初の潜函工事として鴨緑江橋を竣工させ[9]、翌1912年には電力土木事業へ参入した[10]

  • 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
    • [1]安藤・間の母体は1889年創業の間組
  • 間組百年史1889-1945 1989年「第1章間一族の命運」
    • [2]間組の創業者 間猛馬
    • [5]創業地は福岡県門司、個人企業として発足
  • 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
    • [3]間猛馬は日本鉄道を辞して独立した技術者
    • [4]創業は官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月
    • [6]創業の足がかりは鉄道建設の請負
    • [7]創業期の支援者は仙石貢ら帝国大学出の技術者と郷里高知の士族子弟
  • 安藤ハザマ 公式 沿革
    • [8]本店を門司から下関を経て東京へ移転
    • [9]1911年 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
    • [10]1912年 電力土木事業へ参入

個人企業として始まった間組は工事規模の拡大に合わせて会社組織を整え、1917年12月に合資会社へ改組[11]したのち、1930年12月に資本金50万円で株式会社間組を設立[12]し、翌1931年4月には合資会社間組を吸収合併して株式会社へ一本化した[13]。同じ1931年には地下鉄工事へ参入[14]し、都市土木へも受注を広げた。資本金は設立時の50万円から1939年7月に300万円、1944年2月に600万円へ積み増した[15]。戦前の大型工事では、アジア最大の出力70万kWを誇った朝鮮・水豊発電所[16]を手がけ、1943年には日本初の海底トンネルである関門トンネルの下関工区を竣工させた[17]

  • 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
    • [11]1917年12月 間組を合資会社へ改組
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1930年12月 資本金50万円で株式会社間組を設立
    • [16]朝鮮・水豊発電所はアジア最大の出力70万kW
  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
    • [13]1931年4月 合資会社間組を吸収合併し株式会社へ一本化
    • [15]資本金は1939年7月に300万円、1944年2月に600万円
  • 安藤ハザマ 公式 沿革
    • [14]1931年 地下鉄工事へ参入
    • [17]1943年 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
  • 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
    • [1]安藤・間の母体は1889年創業の間組
  • 間組百年史1889-1945 1989年「第1章間一族の命運」
    • [2]間組の創業者 間猛馬
    • [5]創業地は福岡県門司、個人企業として発足
  • 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
    • [3]間猛馬は日本鉄道を辞して独立した技術者
    • [4]創業は官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月
    • [6]創業の足がかりは鉄道建設の請負
    • [7]創業期の支援者は仙石貢ら帝国大学出の技術者と郷里高知の士族子弟
    • [11]1917年12月 間組を合資会社へ改組
  • 安藤ハザマ 公式 沿革
    • [8]本店を門司から下関を経て東京へ移転
    • [9]1911年 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
    • [10]1912年 電力土木事業へ参入
    • [14]1931年 地下鉄工事へ参入
    • [17]1943年 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [12]1930年12月 資本金50万円で株式会社間組を設立
    • [16]朝鮮・水豊発電所はアジア最大の出力70万kW
  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
    • [13]1931年4月 合資会社間組を吸収合併し株式会社へ一本化
    • [15]資本金は1939年7月に300万円、1944年2月に600万円

神部社長と戦後の電源開発――間組を象徴したダム工事

終戦で壊滅的な打撃を受けた間組の再建を率いたのは、のちに中興の祖と呼ばれた神部満之助社長[18]であった。神部社長は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命を再建の第一歩とし、入間川飛行場をはじめとする進駐軍工事[19]を次々と請け負って経営を立て直した。間組創立から83年の歴史のうち24年にわたって社長を務め[20]、松永安左衛門氏からは『日本ダム王』と呼ばれた[21]。1951年には戦後初のダム工事として木曽川の丸山ダムへ着手[22]した。神部社長は経営者であると同時に大株主でもあり、1962年9月末には筆頭の昭和実栄203万株に次ぐ162万株を保有していた[23]

  • 経済時代(経済時代社, 1972)
    • [18]神部満之助社長は間組の中興の祖
    • [19]戦後再建の第一歩は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命、続いて入間川飛行場など進駐軍工事
    • [20]神部社長の在任は間組創立83年のうち24年
    • [21]松永安左衛門による「日本ダム王」の称号
  • 経済時代(経済時代社, 1954)
    • [22]1951年 戦後初のダム工事として木曽川・丸山ダムへ着手
  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
    • [23]1962年9月末の大株主は昭和実栄203万株・神部満之助162万株

1953年着工の天竜川・佐久間ダムでは、間組は熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で国際入札に臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で落札した[24]。ワゴンドリルやバッチャープラント、ケーブルクレーン、ダンプトラックなど米国から持ち込んだ機械群[25]を主軸に現場を編成し、在来の技術工法なら10年以上かかるといわれた難工事を3年で仕上げて、当時日本最大の重力式ダムを完成させた[26]。佐久間で組み上げた施工体系はその後の現場へ引き継がれ、1956年6月着手で世界第2位のアーチダムとなった黒部川第四発電所[27]、アトキンソン社の技術を再び導入して44か月で完成した御母衣ロックフィルダム[28]、日本初の中空重力式として1957年10月に完成した井川発電所[29]が続いた。土木にとどまらず、1959年8月竣工の名古屋城復元や会津鶴ヶ城の復元工事でも陣頭指導をとった[30]

  • 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」
    • [24]佐久間ダムは間組・熊谷組・アトキンソン社の共同企業体が発電所と堰堤あわせて約85億円で落札
    • [25]導入機械はワゴンドリル・バッチャープラント・ケーブルクレーン・ダンプトラックなど
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [26]在来工法なら10年以上といわれた佐久間ダムを3年で完成、当時日本最大の重力式ダム
    • [27]1956年6月着手の黒部川第四発電所は世界第2位のアーチダム
    • [28]御母衣ロックフィルダムはアトキンソン社の技術を導入し44か月で完成
    • [29]井川発電所は日本初の中空重力式で1957年10月に完成
  • 経済時代(経済時代社, 1972)
    • [30]1959年8月 名古屋城復元工事が竣工、会津鶴ヶ城の復元でも陣頭指導

1962年12月、間組は東京証券取引所市場第二部へ上場[31]した。上場時点では土木工事で業界第3位、建設工事全体で第10位[32]に位置し、1962年9月期の完成工事高は土木が62.4%、建築が37.6%[33]、土木の内訳は水力ダムが48.3%、港湾埋立が12.7%、道路が11.3%を占めた[34]。受注先も電力会社が60.3%、官庁が25.6%[35]と公共・準公共の発注に支えられ、手持工事高は約630億円と前期より20%増えた[36]。受注構成はその後変わり、1966年9月期には完工高に占める建築の比率が53%となって初めて土木を上回り、年間完工高は約531億円に達した[37]。海外でもベトナムの発電所、タイの鉄道、ラオスのナムグム・ダムを受注し[38]、1974年に東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場[39]、1985年には青函トンネル吉岡工区の本坑貫通に携わった[40]

  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
    • [31]1962年12月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [32]上場時点で土木工事は業界第3位、建設工事全体で第10位(建設省調べ)
    • [33]1962年9月期の完成工事高は土木62.4%・建築37.6%
    • [34]土木の内訳は水力ダム48.3%・港湾埋立12.7%・道路11.3%
    • [35]土木の受注先は電力会社60.3%・官庁25.6%
    • [36]1962年9月期の手持工事高は約630億円、前期比20%増
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [37]1966年9月期 完工高の建築比率53%で初めて土木を上回る、年間完工高は約531億円
    • [38]海外はベトナムの発電所・タイの鉄道・ラオスのナムグム・ダムを受注
  • 安藤ハザマ 公式 沿革
    • [39]1974年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場
    • [40]1985年 青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通
  • 経済時代(経済時代社, 1972)
    • [18]神部満之助社長は間組の中興の祖
    • [19]戦後再建の第一歩は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命、続いて入間川飛行場など進駐軍工事
    • [20]神部社長の在任は間組創立83年のうち24年
    • [21]松永安左衛門による「日本ダム王」の称号
    • [30]1959年8月 名古屋城復元工事が竣工、会津鶴ヶ城の復元でも陣頭指導
  • 経済時代(経済時代社, 1954)
    • [22]1951年 戦後初のダム工事として木曽川・丸山ダムへ着手
  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
    • [23]1962年9月末の大株主は昭和実栄203万株・神部満之助162万株
    • [31]1962年12月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [32]上場時点で土木工事は業界第3位、建設工事全体で第10位(建設省調べ)
    • [33]1962年9月期の完成工事高は土木62.4%・建築37.6%
    • [34]土木の内訳は水力ダム48.3%・港湾埋立12.7%・道路11.3%
    • [35]土木の受注先は電力会社60.3%・官庁25.6%
    • [36]1962年9月期の手持工事高は約630億円、前期比20%増
  • 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」
    • [24]佐久間ダムは間組・熊谷組・アトキンソン社の共同企業体が発電所と堰堤あわせて約85億円で落札
    • [25]導入機械はワゴンドリル・バッチャープラント・ケーブルクレーン・ダンプトラックなど
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [26]在来工法なら10年以上といわれた佐久間ダムを3年で完成、当時日本最大の重力式ダム
    • [27]1956年6月着手の黒部川第四発電所は世界第2位のアーチダム
    • [28]御母衣ロックフィルダムはアトキンソン社の技術を導入し44か月で完成
    • [29]井川発電所は日本初の中空重力式で1957年10月に完成
    • [37]1966年9月期 完工高の建築比率53%で初めて土木を上回る、年間完工高は約531億円
    • [38]海外はベトナムの発電所・タイの鉄道・ラオスのナムグム・ダムを受注
  • 安藤ハザマ 公式 沿革
    • [39]1974年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場
    • [40]1985年 青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通

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安藤・間の沿革1889〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1889〜1990年間組の創業と戦後の電源開発――門司からダムの名門へ間猛馬が間組を創業(門司)
日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工
電力土木事業に参入
間組を合資会社に改組
本店を移転
間組を設立
地下鉄工事に参入
朝鮮・水豊発電所など戦前の大型工事
日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工
終戦と神部社長による間組再建
丸山ダム(戦後初のダム工事)
佐久間ダム工事での米アトキンソン社との共同企業体結成と機械化施工の導入

1953年、間組は天竜川中流の佐久間ダム工事をめぐる国際入札に、熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で施工を引き受けた。米国から持ち込んだ重機械群を主軸に現場を編成し、従来の技術工法なら10年以上といわれた難工事を3年で仕上げた。

詳細を読む
★★★
黒部川第四発電所(黒四)に着手★★
井川(日本初の中空重力式)・御母衣ダム
名古屋城の復元工事が竣工
戦後初の大型海外工事・ダニム第一発電所を受注★★
東京証券取引所市場第二部に上場
黒部ダム(黒部川第四発電所)が竣工
完工高で建築が土木を逆転(間組)
海外工事の受注を本格化(間組)
東京・大阪・名古屋証券取引所市場第一部に上場
技術研究所を新設
国立能楽堂が竣工(第26回BCS賞)
日本初の本格的インテリジェントビル・ホンダ青山ビルが竣工(第28回BCS賞)
青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通
ガルガルダム(アルジェリア)と葛西臨海水族園が竣工
1990〜2013年経営危機と再建――株式会社間組として安藤・間へ呼称をハザマに変更
技術研究所を移転
東京ビッグサイトが竣工(第38回BCS賞)
世界初の洋上石油備蓄基地・白島と日本初の免震病院・星が浦病院が竣工
当時世界一の高さ・ペトロナスツインタワーが竣工
西武建設と事業提携
旧ハザマ(間組の後身)の経営危機と事業再生★★
新名順一安藤建設と資本業務提携★★
新名順一会社分割による建設事業の切り出しと、承継会社・株式会社間組の設立

2003年1月17日、株式会社ハザマは資産評価損など約1,100億円の特別損失計上と、みずほコーポレート銀行など全取引金融機関46行への金融支援要請を発表した。同年10月1日、旧法人の会社分割によって建設事業部門の承継会社・株式会社間組が設立され、東京証券取引所市場第一部へ上場した。

詳細を読む
★★★
新名順一本店を虎ノ門へ移転(間組)
野村俊明安藤建設との合併と、間組を存続会社とする株式会社安藤・間の発足

2012年5月24日、間組(通称ハザマ)と安藤建設は、2013年4月1日付での合併を発表した。土木に強い間組を存続会社、建築に強い安藤建設を消滅会社とし、安藤建設の普通株式1株にハザマの普通株式0.53株を割り当てる。両社の名を併せた株式会社安藤・間(ブランド名・安藤ハザマ)として発足した。

詳細を読む
★★★
野村俊明初代社長に野村俊明氏が就任
2013〜2026年合併後の安藤・間――再構築から人的資本経営へ福富正人2代社長に福富正人氏が就任
国谷一彦3代社長に国谷一彦氏が就任
出典・参考
  • 安藤・間 有価証券報告書【沿革】
  • 間組百年史1889-1945 1989年「第1章間一族の命運」
  • 間組百年史 1889-1945(間組, 1989)
  • 企業の歴史 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 有沢広巳監修『日本産業史 2』(日経文庫, 日本経済新聞社, 1994)「建設-新工法・新技術相次ぐ」
  • 証券 1963年15巻1号(新規上場会社紹介 )
  • 経済時代(経済時代社, 1954)
  • 経済時代(経済時代社, 1972)
  • 安藤ハザマ 公式 沿革

免責事項およびポリシー