三菱UFJモルガン・スタンレー証券の設立——米投資銀行との日本証券合弁

2010年実施

90億ドルを投じた米投資銀行と、なぜ国内の証券事業を2つの合弁へ組み替えたのか

時期 2010年3月
意思決定者 畔柳信雄(社長)
論点 証券事業の再編と米投資銀行との提携
概要
2010年5月、三菱UFJフィナンシャル・グループは、2008年に約90億ドルを出資したモルガン・スタンレーと日本の証券事業を合弁化し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券とモルガン・スタンレーMUFG証券の2社を発足させた経営判断。傘下の三菱UFJ証券とモルガン・スタンレー証券を吸収分割で再編し、危機下に結んだ資本提携を国内証券の統合という日々の事業へ踏み込ませた。
背景
リーマン・ショックで信用不安に陥ったモルガン・スタンレーの優先株を2008年10月に引き受けた資本業務提携が下地にあった。三菱UFJは国内に広い顧客基盤を持ちながら、M&A助言やクロスボーダーの資金調達では欧米の専門会社に及ばずにいた。
内容
三菱UFJ証券を吸収分割で中間持株会社に組み替え、モルガン・スタンレー証券の投資銀行部門を統合。三菱UFJモルガン・スタンレー証券は三菱UFJ側が議決権の6割を握り、モルガン・スタンレーMUFG証券は議決権をモルガン・スタンレーが51%持つ。経済的な持分は両社とも三菱UFJ6割・モルガン・スタンレー4割にそろえた。
含意
発足初年度にデリバティブ取引で巨額損失を出し、秋草史幸社長が引責辞任するなど船出は荒れた。それでもモルガン・スタンレーとの提携は長期で収益の柱の一つに育ち、2023年には純利益への貢献が出資額の2倍を超えた。
筆者の見解

危機の資本を、稼ぐ提携へ

この判断の芯は、危機のなかで結んだ資本の縁を、日々の事業へ引き移した点にある。2008年の90億ドルは、崩れかけた米投資銀行を支える防御の色を帯びていた。それを2年後、国内証券の再編という攻めの器へつなぎ替え、リテールに強い三菱UFJ証券と、助言・調達で世界に通じるモルガン・スタンレーを、一つの現場で組ませた。議決権では主導権を2社で分け、経済的持分では両社とも6割・4割にそろえる二重の設計は、対等の提携と支配の明確さを同時に立てる工夫であった。

もっとも、二つの文化を一つの会社へ束ねる代償は小さくなかった。発足初年度のデリバティブ損失と社長交代は、寄せ集めた組織を一つの規律で御することの難しさを、早い時期に突きつけた。それでも提携は続き、出資額の2倍を超える利益となって返ってきた。危機の底で相手に差し出した資本が、十数年をかけて国内証券の基盤と海外で稼ぐ力へ変わっていく——三菱UFJモルガン・スタンレー証券の設立は、一度の買収では終わらない、資本と事業を長くつなぐ提携の作り方を示している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

リーマン危機下の90億ドル

三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレーに接近したのは、2008年秋の金融危機のさなかであった。9月のリーマン・ブラザーズ破綻で米投資銀行が信用不安にさらされると、MUFGは10月13日、モルガン・スタンレーへ総額90億ドル、当時の為替で約9000億円を出資する。株価急落を受けて条件を組み替え、配当利回り10%の優先株で引き受けた。米政府の働きかけも絡んだこの資本注入で、MUFGは傷ついた米大手投資銀行の主要株主となり、資本の提携から事業の協働へ進む足場を得た[1][2]

国内証券の弱みと統合構想

MUFGは国内に広い顧客網を握る一方、企業のM&A助言やクロスボーダーの資金調達では欧米の専門会社に及ばずにいた。傘下の三菱UFJ証券はリテールに強みを持つものの、世界規模の案件を単独で組成する力は乏しい。両社は2009年3月26日、日本の証券会社を統合する方針を公表した。米大手が持つ投資銀行の力と、国内最大級の顧客基盤を一つの器に束ね、互いの弱点を補い合う狙いであった[3]

ところが全面統合を前に、両社は統合の形を組み替える。2009年11月18日、MUFGとモルガン・スタンレーは、世界の金融規制環境の動きを踏まえ、共同出資による2社体制へ改めると発表した。一つの会社へまとめる当初の形を離れ、投資銀行部門を担う会社と、セールス・アンド・トレーディングを担う会社に分ける構えである。規制の網が銀行と証券の一体運営に及ぶなか、支配と資本を細かく設計し直す判断であった[4]

決断

吸収分割と2社体制

実行は二段構えで進んだ。2010年4月、MUFGはまず傘下の三菱UFJ証券を会社分割し、日本の金融商品取引業を新設会社へ移して中間持株会社制へ移す。三菱UFJ証券は証券持株会社の三菱UFJ証券ホールディングスへ商号を改め、事業を引き継いだ新会社が三菱UFJ証券の名を継いだ。合弁の受け皿となる証券会社を、持株会社の下にいったん組み替える下ごしらえであった[5]

2010年5月、二つの合弁が動き出した。三菱UFJ証券がモルガン・スタンレー証券の投資銀行部門を吸収して三菱UFJモルガン・スタンレー証券となり、モルガン・スタンレー証券の残る事業はモルガン・スタンレーMUFG証券へ引き継がれた。前者は三菱UFJ側が議決権の6割を握って主導し、後者はモルガン・スタンレーが議決権の51%を持つ。ただし経済的な持分は両社ともMUFGが6割・モルガン・スタンレーが4割で、利益の取り分では立場をそろえた[6][7]

顧客基盤とグローバル・リーチを結ぶ狙い

組み替えの狙いは、互いの強みを一つの現場でつなぐ点にあった。MUFGの広い顧客基盤と、モルガン・スタンレーが世界に持つ助言・調達の網を結び、国境をまたぐM&Aや資金調達に応える——両社はそう掲げた。三菱UFJモルガン・スタンレー証券では会長をモルガン・スタンレーが、社長をMUFGが指名し、モルガン・スタンレーMUFG証券では役割を入れ替えた。支配の所在を2社で分け合い、提携を対等に近い形で束ねる設計であった[8][9]

結果

荒れた船出と提携の熟成

船出は平らかではなかった。発足から1年足らずの2011年3月期、三菱UFJモルガン・スタンレー証券はデリバティブ取引で巨額の損失を出す。責任を取って秋草史幸社長は2011年4月に退き、三菱東京UFJ銀行副頭取の豊泉俊郎が後を継いだ。秋草は会見で、リスク管理が甘く働いていなかったと認めている。二つの企業文化を一つの会社に混ぜる難しさが、発足まもなく表に出た[10]

荒れた出だしののち、モルガン・スタンレーとの提携は収益の柱の一つへ育っていく。MUFGが持つモルガン・スタンレー株の持分法投資利益は、リーマン後の同社の再建とともに膨らみ、2023年には出資から15年を数えた。集計では、2013年度からの10年で純利益への直接の貢献は2兆1000億円強に達し、出資額の2倍を超えた。危機のさなかに投じた約9000億円は、長い時間をかけて取り戻された[11]

出典・参考