この合弁は、広告枠の取次で成長してきた電通が、その外側にある業態へ足を踏み入れた早い試みにあたる。テレビ広告枠を押さえる能力は、右肩上がりの広告市場では圧倒的な強みであった。だが、ネットが広がり、広告主が費用対効果を厳しく問うようになると、枠を確保するだけでは足りず、企業戦略の水準まで助言する力が要る——1998年に同時代メディアが"岐路に立つ王者"と特集した構造変化に、電通は自前ではなく合弁によって応じようとしたと推察される。
もっとも、選んだ相手が本国で破綻したことは、越境の難しさも示している。合弁は当初の折半出資の設計を保てず、電通は米国のノウハウを学ぶ相手を早くに失った。それでも日本法人を残した判断は、広告会社から総合コンサルへという方向を電通が保ち続けたことをうかがわせる。この模索が後年のデジタル領域への布石となったのか、あるいは一度きりの挑戦にとどまったのかは、その後の電通の事業構成の変化のなかで測られていくと思われる。