米SIPS最大手マーチファーストとの合弁による、ネット時代のコンサルティング事業への進出
広告枠を押さえる王者は、なぜ広告取次の外へ踏み出そうとしたのか
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- 概要
- 2000年10月、電通が米国のSIPS(ストラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス)最大手マーチファースト(シカゴ市)と提携し、合弁会社「電通マーチファースト」を同年11月に設立、2001年1月から本格的なコンサルティング事業に乗り出すと発表した経営判断。広告枠の取次を軸としてきた電通が、インターネット時代の総合コンサルティングへ越境する試みであった。
- 背景
- 電通は日本の広告市場でシェア2割超を握る首位企業だが、その強みはテレビ広告枠の確保能力に集中していた。インターネットの普及で広告が企業戦略の一部と化すなか、ネット活用やマーケティングを助言するノウハウを社内に欠いていた。米国では、戦略立案からウェブ構築・運用までを一手に引き受けるSIPSという業態が高成長を遂げていた。
- 内容
- 合弁会社は当初は電通の100%出資で発足し、2年以内にマーチファーストが転換社債を転換して折半出資となる予定であった。目標売上高は1年目8億5000万円、2年目32億3000万円を掲げ、アンダーセンコンサルティングや日本IBMを競争相手に想定した。新会社会長に就く瀬川紘一・電通常務執行役員は、提携を「次代の電通を支えるビジネスモデル」の構築と位置づけた。
- 含意
- 提携直後の2001年4月、本家の米マーチファーストがネットバブル崩壊のなかで経営破綻した。当初の折半出資の枠組みは崩れたものの、日本法人は社長を迎えて事業を続けた。広告会社から総合コンサルティング会社へ変身したいという電通の模索が、最初期に形をとった判断とみられる。
広告取次の外へ踏み出すということ
この合弁は、広告枠の取次で成長してきた電通が、その外側にある業態へ足を踏み入れた早い試みにあたる。テレビ広告枠を押さえる能力は、右肩上がりの広告市場では圧倒的な強みであった。だが、ネットが広がり、広告主が費用対効果を厳しく問うようになると、枠を確保するだけでは足りず、企業戦略に踏み込んで助言する力が要る——1998年に同時代メディアが「岐路に立つ王者」と特集した構造変化に、電通は自前ではなく合弁によって応じようとしたとみることができる。
もっとも、選んだ相手が本国で破綻したことは、越境の難しさも示している。合弁は当初の折半出資の設計を保てず、電通は米国のノウハウを学ぶ相手を早くに失った。それでも日本法人を残した判断は、広告会社から総合コンサルへという方向を電通が手放さなかったことをうかがわせる。この模索が後年のデジタル領域への布石となったのか、あるいは一度きりの挑戦にとどまったのかは、その後の電通の事業構成の変化のなかで測られていくとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
広告枠に依存する事業モデルと、ネットの台頭
電通の強さは、テレビをはじめとする広告枠の確保能力に支えられてきた。民放キー局に占める電通の取扱高は夜の時間帯で4割から5割に達し、広告枠をあらかじめ買い取る「買い切り」に自前の番組企画・制作機能を組み合わせることで、広告主との取引を広げてきた。日本の広告市場に占めるシェアは2割を超え、単独企業としては世界最大の広告会社に育っていた[1]。
そのモデルが、インターネットの普及で揺らぎ始めていた。ネットが広がり、テレビもデジタル化して双方向のサービスが可能になると、メディアは広告の媒体というより、企業戦略の一翼を担うマーケティングの手段へと性格を変える。広告会社が生き残るには、広告枠を確保する能力に加え、企業戦略に踏み込んでネットの活用法を助言する力が要る。ところが当時の電通は、そのノウハウを社内に欠いていた[2]。
米国で生まれたSIPSという業態
この欠落を埋める相手として電通が見たのが、米国で急伸していたSIPSという業態であった。SIPSはストラテジック・インターネット・プロフェッショナル・サービスの略で、IT戦略のコンサルティングからマーケティング、ウェブサイトや社内システムの構築・運用までを一社でまとめて引き受ける。経営コンサル・広告会社・システム構築事業者が別々に担ってきた仕事を、一貫して提供する点に特徴があった[3]。
そのSIPS最大手が、シカゴ市に本拠を置くマーチファーストであった。同社は1万人以上のスタッフを抱え、欧米で高成長を続けていた。最高経営責任者のロバート・バーナード氏は、短期間で一貫したシステムを構築できる点にSIPSの需要があると述べ、手付かずのアジア市場を攻めるうえで、幅広い顧客を抱える電通を願ってもないパートナーと述べた。両社の思惑は、日本にSIPSを根づかせる点で一致していた[4]。
決断
電通マーチファーストの設立
2000年10月、電通はマーチファーストとの提携を公表し、同年11月に合弁会社「電通マーチファースト」を設立して2001年1月から事業を始めると発表した。日経BPの報道も、SIPS最大手の米マーチファーストが電通と組んで日本に新会社を設けると同時期に伝えている。新会社は当初は電通の100%出資で発足し、2年以内にマーチファーストが転換社債を転換して折半出資会社となる段取りであった。目標売上高は1年目に8億5000万円、2年目に32億3000万円を掲げ、アンダーセンコンサルティングや日本IBMを競争相手に見込んだ[5][6]。
電通にとって、この合弁は欠けていたコンサル機能を外から取り込む意味を持っていた。新会社会長に就く予定の瀬川紘一・電通常務執行役員は、私見と断りつつ、コミュニケーションに焦点を絞った当時の電通のビジネスではいずれ成長に限界がくると述べ、マーチファーストからIT関連のノウハウを学び、次代の電通を支えるビジネスモデルを築きたいと語った。広告会社を脱却し、総合コンサルティング会社へ変身したいという願いが、提携の底にあった[7]。
結果
本家の破綻と、日本法人の存続
提携から半年後、前提が崩れた。SIPSを生んだ米国では、2000年後半からネットバブルの崩壊が業界を直撃し、主要顧客だったドットコム企業の倒産や事業縮小が相次いだ。最大手のマーチファーストも2001年4月に経営破綻に追い込まれ、ピーク時に100ドルを超えたSIPS各社の株価は軒並み数ドル前後まで転落した。折半出資の相手が消える事態は、合弁の当初の枠組みを揺るがした[8]。
一方、日本の電通マーチファーストは事業を続けた。同社は2001年4月、前SASインスティチュートジャパン筆頭副社長でアクセンチュア出身の百瀬公朗氏を社長に迎え、当面はマーチファーストの人材を採用してノウハウを補いつつ、本場・米国で新たな提携先を探す構えを取った。日本ではSIPSの需要が底堅く、電通は日本のSIPS市場が拡大するとみて事業展開を続けた。本家を失っても日本法人が残った点に、コンサル領域へ足場を築こうとする電通の意思がうかがえる[9]。
- 日経ビジネス 2000年10月23日号「電通、ネット時代のコンサル業へ本格進出! 米最大手と合弁、ライバルはアンダーセン・日本IBM」
- 日経ビジネス 2001年7月2日号「米で苦境のSIPS、日本法人は意外や元気 サイエントはMBO、電通マーチファーストも着々と事業展開」
- 日経ビジネス 1998年9月28日号「電通スタディー 岐路に立つ広告の王者」
- 日経BP「SIPS最大手の米marchFIRSTが日本に電通と新会社設立し来年1月に事業開始」(2000年10月11日)
- 電通 有価証券報告書(2002年3月期・連結)