現在の安藤・間の法人格と上場は、1889年創業の間組[1]を母体として受け継がれている。創業者の間猛馬氏[2]は日本鉄道を辞して独立した技術者[3]で、官庁工事を一般競争入札に付す会計法が公布された1889年4月[4]、福岡県門司で個人企業として間組を創業[5]し、鉄道建設の請負を足がかりに[6]土木建築へ乗り出した。仙石貢氏ら帝国大学出の技術者や郷里高知の士族子弟の支援[7]を受けて受注の裾野を広げ、本店を門司から下関を経て東京へ移し[8]、全国規模で工事を手がける総合建設業者へ育った。1911年には日本初の潜函工事として鴨緑江橋を竣工させ[9]、翌1912年には電力土木事業へ参入した[10]。
個人企業として始まった間組は工事規模の拡大に合わせて会社組織を整え、1917年12月に合資会社へ改組[11]したのち、1930年12月に資本金50万円で株式会社間組を設立[12]し、翌1931年4月には合資会社間組を吸収合併して株式会社へ一本化した[13]。同じ1931年には地下鉄工事へ参入[14]し、都市土木へも受注を広げた。資本金は設立時の50万円から1939年7月に300万円、1944年2月に600万円へ積み増した[15]。戦前の大型工事では、アジア最大の出力70万kWを誇った朝鮮・水豊発電所[16]を手がけ、1943年には日本初の海底トンネルである関門トンネルの下関工区を竣工させた[17]。
終戦で壊滅的な打撃を受けた間組の再建を率いたのは、のちに中興の祖と呼ばれた神部満之助社長[18]であった。神部社長は明治神宮仮御殿御造営工事の拝命を再建の第一歩とし、入間川飛行場をはじめとする進駐軍工事[19]を次々と請け負って経営を立て直した。間組創立から83年の歴史のうち24年にわたって社長を務め[20]、松永安左衛門氏からは『日本ダム王』と呼ばれた[21]。1951年には戦後初のダム工事として木曽川の丸山ダムへ着手[22]した。神部社長は経営者であると同時に大株主でもあり、1962年9月末には筆頭の昭和実栄203万株に次ぐ162万株を保有していた[23]。
1953年着工の天竜川・佐久間ダムでは、間組は熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で国際入札に臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で落札した[24]。ワゴンドリルやバッチャープラント、ケーブルクレーン、ダンプトラックなど米国から持ち込んだ機械群[25]を主軸に現場を編成し、在来の技術工法なら10年以上かかるといわれた難工事を3年で仕上げて、当時日本最大の重力式ダムを完成させた[26]。佐久間で組み上げた施工体系はその後の現場へ引き継がれ、1956年6月着手で世界第2位のアーチダムとなった黒部川第四発電所[27]、アトキンソン社の技術を再び導入して44か月で完成した御母衣ロックフィルダム[28]、日本初の中空重力式として1957年10月に完成した井川発電所[29]が続いた。土木にとどまらず、1959年8月竣工の名古屋城復元や会津鶴ヶ城の復元工事でも陣頭指導をとった[30]。
1962年12月、間組は東京証券取引所市場第二部へ上場[31]した。上場時点では土木工事で業界第3位、建設工事全体で第10位[32]に位置し、1962年9月期の完成工事高は土木が62.4%、建築が37.6%[33]、土木の内訳は水力ダムが48.3%、港湾埋立が12.7%、道路が11.3%を占めた[34]。受注先も電力会社が60.3%、官庁が25.6%[35]と公共・準公共の発注に支えられ、手持工事高は約630億円と前期より20%増えた[36]。受注構成はその後変わり、1966年9月期には完工高に占める建築の比率が53%となって初めて土木を上回り、年間完工高は約531億円に達した[37]。海外でもベトナムの発電所、タイの鉄道、ラオスのナムグム・ダムを受注し[38]、1974年に東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ上場[39]、1985年には青函トンネル吉岡工区の本坑貫通に携わった[40]。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/1719/manifest.json https://the-shashi.com/api/1719/history.json https://the-shashi.com/api/1719/timeline.json https://the-shashi.com/api/1719/executives.json https://the-shashi.com/api/1719/shareholders.json https://the-shashi.com/api/1719/financials.json https://the-shashi.com/api/1719/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/1719/segments.json https://the-shashi.com/api/1719/regions.json https://the-shashi.com/api/1719/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1889〜1990年間組の創業と戦後の電源開発――門司からダムの名門へ | 間猛馬が間組を創業(門司) | ★ | ||
| 日本初の潜函工事・鴨緑江橋が竣工 | ★ | |||
| 電力土木事業に参入 | ★ | |||
| 間組を合資会社に改組 | ★ | |||
| 本店を移転 | ★ | |||
| 間組を設立 | ★ | |||
| 地下鉄工事に参入 | ★ | |||
| 朝鮮・水豊発電所など戦前の大型工事 | ★ | |||
| 日本初の海底トンネル・関門トンネル下関工区が竣工 | ★ | |||
| 終戦と神部社長による間組再建 | ★ | |||
| 丸山ダム(戦後初のダム工事) | ★ | |||
| 佐久間ダム工事での米アトキンソン社との共同企業体結成と機械化施工の導入 1953年、間組は天竜川中流の佐久間ダム工事をめぐる国際入札に、熊谷組と米ガイ・F・アトキンソン社を加えた共同企業体で臨み、発電所と堰堤あわせて約85億円で施工を引き受けた。米国から持ち込んだ重機械群を主軸に現場を編成し、従来の技術工法なら10年以上といわれた難工事を3年で仕上げた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 黒部川第四発電所(黒四)に着手 | ★★ | |||
| 井川(日本初の中空重力式)・御母衣ダム | ★ | |||
| 名古屋城の復元工事が竣工 | ★ | |||
| 戦後初の大型海外工事・ダニム第一発電所を受注 | ★★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 黒部ダム(黒部川第四発電所)が竣工 | ★ | |||
| 完工高で建築が土木を逆転(間組) | ★ | |||
| 海外工事の受注を本格化(間組) | ★ | |||
| 東京・大阪・名古屋証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| 技術研究所を新設 | ★ | |||
| 国立能楽堂が竣工(第26回BCS賞) | ★ | |||
| 日本初の本格的インテリジェントビル・ホンダ青山ビルが竣工(第28回BCS賞) | ★ | |||
| 青函トンネル吉岡工区の本坑が貫通 | ★ | |||
| ガルガルダム(アルジェリア)と葛西臨海水族園が竣工 | ★ | |||
| 1990〜2013年経営危機と再建――株式会社間組として安藤・間へ | 呼称をハザマに変更 | ★ | ||
| 技術研究所を移転 | ★ | |||
| 東京ビッグサイトが竣工(第38回BCS賞) | ★ | |||
| 世界初の洋上石油備蓄基地・白島と日本初の免震病院・星が浦病院が竣工 | ★ | |||
| 当時世界一の高さ・ペトロナスツインタワーが竣工 | ★ | |||
| 西武建設と事業提携 | ★ | |||
| 旧ハザマ(間組の後身)の経営危機と事業再生 | ★★ | |||
| 新名順一 | 安藤建設と資本業務提携 | ★★ | ||
| 新名順一 | 会社分割による建設事業の切り出しと、承継会社・株式会社間組の設立 2003年1月17日、株式会社ハザマは資産評価損など約1,100億円の特別損失計上と、みずほコーポレート銀行など全取引金融機関46行への金融支援要請を発表した。同年10月1日、旧法人の会社分割によって建設事業部門の承継会社・株式会社間組が設立され、東京証券取引所市場第一部へ上場した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 新名順一 | 本店を虎ノ門へ移転(間組) | ★ | ||
| 野村俊明 | 安藤建設との合併と、間組を存続会社とする株式会社安藤・間の発足 2012年5月24日、間組(通称ハザマ)と安藤建設は、2013年4月1日付での合併を発表した。土木に強い間組を存続会社、建築に強い安藤建設を消滅会社とし、安藤建設の普通株式1株にハザマの普通株式0.53株を割り当てる。両社の名を併せた株式会社安藤・間(ブランド名・安藤ハザマ)として発足した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 野村俊明 | 初代社長に野村俊明氏が就任 | ★ | ||
| 2013〜2026年合併後の安藤・間――再構築から人的資本経営へ | 福富正人 | 2代社長に福富正人氏が就任 | ★ | |
| 国谷一彦 | 3代社長に国谷一彦氏が就任 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(安藤・間)