微燃性冷媒R32の特許無償開放という知財戦略

虎の子の技術を競合へ開いてまで、ダイキンはなぜ業界標準づくりを選んだか

更新:

時期 2011
意思決定者 井上礼之 会長兼CEO
論点 環境規制下での知財戦略と業界標準化
概要
ダイキンが自社の低温暖化冷媒R32に関する特許を競合他社へ無償開放した知財戦略。2011年に新興国向けへ特許を開き、2015年に全世界へ拡大、2019年には特許権を行使しない誓約へ進め、R32を業界共通の技術基盤に押し上げようとした経営判断。
背景
モントリオール議定書の2016年改正で先進国は2036年以降に代替フロンの大幅削減を迫られ、新興国の空調需要も急増していた。ダイキンは温暖化係数がR410Aの3分の1で省エネ性に優れるR32を実用化していたが、一社の採用だけでは世界の切り替えは進まなかった。
内容
R32を用いた空調機の製造・販売に関する特許を、事前の許可も契約もなしに使えるかたちで開放した。2011年の新興国向けを皮切りに、2015年に全世界、2019年には2011年以降の出願分まで無償化し、他社が採用する障壁を下げた。
含意
囲い込めば独占できる技術を、あえて開いて業界標準に育てる選択であった。普及で市場そのものを広げ、量産規模とブランドで主導権を握るという逆説的な戦略が、ダイキンの環境・技術リーダーとしての立ち位置を形づくった。
筆者の見解

囲い込まず、標準を創るという選択

この判断の核心は、特許という独占の道具を、あえて開放の手段に用いた点にある。虎の子の技術を競合へ渡せば、短期的には自社優位を薄めかねない。それでも開いたのは、優れた冷媒が普及しなければ環境効果も市場拡大も生まれないという読みがあったためとみることができる。守って独占するより、開いて市場そのものを広げ、そのなかで先行者の規模とブランドを効かせる——独占の論理とは逆向きの戦略がここにあった。

もっとも、開放が主導権に結びつくのは、量産の実力とブランドが伴ってこそである。誰でも使える技術になった以上、優位は特許そのものではなく、それを最も安く確かに作り、環境の担い手として選ばれる力に移る。規制をコストとみるか、標準づくりの機会とみるか——R32をめぐる選択は、技術をどう手放すかが、どう抱え込むかと同じだけ競争を左右しうることを示した事例といえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

脱フロンの要請と、手元にあったR32

2010年代の空調業界は、冷媒の切り替えという世界共通の課題を抱えていた。オゾン層を守るモントリオール議定書は2016年の改正で対象を地球温暖化にも広げ、日本など先進国は2036年以降に代替フロンを85%以上削減する義務を負った。冷房需要が急増する新興国でも、どの冷媒を主流に据えるかがこれからの温暖化の帰趨を左右する時期へ入っていた[1]

ダイキンの手元には、その答えになりうる冷媒があった。1993年に量産プラントを完成させていたR32は、従来広く使われてきたR410Aと比べて地球温暖化係数が約3分の1で、省エネ性や配管の細さといった実用面の利点も備えていた。ただし、優れた冷媒を一社で採用するだけでは、世界の空調が一斉に切り替わるわけではなかった。普及の速さこそが環境効果を決める以上、次の一手はおのずと絞られていった[2][3]

決断

特許を開いて、採用の障壁を下げる

ダイキンが選んだのは、R32の特許を競合他社へ無償で開放するという道であった。2011年、まず新興国向けにR32空調機の製造・販売に関わる基本特許93件を開き、2015年にはその開放を全世界へ広げた。他社が使いたくても特許が壁になる状態を、みずから取り除く判断であった。優れた冷媒を守って独占するのではなく、誰もが使える共通の土台に変えることで、世界全体の切り替えを早めようとした[4][5]

開放の徹底ぶりは、その後の宣言に表れた。2019年には2011年以降に出願した特許まで対象を広げ、ダイキンの事前許可も契約も要らずにR32を使えるかたちへ踏み込んだ。手続きの重さを取り除いてまで採用を促したのは、「さらにHFC-32空調機の普及を促進したい」という目的が一貫していたためであった。技術を囲うより、標準として広げることに賭ける考え方が鮮明になった[6][7]

結果

標準を広げ、規模とブランドで主導する

開放はR32の普及を後押しし、この冷媒を使った空調機は世界で広く採られていった。2019年の時点でR32採用エアコンは6800万台以上が売られ、低温暖化冷媒への切り替えを世界規模で前へ進めた。特許で囲い込む道を捨てながら、ダイキンは早くから量産してきた規模と、脱フロンを先導するブランドで、広がった市場のなかでの主導権を保った[8][9]

自社の技術基盤としても、R32は空調事業の環境競争力を支える柱になった。1993年の量産化から2012年の「うるさら7」搭載を経て、冷媒と空調機を一貫して手がけるダイキンの強みは、脱フロンという規制の追い風のなかで生きた。環境規制を守るべき制約としてではなく、標準づくりの主導権を握る好機として使った点に、この判断の後年への広がりがうかがえる[10]

出典・参考