出資30%という譲歩は、時間に追われた1962年の日本ペイントにとって、東南アジア市場への足がかりを得るための現実的な選択であったとみられる。関税と合弁1社限定という制約のなかで、経営の主導権を明け渡してでも先んじてパートナーを確保する道は、後発企業に残された数少ない選択肢であった。技術供与に徹し、現地の商習慣に通じた実務家に販売と経営を委ねる分業は、実際に1970年代の急速な拡大を支える土台となった。
もっとも、この時点での小さな譲歩がどれほど大きな意味を持つかは、当事者たちにも見通せなかったはずである。呉清亮が率いた合弁事業は半世紀余りをかけて成長を続け、2014年にようやく連結の対象となり、その後は資本構成そのものを左右する存在へと転じていった。技術を供与した側が、技術を受け取った側にどこまで経営の裁量を委ねるかという最初の設計が、超長期でどのような帰結を生みうるかを、この合弁の出発点は静かに示しているといえる。