九州旅客鉄道鉄道資産の一括減損と経営安定基金の全額充当による東証一部上場

国に返すか使い切るか——「持参金」3,877億円の始末をめぐる交渉と、鉄道を黒字にしてから市場へ出る選択

時期 2015年1月
意思決定者(推定) 青柳俊彦 社長
論点 経営安定基金の処理と上場前の財務整理
概要
2016年10月25日、九州旅客鉄道が東京証券取引所市場第一部に上場し、JRグループで4社目の完全民営化に至った。上場に先立つ2016年3月期には経営安定基金3,877億円を全額取り崩し、九州新幹線使用料の一括前払いと借入金の返済に充てたうえで、鉄道事業の資産を一括して減損している。
背景
上場の障害は、国鉄改革で交付された経営安定基金3,877億円の扱いにあった。国民の財産であるから返納すべきという意見が財務省を中心に上がり、九州旅客鉄道は基金を返すなら上場しないという立場で対立した。一方、整備新幹線の開業前倒し論で追加負担5,400億円が見込まれ、国の側は株式売却収入を求めていた。
内容
基金は返納せず取り崩す形で決着し、九州新幹線使用料2,205億円の一括前払い、借入金800億円の返済、鉄道事業への872億円に振り分けられた。減損では鉄道事業を一つの資産グループとみなし、5,215億円を一括計上して鉄道事業固定資産の簿価をほぼゼロまで落とした。
含意
年102億円の使用料と減価償却がともに消え、2016年3月期に105億円の営業赤字であった運輸サービスは、翌期に257億円の営業黒字へ転じた。鉄道を黒字の姿にしてから市場へ出す整理であり、三島会社の特例であった固定資産税の軽減は上場とともに縮小へ向かった。
筆者の見解

返さずに使い切るという答え

2015年の交渉で問われたのは、経営安定基金を国へ返すか手元に残すかではなく、何に使えば返したのと同じ効果が出るかであった。財務省は基金を返納して長期債務の返済に充てるべきだとし、唐池恒二会長は返せというなら上場はしないと応じる。決着は、返さずに全額を使い切る形になった。九州新幹線の使用料の一括前払いに2,205億円、長期借入金の返済に800億円、鉄道事業に872億円。年102億円の支払いが将来にわたって消えている。

もっとも、使い切るという答えは、上場の条件を満たすと同時に、同じ手をもう一度使えなくすることでもあった。2016年3月期には5,215億円の減損で鉄道事業固定資産の簿価を6億円まで落とし、減価償却という重しも一度で外している。乗客の数も路線の長さも変わらないまま、赤字の事業が黒字の姿で決算書に現れた。帳簿を整えて得られる改善は、整えたその期にしか効かない。基金という支柱を一度で外した九州旅客鉄道がいま負っているのは、鉄道の外の商売を伸ばし続けるという、終わりのない仕事だとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

上場を阻んでいた「持参金」

九州旅客鉄道の上場を長く阻んでいたのは、業績よりも制度の問題であった。1987年の発足時に交付された経営安定基金3,877億円は総資産の3分の1を占め、2015年3月期の運用益は120億円を超えて経常利益の5割弱を稼いでいた。国の補助金で得た運用益に利益の半分近くを依存する会社が、そのまま株式市場に出てよいのか。財務省を中心に、上場するなら基金は国に返納して長期債務の返済に充てるべきだという意見が上がっていた[1][2]

もう一つの重荷は鉄道の収支であった。2016年3月期の運輸サービスセグメントは売上1,763億円に対して105億円の営業損失で、駅ビル・不動産が204億円の利益を上げて全体を黒字に保っていた。加えて九州新幹線は鉄道建設・運輸施設整備支援機構から設備を借りる整備新幹線方式で、年102億円の使用料を2040年まで払い続ける約束を負っていた。本業が赤字で固定費の縛りが残る会社に、市場が高い値をつける見込みは薄かった[3][4]

国の側が上場を求める側に回る

話を動かしたのは、九州側の事情ではなく国の財布であった。2014年5月に与党内で整備新幹線の開業前倒し論が浮上し、北陸新幹線の敦賀延伸と北海道新幹線の札幌延伸を早めた場合、国土交通省の試算で5,400億円の追加負担が生じるとされた。鉄道・運輸機構が持つ九州旅客鉄道株を売却すれば、その財源をすぐに得られる。過去に何度も上場を渋ってきた政府が、一転して上場を待望する側に回った[5]

交渉の材料が入れ替わったところで、九州旅客鉄道は強い立場を採った。当時会長であった唐池恒二氏は、基金を保持したままの上場が国の方針であり、返せというなら上場はしないと述べている。基金を失えば運用益が消え、鉄道の赤字を埋める手当てが無くなる。返納を呑めば上場後の収益はかえって細るという計算が、この構えの裏にあった[6]

決断

返さず、使い切る

決着は2015年に付いた。基金は国庫へ戻さず、企業価値を高めるために使い切れば上場時の売却益が増えるという理屈で、全額を財務の整理に充てる方針が定まった。内訳は、九州新幹線の使用料の一括前払いに2,205億円、長期借入金の返済に800億円、鉄道事業に872億円である。年102億円の支払いが将来にわたって消え、九州新幹線は収益の見え方が変わった。同年6月3日には完全民営化を定める改正JR会社法が成立し、11月16日には鉄道・運輸機構が株式売り出しの主幹事証券の選定に入った[7][8][9]

会計検査院は2015年の随時報告で、この処理が3島会社のなかで九州だけの扱いになる点を指摘している。JR北海道の6,822億円とJR四国の2,082億円は据え置かれ、基金を財務の整理に使って市場へ出るのは九州旅客鉄道だけであった。同じ制度で始まった3社を分けたのは、鉄道以外の事業がどれだけ利益を生んでいるかという違いであった[10]

鉄道事業をひとつの資産とみなす

財務整理のもう一方が、2016年3月期の一括減損であった。計上した減損損失は5,215億円で、主なものは長期前払費用として資産に立てた新幹線使用料2,205億円と、2,824億円の鉄道事業固定資産である。減損後の鉄道事業固定資産の簿価はわずか6億円と、ほぼゼロの水準まで落ちた。特別損失は合計5,462億円に達し、経常利益320億円を計上しながら、親会社株主に帰属する当期純損失は4,331億円となった[11][12]

減損の対象の広さには疑問も出た。2013年に走り出した「ななつ星 in 九州」は利益を出しているとされ、2003年から2012年にかけて造られた九州新幹線の車両や2015年に入れたばかりの通勤電車まで簿価を落とすのは筋が通らないという見方であった。九州旅客鉄道の説明は、路線のネットワーク全体でキャッシュフローを形成しているというもので、鉄道事業をひとつの資産グループとして扱った。都市圏の在来線や観光列車が黒字でも、鉄道事業全体が赤字である以上、グループごと簿価をほぼゼロまで落とすという整理であった[13]

結果

赤字の鉄道が黒字の姿で市場に出る

2016年10月25日、九州旅客鉄道は東京証券取引所市場第一部に上場した。JR東日本(1993年)、JR西日本(1996年)、JR東海(1997年)に続くJRグループ4社目の上場であり、公募価格2,600円に対して初値は3,100円と19%上回って寄り付いた。初値時点の時価総額は約4,960億円であった。青柳俊彦社長は上場の日を振り返り、会社発足の時点で将来の上場を思い描いていた人はいなかったはずだと述べている[14][15]

財務整理の効果は翌期の数字に表れた。運輸サービスセグメントの減価償却費は2016年3月期の264億円から2017年3月期には28億円へ落ち、年102億円の新幹線使用料も消えている。105億円の営業損失であった同セグメントは257億円の営業黒字に転じ、連結では売上3,829億円・営業利益587億円・親会社株主帰属純利益448億円を計上した。青柳社長は上場に際し、運輸サービスと駅ビル・不動産の利益がそれぞれ全体の4割を占める構成で当面は成長を目指すと語った[16][17][18]

消えた費用と、残った費用

黒字の姿が続く保証は無かった。2016年4月以降の新規設備投資には従来どおり減価償却がかかり、三島会社の特例として認められてきた固定資産税の軽減措置も、上場に伴って段階的に縮小して2019年以降は完全に廃止される予定であった。基金の運用益という収入も、もはや存在しない。2022年度に開業が見込まれた西九州新幹線も整備新幹線方式で導入されるため、収入が増えても使用料が生じ、利益への寄与は小さいとみられていた[19]

路線の扱いも上場後に持ち越された。JR北海道が2016年11月に単独では維持が困難な線区を公表すると、九州でも赤字路線の廃止が続くのではないかという観測が出た。青柳社長は鉄道ネットワークを維持すると述べ、廃止ではなく駅の無人化などの経費削減で利益を確保する構えを採った。一方、沿線自治体のなかには株式を取得して株主の立場から路線の存続を求める動きも生まれ、上場は地域との関係にも新しい経路を作った[20]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2014年7月11日号「ニュース最前線 鉄道 一転して政府が熱望 JR九州「上場」の成否」
  • 週刊東洋経済 2015年11月20日号「【第1特集 ここがおかしい! 日本の鉄道】 PART2 人口減少サバイバル 上場の試練2 鉄道事業はいまだ赤字 JR九州の厳しい前途」
  • 週刊東洋経済 2016年12月10日号「【深層リポート JR九州、“脱鉄道”の成算】 JR九州、“脱鉄道”の成算」
  • 日本経済新聞(2016年10月26日)「JR九州上場、快走演出した「不動産事業」」
  • 日本経済新聞(2015年1月30日)
  • 会計検査院 随時報告(平成27年)
  • 九州旅客鉄道 有価証券報告書(2016年3月期・連結)
  • 九州旅客鉄道 有価証券報告書(2017年3月期・連結)

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