当たり前でなかったのは、それを1997年12月に銀行が言った点である。公的資金の注入が目前に迫るなかで、地銀の一行だけが逆を向き、稼いだ利益で自行株を買い戻した。定款だけ整えて様子をうかがう企業が大半のなかで実行へ移せたのは、消却しても比率が揺るがない資本を持っていたからだと思われる。
ただ、この一手が静岡銀行を変えたと言うには、その後の姿は静かである。剰余金は2002年に地銀の筆頭として3,500億円を数え、中核自己資本比率は2003年に全国トップへ立った。資本を返してみせた行が、資本の厚さでも先頭に立ち続けたことになる。CET1比率13%程度を妥当とする2026年の説明も、その延長線上にある。1997年の消却は資本規律の転換点というより、資本をどこまで持つべきかという問いを邦銀で最初に口にした出来事とみるのが近い。