この創業が示すのは、既存の需要を奪い合うのではなく、日本にまだ存在しなかった民間警備という業態そのものを興した選択の意味である。"安全はタダ"という通念のもとで創業初年度の売上は小さくとどまり、東京オリンピックの警備という国家的行事の実績を得て、ようやく民間警備の社会的な認知が広がった。前金で対価を得られる未開拓の安全需要に賭けた二人の若者の判断が、警備を有償のサービスとして成立させる出発点になったのだろう。
もう一つ見えてくるのは、人手による警備から機械警備への主力の移し方である。オリンピック後に警戒注文が殺到しても、警備員を増やすほど人件費が膨らむ構造では需要に応えきれず、飯田氏はセンサーと通信回線と監視センターによる集中管理へ主力を移した。府中3億円事件の批判のなかでも機械警備を選び通した判断は、人手に依存しない収益構造を選ぶ賭けでもあったと読める。創業から十数年で、渋谷桜丘の5名の会社は全国に警報基地を持つ機械警備の会社へと姿を変えていった。