TISコマツソフト取得による金融偏重の顧客基盤の是正

顧客基盤と技術のどちらで補い合うか——東洋情報システムが製造業の入口に選んだ買収

時期 2000年4月
意思決定者(推定) 船木隆夫 東洋情報システム 社長
論点 顧客基盤の偏りと規模拡大
概要
2000年4月、東洋情報システム(2001年1月にTISへ商号変更)が建設機械メーカーのコマツから情報子会社コマツソフトの株式を取得した。金融・カードに偏っていた顧客基盤へ製造業を加え、同時にコマツという大口ユーザーを得ることを狙った買収であった。
背景
情報サービス産業は1980年代に年率10〜40%で伸びたが、1990年代には一桁成長の年が増え、1993年・1994年にはマイナス成長も経験した。市場規模13兆6,118億円(2001年)に対し事業所は8,000近くがひしめき、専業首位のNTTデータでもシェアは6%に届かなかった。
内容
船木隆夫社長は買収の基準を「顧客基盤と技術の二つで補完関係になれるかどうか」と説明していた。三和銀行系として出発した同社は金融系システムに強く製造業に弱く、コマツソフトはその不足をそのまま埋める相手であった。2000年4月に始めた中期経営計画では、当時700億円程度だった売上高をまず1,500億円へ引き上げる目標を掲げていた。
含意
この取得を皮切りに、2001年9月にエス・イー・ラボ、2002年2月にアグレックス、2004年4月にユーフィット、2005年4月に旭化成情報システムと買収が続いた。同社は富士ソフトABC・電通国際情報サービスとともにM&A「御三家」と呼ばれる立場となる一方、連結の売上高営業利益率が単独を下回る状態も抱えた。
筆者の見解

偏りを買って直す、という選び方

コマツソフトの取得は、金額の大きさでも技術の新しさでもなく、自社の弱点をそのまま埋める相手を選んだ点に特徴がある。三和銀行系という出自から与えられた金融・カードの顧客は、同社の強みであると同時に、そこから外へ出にくいという性質も帯びていた。製造業の情報子会社を丸ごと引き受けることは、顧客と技術者を同時に手に入れる代わりに、収益性の低い組織を抱え込むことでもある。船木社長が「顧客基盤と技術」を基準として語ったのは、値段よりも欠けている部分を先に見る、という順序の表明であったとみることができる。

この選び方は、その後のTISの形をかなりの程度決めた。買収で顧客の業種を広げ、規模で主契約の地位を狙うという方針は、2008年のインテックホールディングスとの経営統合まで一続きになっている。同時に、買った会社の採算をどう引き上げるかという課題も、そのつど残された。欠けているものを買って埋める経営は速いが、埋めたものを自社の水準まで引き上げる作業は速さでは片づかない。両者の時間差をどう扱うかが、この時期に始まった問いであったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

成長が鈍り、企業数が過剰なままの産業

情報サービス産業は、長期停滞下の日本で数少ない成長産業とされてきた。だが売上の成長率は1980年代の年率10〜40%から、1990年代に入ると一桁台の年が多くなり、1993年・1994年にはマイナス成長も経験する。高成長業種であった時期に企業が増えたため、産業の側は依然として8,000近い事業所がひしめく状態にあった。市場規模13兆6,118億円(2001年)に対し、専業首位のNTTデータでさえシェアは6%に届いていなかった[1]

競争の条件も変わりつつあった。顧客が発注するシステムは大型化し、受け手には相応の人員が要る。船木隆夫社長は「人員規模が二〇〇人の会社が、全員を特定のプロジェクトに突っ込めるか。次の仕事がないとアイドリング期間が発生してしまい、リスクが大きすぎる」と述べ、ある程度の企業規模がなければ大規模化についていけないと説明していた。さらに、ハードウェアの収益性が落ちた大手コンピューターメーカーがサービス業へ本腰を入れ、専業各社の領域へ価格で切り込んできていた[2]

金融に強く、製造業に弱い

東洋情報システムの顧客構成には、その出自がそのまま残っていた。1971年に三和銀行系60社の共同出資で設立され、銀行・カード・信販の事務処理を引き受けて育った会社である。金融系のシステムには強い一方、製造業には弱いという偏りが、成長を続けるうえでの制約になっていた。船木社長は買収の基準を「われわれの業界の場合、企業の価値というのは顧客基盤と技術だと思う。したがって、その二つでわれわれと補完関係になれるかどうかが基準になる」と語っている[3]

2000年4月、同社は新しい中期経営計画を始めた。掲げた目標は2010年のグループ売上高5,000億円である。船木社長は「うちは〇一年に創業三〇周年を迎えた。次の三〇年、大きな夢を持ってやろうよということです」と当時を振り返り、四〜五年前まで700億円程度だった売上をまず1,500億円へ引き上げる目標を掲げたところ、幹部から実現を疑う声が出たとも述べている。そのうえで「そのときすでに僕には腹案があった」と続けた。腹案がコマツソフトの買収であった[4]

決断

大口ユーザーごと製造業のノウハウを買う

2000年4月、東洋情報システムは建設機械メーカーのコマツからコマツソフトの株式を取得した。狙いは二つある。製造業のシステム構築ノウハウをグループ内へ取り込むことと、コマツという大口ユーザーを得ることであった。情報子会社の買収は、技術者と顧客をまとめて手に入れる取引にあたる。金融の顧客を自力で製造業へ広げる道もあったが、同社は時間を買う方を選んだ[5][6]

買収の意図について、船木社長はのちにこう説明している。UFJグループに属する同社は金融系のシステムに強く製造業に弱いため、製造業のシステムのノウハウをグループ内に取り込むことと、コマツという大ユーザーを獲得することが狙いであった、と。顧客基盤と技術の二軸で補完関係を見るという基準に、この案件はそのまま当てはまっていた[7]

傘下に入った側の作り直し

買収された側の状態も、当時の記録に残っている。コマツソフトの水澤雅武社長は「TISからは売上高営業利益率は五%台、成長率は五%から六%が、業界の平均と言われた。わが社の利益率は約二%だった」と述べている。親会社のコマツを含めてもその程度の水準であったため、それでよしとしていたという。親会社の情報部門という立場では、収益性を業界水準と比べる機会そのものが乏しかった[8]

買収後、コマツソフトは経営計画を作り直し、人事評価を変え、退職金制度の見直しにも入った。情報サービス業のM&Aが成果を生む条件として、しっかりした人事制度と、開発ツールがグループで標準化されていることが挙げられていた時期にあたる。ただし、こうした制度の統一を一気に進めればグループ内に軋轢を生みかねないとも指摘されていた。買った側にとって、取得の完了は作業の始まりであった[9]

結果

買収を重ねる会社への転換

コマツソフトの取得は単発では終わらなかった。2001年1月に社名を「TIS株式会社」へ変更し、同年9月にエス・イー・ラボ、2002年2月にアウトソーシングに強いアグレックスの株式を買い増して子会社化する。2004年4月にはユーフィット、2005年4月には旭化成情報システム(現 AJS)を傘下に収めた。2000年に始めた中期経営計画は、買収を成長の手段として組み込んだ計画であった[10][11]

同時期、富士ソフトABCはダイエー情報システムを110億円で、マイカルシステムズを12億円で買収し、電通国際情報サービスもマイナー出資から段階的に持分を引き上げる手法で買収を重ねていた。この3社はM&Aの「御三家」と呼ばれ、いずれも規模の拡大によって主契約企業の地位を確保しようとしていた。大型案件の主契約は大手メーカーやNTTデータがほとんど押さえており、規模の確保はその壁への挑戦を意味していた[12]

規模は伸び、採算は追いつかず

規模の目標は視野に入りつつあった。船木社長は2002年時点で「今年の連結売り上げは一七〇〇億円から一八〇〇億円ぐらいにはなる。これから毎年一五%、複利で成長していけば、10年には五〇〇〇億円になりますよ」と述べている。2004年12月には連結売上高が2,000億円を突破する見込みとなり、岡本晋社長は2010年度までに質量ともに業界トップ3を占めることを目標に掲げた[13][14]

一方で、買収の成果を採算で測ると評価は保留されていた。2002年の時点で御三家3社はいずれも連結ベースの売上高営業利益率が単独を下回っており、M&Aの果実が十分に実っているとは言いがたいと評されている。買った会社の利益率が自社より低ければ、連結の利益率はまず下がる。規模で主契約の地位を取りにいく戦略は、採算の回復までを含めて完結する性質のものであった[15]

出典・参考

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