開発と生産を分け、製品企画に特化する「プロデューサー制」への開発体制改革
改良型に流れた組織をどう作り替えるか——右肩上がりの失速から生まれた開発改革
更新:
- 概要
- 1994年4月、電子楽器メーカーのローランドが、製品分野ごとに企画から生産までを一手に握る「プロダクトリーダー制」を改め、開発と生産を別組織に分けて製品企画に特化させる「プロデューサー制」へ開発体制を作り替えた経営判断。改良型に流れがちだった開発を、市場の変化を読んで新技術を生む仕組みへ組み替えた。
- 背景
- ローランドは1972年の創業まもなくからプロダクトリーダー制を敷き、プロ演奏家向け高級電子楽器に特化して成長したが、事業規模の拡大とともにリーダーが利益確保を優先し、新技術への挑戦に及び腰になっていた。1993・94年度は2期連続の減収減益に陥り、原因は市場の変化に応じた製品を開発できていないことにあった。
- 内容
- プロデューサーは製品企画に役割を絞り、市場の変化を読んで顧客像を想定し、技術・人材・期間・費用・価格を煮詰めてから開発に入る。会長・社長以下全役員が参加する「プランニングボード・ミーティング」で企画の斬新性を厳しく問い、改良型の無難な企画を通しにくくした。
- 含意
- 転換後、マニア層向けの自動演奏装置や編集機器が相次いでヒットし、連結売上高は1998年3月期に582億円と3期連続の増収増益に回復した。開発に特化させるこの改革は、創業者・梯郁太郎氏が掲げた「分野を絞りひたすら特化する」思想を製品づくりの現場へ落とし込んだ試みでもあった。
特化を組織で支えるということ
この判断の核心は、業績の失速を営業の努力や商品数の増加で取り返すのではなく、開発組織の設計そのものに原因を求めた点にある。プロダクトリーダーが企画から生産までを抱えれば責任は明快だが、規模が大きくなると目先の採算が新技術への挑戦を抑えてしまう。ローランドはその構造を見抜き、企画と生産を切り離してプロデューサーを企画に専念させ、斬新さを経営会議で問う仕組みを重ねた。組織を大きくするのではなく役割を絞ることで挑戦を促す——「縮小」という言葉が示すのは後退ではなく、開発を身軽にする選択であったとみることができる。
もっとも、こうした仕組みが働き続けるには、市場の変化を読める若い企画者を絶えず育てられるかが問われる。プロデューサーの数を増やし、同時に開発できる製品を増やしたいという当時の課題は、人材の育成にそのままかかっていた。特化を貫くほど、一つひとつの分野で二百歩先を読み続ける負荷は重くなる。創業者の特化の思想を組織で支えるこの体制が、世代を超えて機能し続けられるかは、その後の育成の成否に委ねられていたといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
右肩上がりからの失速
ローランドは1972年の創業まもないころから、「プロダクトリーダー制」という開発体制を続けてきた。電子ピアノやシンセサイザーなど製品を11の分野に分け、各分野に置いたプロダクトリーダーが、マーケティングから製品仕様、販売価格、生産量の決定、生産管理までを一元管理する仕組みである。製品分野がプロ演奏家向けという限られた範囲にとどまっていた1980年代までは、顧客の求めに合わせた開発をしやすく、この仕組みは有効に働いた。1992年度の単独売上高は360億円、経常利益は28億円に達していた[1]。
ところが事業規模が拡大すると、この仕組みが開発機能を弱めた。各分野の売り上げが伸び、電子楽器が大規模集積回路やソフトで複雑化するにつれ、プロダクトリーダーの受け持つ組織は膨らんだ。リーダーは開発チームの利益確保のために、手間のかかる開発や新技術への挑戦に及び腰になり、製品は「新奇性のあるものでなく、以前のヒット商品の改良型」に流れていった。1993・94年度はそれまでの右肩上がりから一転して2期連続の減収減益となり、94年度は前年に比べ売上高で60億円、経常利益で約10億円も落ち込んだ。原因を探った末にたどりついたのは、市場の変化に応じた製品を開発していないという事実であった[2]。
決断
開発と生産を分ける
1994年4月、ローランドは開発体制をプロデューサー制へ改めた。プロダクトリーダーが企画から生産管理までを一手に握っていたのに対し、プロデューサーは製品企画に役割を絞り、開発と生産を別の組織に分けた。プロデューサーは市場の動きや変化をきめ細かく読んで顧客像を想定し、製品化に必要な技術と人材、開発期間、開発費、販売価格を徹底的に煮詰めてから開発にとりかかる。開発が進んだ後にライバル社が同種の製品を出せば、即座に方向転換もする。企画の精度を高く保ち、市場の動きに合わせた製品づくりを狙った仕組みであった[3]。
この仕組みの要は、会長・社長以下の全役員が参加する「プランニングボード・ミーティング」にあった。一般に経営陣が企画を審査すると、従来型の製品に改良を加える無難な企画が通りやすくなる。ローランドはあえてその逆を行き、この会議で企画の斬新性に重点を置いて討議した。認められるために提案者はきめ細かい市場調査とアイデアの練り直しを重ねる。若手でもプロデューサーになれば自分のアイデアで開発を動かせる魅力と、経営陣の厳しいチェックとを両輪にして、挑戦心を失った開発を立て直そうとした。折しもデジタル化とパソコンの普及でプロとアマチュアが使う楽器の機能差が縮み、マニア層を新たに狙う戦略と、この体制はかみ合っていた[4]。
結果
二百歩の商品を生む
転換は数字に表れた。1996年6月に発売した自動演奏装置は、社内で「売れても計1万台程度」とみられていたが、翌年発売の上位機種と合わせ累計8万台に達した。1996年1月のマニア向け編集機器は、1992年に110万円で出したプロ向け機の機能を維持しながら価格を15万8000円へ引き下げ、後継機種と合わせて約28億円を売り上げた。新製品が総売上高に占める割合は3割を超え、連結売上高は1998年3月期に582億円と3期連続の増収増益となった。ヤマハや河合楽器製作所が国内販売の不振に苦しむなかでの好調であった[5]。
檀克義社長は「今の楽器の世界で五十歩百歩の商品では勝ち残れない。ローランドには、最先端の需要をつかんだ二百歩の商品が常に求められる」と語った。この開発体制の作り替えは、創業者・梯郁太郎氏が掲げた「分野を絞りひたすら特化する」思想を、組織の面から作り直したものでもあった。梯氏は「大を避けてナンバー1を取る」戦略のもと、1980年代から特化を徹底するために分社化を進め、各分野で業界1位を確保することを求めていた。開発に特化するプロデューサー制は、その特化の思想を製品づくりの現場に落とし込んだ試みといえる[6]。
- 日経ビジネス 1998年12月21日・28日号「ローランド 改良より新技術生む組織に縮小」
- 日経ビジネス 2000年4月10日号「有訓無訓 梯郁太郎 規模が大きくなっても、ひたすら特化する」
- ローランド 有価証券報告書(1998年3月期・連結)