イトーヨーカ堂バブル期の不動産投資とエクイティファイナンスの見送り、手元現金の積み増し

含み益を持たない小売業は弱いのか——地価上昇を前提にしない財務をどこまで貫くか

更新:

時期 1992年10月
意思決定者(推定) 伊藤雅俊 社長
論点 財務規律と資本政策
概要
1980年代後半から1990年代を通じて、イトーヨーカ堂が不動産の含み益に依存する経営を採らず、バブル期の投資話に乗らず、新株発行を伴う資金調達も見送って、手元現金を厚く保った資本・財務上の選択。1992年10月の伊藤雅俊社長のインタビューで、その考え方が対外的に示された。
背景
地価の上昇を前提に借入と出店を重ねるのが当時の小売業の標準で、土地から仕込んで店を開くダイエーがその代表であった。不動産の含み益を持たないイトーヨーカ堂は弱点があると評され、現金を厚く持つことにも資金効率が悪いという批判があった。
内容
必要な土地しか買わず、株価が上がっていた時期にもワラント債などを発行せず、取引先への決済は現金で行い、出店ではリースを使って投資を抑えた。規律を測る指標には連結の株主資本利益率15%を掲げ、事業の幅も広げなかった。
含意
バブル崩壊後、この財務は防御として働いた。2002年2月期には営業活動から1,984億円の現金を稼ぎ、期末の手元現金を5,500億円前後、手元流動性を59日に保ち、手元流動性21日まで下がったダイエーと対照をなした。
筆者の見解

含みを持たないという費用

必要なものしか買わなかった、という伊藤雅俊氏の一言は、バブル期の経営としては地味に響く。しかし1972年の講演で、日本のチェーンストアの資金が商品ではなく不動産へ流れることを「チェーン経営の大きな問題点」と名指していた人物が、20年後に同じ理由で投資話を断っている。含みを持たない財務は、好況のあいだは弱点と呼ばれ、資金効率の悪さとしても批判された。それを20年変えなかったところに、この判断の芯がある。

現金を厚く持つこと自体が競争力になったわけではない。2002年2月期に5,500億円規模の手元現金を保てたのは、営業活動から1,984億円を稼ぐ本業があったからで、順序は逆にならない。伊藤雅俊氏が掲げた連結15%という株主資本利益率の目標も、前期の実績は12%程度にとどまっていた。含みを追わない財務が、地価の反転したときに会社を守る側で働いたことは数字に表れている。それが成長を生む側でも同じだけ働いたかどうかは、この時期の計数からは読み取りにくい。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

地価を担保にした出店競争のなかで

バブル期の日本の小売業は、地価の上昇を前提に出店の資金を組み立てていた。土地を買って店を建て、値上がりした土地を担保にして次の借入を起こす。ダイエーはその典型で、土地から仕込む出店形態を取っていた。含み益を持たないイトーヨーカ堂は、この物差しで測れば見劣りする会社であった。伊藤雅俊社長は後年、当時は「不動産を持っていないことが、イトーヨーカ堂の弱点のように言われていました」と振り返っている[1][2]

伊藤雅俊社長の見方は、この相場観と逆であった。不動産の含みを持つ会社が高い評価を受けること自体を疑い、土地で含みを持つことは顧客の土地を奪うことにならないかと考えていた。兄からは「地主のようなことをしてはいけない」と言われ、それ以来、土地にこだわらないようにしてきたという。松下幸之助氏が土地は天下のものだと語っていたという話も引きながら、本業の商いに専念するのが小売業の仕事だとして、土地に手を出さない線を引いていた[3][4]

二十年前から同じことを言っていた

この見方は、バブル期に急ごしらえで出てきたものではなかった。株式を上場した1972年、伊藤雅俊社長は証券アナリスト向けの講演で、日本のチェーンストアは資金が商品ではなく不動産へ向かいがちであり、これは「チェーン経営の大きな問題点」であると述べている。同じ講演では、過大な借入で自己資本比率が非常に低くなったチェーンストアに触れ、上場前に13%だった自社の比率を、欧米の小売業並みの40〜50%へ近づける道筋も説明していた[5][6]

支払いの作法も、同じ考えで揃えていた。チェーンストアは一般に60日から90日の手形で決済していたが、イトーヨーカ堂は取引先へすべて現金で払っていた。銀行は貸してくれないもの、取引先は商品を卸してくれないものと思え——伊藤雅俊社長が母親から受け取ったこの教えは、担保を持たない洋品店時代の実感に根ざしている。借りた金は必ず返すもの、社員の給料は毎月払うものという前提に立てば、手元に現金を置く以外の道は残らなかった[7][8]

決断

必要なものしか買わない

バブルの最中、イトーヨーカ堂は不動産にも金融商品にも手を出さなかった。伊藤雅俊社長は後年、必要な坪数だけ買えば足りるところを、その土地の含みで儲けようという考え方がどの企業にもあったと述べ、「私は、それはやらなかった。必要なものしか買わなかったですね」と語っている。頼りになるのは現金しかないことが骨身に染みていたため、バブルの時も一切投資話には乗らなかったともいう[9][10]

調達の側でも同じ抑制が働いた。株式相場が上昇していたころ、同社は新株発行を伴う資金調達に手をつけていない。1992年10月、伊藤雅俊社長はその理由を「株価はいずれ下落すると思っていました。ワラント債でも発行していたら、株主にご損をかけたでしょうね」と説明した。1972年の上場にあたって幹事証券会社の担当者へ「あまり高い株価をつけてくれるな」と頼んだのと、同じ考え方に立っている[11][12]

一業専念という物差し

含みを追わない代わりに、伊藤雅俊社長は事業の幅も広げなかった。1992年10月のインタビューでは、多角化は保護の行き届いた途上国の企業がすることだと言い切り、上位企業でも利益を上げにくい時代に何でもやる器用なことはできないと述べている。同社が売る商品の平均価格は食品が250円、住居関連が700円、衣料が2000円で、中産階級を相手に日銭商売を続けてきた会社であった[13][14]

規律を測る指標には、株主資本利益率を据えていた。同じインタビューで示された目標は連結ベースで15%、前期の実績は12%程度である。必要な投資は行うという前提で投資利益率の基準を満たすには、売上代金の回収から取引先への支払いまでに生じる回転差資金を使い、出店はリースで抑える循環が要った。なお同じ1992年、同社は総会屋への利益供与事件に直面し、伊藤雅俊社長は引責辞任している[15][16][17]

結果

批判された手元現金が効いた

厚い手元現金は、当時から批判の的であった。米国式の経営から見れば過大なほどの現金を抱えていたため、資金効率が悪いという指摘を受けている。それでも伊藤雅俊名誉会長は、会社と従業員を守る義務があり、万一に備えておくのが経営者の役目だとして方針を変えなかった。日経平均株価が最高値をつけた1989年の年末には、静岡銀行の平野繁太郎相談役から「キャッシュというのは大切なんですよ。それでいいんですよ」と言われている[18][19]

差が数字で見えたのは、10年後であった。2002年2月期、イトーヨーカ堂は523億円の純利益に対し、営業活動から1,984億円の現金を稼ぎ、期末の手元現金を5,500億円前後に保っている。同じ期のダイエーは2,963億円の赤字を計上し、子会社株式の売却などで返済資金を捻出して、手元現金は1,456億円まで減った。短期の支払い能力を示す手元流動性は、イトーヨーカ堂の59日に対しダイエーは21日であった[20][21]

出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」(伊藤雅俊 イトーヨーカ堂社長)
  • 日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏[イトーヨーカ堂社長]小売業経営はプロの時代に」
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号「特集 バブルからの生還(第2部)CF(キャッシュフロー)で分かる本当の実力」
  • 週刊東洋経済 1999年5月1日号「独り勝ちイトーヨーカ堂の死角「鈴木カリスマ経営」後の大いなる不安」
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号「泡沫(バブル)証言編 伊藤雅俊[イトーヨーカ堂名誉会長]「含み」で儲けようとすると顧客を失う」
  • 日経ビジネス 2002年1月21日号「有訓無訓 母親に教わった商人の原点「ないない尽くし」の贈り物」
  • 週刊東洋経済 2002年6月1日号「特集 決算書に強くなる キャッシュフロー「虎の巻」イトーヨーカ堂・ダイエー比較でマスターする」

免責事項およびポリシー