犬山工場のフィルム転換(1968年・東洋紡の決断) 更新:2026/07/15 論点 不採算工場は閉鎖かフィルム転用か 東洋紡:業績の推移 売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所 パルプ主体の事業モデルからフィルムへの全面的な転換 何をなぜ決めたか:パルプ主体の事業モデルからフィルムへの全面的な転換 概要 1968年3月、東洋紡績は採算の悪化したパルプ生産拠点だった犬山工場を、閉鎖せずにフィルム生産工場へ転換する判断を下した。合成繊維の普及で先細ったパルプ・スフ事業の設備と立地を生かしたこの決断は、半世紀後にコスモシャインSRFという世界シェア6割の製品を生む土台となった。 背景 1954年のICI提携見送りで合成繊維参入が出遅れていた東洋紡績は、合成繊維の普及でスフ・レーヨンの原料需要そのものが細るなか、犬山工場のパルプ生産の採算が悪化する事態に直面していた。 内容 1968年2月にパルプ生産を停止して権利を東北パルプへ譲渡し、同年3月に化成品事業部を発足させた。衣料繊維としては不成功だったポリプロピレンをフィルム・プラスチック用途に転じ、犬山工場をその主力生産拠点に位置づけて、1971年に二軸延伸ポリエステルフィルム、1976年に二軸延伸ナイロンフィルムの生産を軌道に乗せた。 含意 工場を閉鎖せず設備と立地を転用したこの判断は、非繊維拡大路線を技術面で支える最初の足場となり、2013年開発のコスモシャインSRF(世界シェア約6割)に結実した一方、2023年3月期にはフィルムセグメントへの利益集中というリスクも表面化させた。 いつ何が起きたか 7件 考察:撤退と創造は同じ判断の裏表 考察 考察:撤退と創造は同じ判断の裏表 この決断の核心は、構造不況に陥った一事業を単に畳むのではなく、設備と立地という有形資産の使い道を白紙に近い状態から見直し、既存技術の応用範囲を再定義した点にある。パルプという素材加工の技術基盤は、フィルムという似て非なる製品領域への転用が可能であり、河崎邦夫氏の『衣料繊維としては不成功だが、フィルムやプラスチックの面では伸びる余地がある』という言葉は、失敗した用途からの撤退と別の用途への転用が一つの判断のなかで同時に進んだことを示していると思われる。 半世紀後にコスモシャインSRFが世界シェア6割という地位を確立したことは、この時点の判断が持ちえた射程の長さを物語る一方、フィルムセグメントへの利益集中という副作用も避けられなかった。2023年3月期の急激な減益は、技術転用によって育てた強みが、いつしか単一の事業に依存する構造的な弱さへと裏返りうることを示しており、犬山工場の転換という一つの決断は、今日の東洋紡が抱える課題とも地続きであり続けているといえる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日本経済新聞(1965年11月15日)証券アナリストジャーナル 1968年 第6巻7号(東洋紡績社長・河崎邦夫氏講演、日本証券アナリスト協会)東洋紡 有価証券報告書【沿革】日経ビジネス 1988年10月24日号東洋紡 有価証券報告書東洋紡「液晶ディスプレー用フィルム『コスモシャインSRF®』生産能力を3割増強」ニュースリリース(2025年2月7日) 次に読む決断 東洋紡の意思決定1966年東洋紡東洋紡呉羽紡績を吸収合併合繊の出遅れを合併で挽回するか1966年1982年東洋紡東洋紡非繊維分野への多角化繊維の再建か非繊維への資源転換か1982年同じ問い:隣接領域への展開1969年オリンパスオリンパス胃カメラ・内視鏡事業の独立カメラ優先の中で内視鏡に投資するか1969年1966年東急東急多摩田園都市の建設赤字の新線を宅地販売で賄えるか1966年1972年トヨタ紡織トヨタ紡織自動車部品メーカーへ転換紡織の技術を自動車部品へ転用するか1972年1972年太陽誘電太陽誘電「脱磁器コンデンサ」方針表明値崩れした主力への依存をどう減らすか1972年1964年クラフティアクラフティア九州電工ホーム設立で総合設備化電気工事から総合設備工事へ転換するか1964年 × 出所