日立化成の約9600億円買収と「レゾナック」への業態転換

総合化学の看板を捨ててでも、半導体材料の世界トップを丸ごと取りに行くべきか——森川宏平社長が投じた「1兆円買収」の賭け

更新:

時期 2019年12月
意思決定者 森川宏平 昭和電工 社長
論点 事業構造の転換と大型M&A
概要
2019年12月18日、昭和電工が日立製作所グループの日立化成を約9600億円で買収すると発表した経営判断。2020年2月開始のTOBで完全子会社化し、日本の化学業界で過去最大のM&Aとなった。森川宏平社長が主導した。
背景
黒鉛電極市況の高騰で2018年12月期に営業利益1800億円の過去最高益を得た一方、市況商品ゆえに次の成長の柱が課題だった。日立が御三家を含む上場子会社の売却へ舵を切り、後工程材料で世界トップ級の日立化成が売りに出た。
内容
売上規模でほぼ同格・従業員数では倍の約2.2万人を抱える日立化成を、約9600億円で買収する「小が大をのむ」M&A。資金の大半を銀行借入で賄い、コロナ禍と買収負担が重なった2020年12月期は純損失▲763億円を計上した。
含意
半導体後工程材料で世界トップ級の会社を丸ごと取り込み、総合化学から半導体・電子材料企業への業態転換を決定づけた。2023年1月には持株会社化と同時に、1939年から84年続いた昭和電工の社名をレゾナックへ改めた。
筆者の見解

効率と看板——業態転換の賭けが残したもの

この判断の芯にあるのは、黒鉛電極という市況商品が一時的にもたらした富を、市況に左右されにくい先端材料の事業へと組み替える発想であった。偶然のバブルで得た手元資金を上回る借入まで重ね、短期の巨額赤字を引き受けてでも、名門の日立化成を丸ごと取りに行った。効率や当座の利益ではなく、10年後の立ち位置を買った選択だったとみることができる。1兆円という値づけが割高だったか否かは、背負ったのれんが減損に転じるのか、統合の相乗効果が数字として結実するのかにかかっており、なお答えは出ていない。

84年続いた昭和電工という社名を捨てた点に、この賭けの重さが凝縮されている。総合化学の古豪という看板を下ろし、半導体材料で世界と戦う会社へ名前ごと書き換えた。ただ、買収でコングロマリットとしての事業の幅はむしろ広がり、その後も石油化学の切り出しなどポートフォリオの入れ替えは続いている。この買収が業態転換の完成だったのか、なお続く再編の始まりにすぎないのかは、半導体材料の成長が重い負債と捨てた社名に見合う果実をもたらすかどうかにかかっている、とみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

黒鉛電極バブルと「次の柱」への不安

2010年代後半の昭和電工は、業績の大半を黒鉛電極という一事業の市況高騰に委ねていた。電炉向けの黒鉛電極は長く市況低迷にあえいだが、2017年に中国が環境負荷の小さい電炉製鋼を促したことで需要が一気に膨らみ、市況が爆騰した。市況低迷下で独SGLの黒鉛電極事業を安く買った逆張りが的中し、2018年12月期には黒鉛電極事業の利益が1324億円へ拡大して全社営業利益の7割超を稼ぎ出した。会社は空前の好況にあった[1]

ただし黒鉛電極はあくまで市況商品で、歴史的な高騰がいつまでも続く保証はなかった。石油化学は内需の先細りに米国のシェール由来品の流入が重なり、ハードディスクもフラッシュメモリーへの置き換えで市場規模が頭打ちになっていた。バブルが収束したとき何が全社を牽引するのか——森川宏平社長は買収発表の会見で、単独で10年20年やる道も考えたが、機能性化学で世界トップになれる機会を逃したくなかったと心情を語っていた[2][3]

日立が振るった「御三家」売却の大ナタ

機を与えたのは、売り手である日立製作所の構造改革であった。日立はIoT基盤「ルマーダ」と関係が薄く利益率の低い子会社を株式売却で連結から外す方針を進め、10年前に20社を超えた上場子会社を4社まで絞り込み、残る4社も2021年度までに結論を出すとしていた。電池材料などを手がける日立化成はその御三家の一角で、2019年春から売却手続きに入っていた。前年末に品質不正が発覚し、業績の低迷も続いていた[4][5]

日立化成は半導体や配線板の材料、高機能フィルムを得意とする機能材料メーカーである。買収には投資ファンドなど複数社が名乗りを上げたが、雇用維持などの条件を理由に相次いで撤退し、最後まで残って買収の権利を手にしたのが昭和電工であった。総合化学が生き残りをかけて機能品分野の強化を急ぐなか、新たな柱の育成が遅れていた昭和電工にとって、機能品を一気に補える相手が市場に出た好機となった[6][7]

決断

「小が大をのむ」9600億円の大勝負

2019年12月18日、昭和電工は日立化成を買収すると発表した。日立が保有する約51%を含む全株式を、翌2020年2月に始めるTOB(株式公開買付け)で取得して完全子会社化し、2023年をめどに両社を合併する枠組みであった。買収総額は約9600億円にのぼり、日本の化学業界で過去最大のM&Aとなった。森川社長は会見でこの買収を昭和電工の歴史上の大きな転換点と位置づけ、社運を懸けた一世一代の大勝負に踏み切った[8][9]

賭けの色は濃かった。売却観測が広がって以降に日立化成の株価は3倍近くへ跳ね上がり、取得額は膨らんだ一方、同社の前年度の営業利益は363億円にとどまっていた。蓄電池など不振事業を抱える収益力に対して買収額は割高で、巨額ののれんを背負う以上、期待した相乗効果が出なければ多額の減損を迫られる構図であった。従業員数では日立化成の約2.2万人が昭和電工の倍にあたり、規模でも小が大をのむ買収となった。森川社長は3年以内に年200億円のコスト削減効果があると説き、成算を強調していた[10][11]

借入で背負った転換のコスト

買収資金のほとんどは銀行借入で賄われ、財務は急速に悪化した。買収完了後のD/Eレシオは1.9倍に達し、黒鉛電極で積み上げたキャッシュを上回る規模の負債を抱え込んだ。会社は2025年に同レシオを1倍へ近づけることを目標に掲げたが、当面は重い返済負担を抱えながら統合を進める構図となった。市況の富を元手に、市況に左右されにくい事業を借金で買うという構造が、この買収の資金面の性格であった[12]

買収は2020年4月に完了し、日立化成は昭和電工マテリアルズへ改称した。半導体パッケージ向けの封止材や銅張積層板など、後工程材料で世界トップ級のシェアを持つ会社を丸ごと取り込んだことで、石油化学やカーボンを主軸とする総合化学から、半導体・電子材料を核とする会社への転換は後戻りのできないものになった。買収そのものが、事業構造の組み替えを既成事実にする装置として働いた[13]

結果

短期業績という代償と長期ビジョン

代償は、まず短期の決算に表れた。買収を織り込んだ2020年12月期は、コロナ禍による既存事業の急減速と買収負担が重なり、売上高9737億円に対して営業損失▲194億円、純損失▲763億円を計上した。長く黒字を続けた会社が、業態転換の初年度に巨額の赤字を引き受けた格好であった。黒鉛電極で得たキャッシュを上回る買収は、短期の業績を差し出してでも長期の事業構造を取りに行く選択となった[14]

赤字と並行して、統合後の絵姿づくりも進んだ。会社は2020年12月に長期ビジョンを示し、2025年12月期に売上高1.6兆円、売上高EBITDA比率20%という目標を掲げた。半導体関連を含むエレクトロニクスを「コア成長事業」に据え、石油化学などを「安定収益事業」と位置づける4つの枠組みを定義し、そこに収まらない事業は切り出すとした。森川社長は日立化成買収を、世界で戦える会社をつくるために必要な一手だと位置づけていた[15]

昭和電工の看板を捨てる

2021年6月に森川宏平から髙橋秀仁へ社長が交代し、統合は総仕上げの段階に入った。2023年1月、会社は持株会社体制へ移行すると同時に、商号を昭和電工からレゾナック・ホールディングスへ改め、事業会社となった昭和電工マテリアルズもレゾナックへ改称して全事業を承継した。1939年の合併以来84年続いた昭和電工という社名は、半導体材料企業への業態転換を機に消えた。名前を書き換えるところまで進んだ点に、この判断の非可逆性が表れていた[16][17]

髙橋社長は統合のねらいを、川上と川下の結合による付加価値の獲得に置いた。原価の見える粉や液で売る昭和電工と違い、旧日立化成は製品が保証する機能を売るため付加価値を取りやすく、両社をつなげば原料を内製して設計まで一貫できると説いた。会社は半導体材料を含む電子材料の売上高を、2021年12月期の約3600億円から10年で8500億円へ伸ばす目標を掲げた。総合化学の古豪という自己規定を捨て、主力を半導体材料へ移していった[18][19]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号「変わる日立 大胆にポートフォリオ入れ替え 低迷「御三家」売却の大ナタ」
  • 週刊東洋経済 2020年1月11日号「名門の日立化成を傘下に 昭電工「1兆円買収」の賭け」
  • 週刊東洋経済 2021年2月6日号「トップに直撃 昭和電工 社長 森川宏平「世界で戦える会社へ 優先度低い事業切り出しも」」
  • 週刊東洋経済 2023年1月7日号「トップに直撃 レゾナック・ホールディングス 社長 高橋秀仁「半導体材料は年10%成長 「次の山」へ投資緩めず」」
  • 昭和電工 有価証券報告書(2020年12月期・連結・IFRS)
  • レゾナックHD 有価証券報告書【沿革】