アルゼンチン子会社の存続(1977年・日本毛織の決断)

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論点 海外現地法人の危機対応と事業継続
売上高(億円)当期純利益率(%)
度重なる政変とクーデターをくぐり抜けた海外拠点の維持

度重なる政変とクーデターをくぐり抜けた海外拠点の維持

概要

1956年に伊藤忠商事・兼松江商との合弁でアルゼンチンに設立した現地法人ニホンケオリアルゼンチナが、度重なる軍事クーデターと高インフレという不安定な事業環境の中で、20年以上にわたり現地経営を維持し続けた経営判断。

背景

日本毛織は1956年、繊維専業メーカーとしては数少ない本格的な海外進出としてアルゼンチンに現地法人を設立した。同国は戦後、軍事クーデターと民政移管を繰り返す不安定な政治環境にあり、1973年からの第3次ペロン政権期には年率400%のインフレと極左テロが横行した。

内容

現地法人の藤井一義社長は、経営幹部への脅迫や取引銀行への襲撃が相次ぐ中でも一時帰国の勧めを退け、 『船が沈みそうになっても船長は決して逃げ出してはならない』 と従業員に結束を訴えた。過激派を入社させない徹底した採用審査や給料の遅配なしといった労務対策を積み重ね、従業員の支持をつなぎとめた。

含意

1976年3月の無血クーデターを経て発足した新政権下でも、同社は 『最も問題のない会社』 と評価され、その後は政情安定を見込んで積極投資に転じた。単一の同時代報道が主な裏付けだが、高度成長期の日本企業が数少ない本格的な海外進出先でどう危機に対応したかを示す実例である。

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筆者の見解 財務の合理より、逃げないという意思
筆者の見解

財務の合理より、逃げないという意思

この経営判断の核心は、財務的な打算というより、政変が続く現地でなお経営を続けるという意思そのものにあったと思われる。米国系企業の重役が続々と帰国するなかで、日本からの唯一の進出企業が現地に踏みとどまり、経営幹部が身の危険を冒してまで自ら指揮を執り続けた背景には、1956年の進出以来20年をかけて積み上げた労務対策への確信があったといえる。過激派を入れない採用審査、給料の遅配なし、家族ぐるみのクラブ活動という地味な積み重ねが、政変のたびに問われる従業員の支持という一点を支え続けた。

もっとも、日経ビジネスがこの記事を組んだ1977年8月の時点でも、アルゼンチンの政情は"政情さえ落ち着けば有望"という留保つきの評価にとどまっていた。同社の経営はなお継続中の物語であり、その後の展開まで本稿の一次資料からは追いきれない。それでも、国内市場が成熟しつつあった当時の日本企業にとって成長のはけ口を海外に求める動きが避けられなくなるという記事の見立ては、高度成長期の海外進出のあり方を考えるうえで示唆に富む。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1977年8月1日号
  • 企業の歴史(明治百年)(経済春秋社, 1968年)
  • 日本毛織 会社年鑑(単体)

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