檀克義氏の第3代社長就任——技術先行の会社を営業出身のプロ経営者に託す
創業者はなぜ「楽器音痴」の営業畑を後継に選んだか——短命の後継者の後で
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- 概要
- 1996年4月1日、電子楽器メーカーのローランドで、創業者・梯郁太郎会長が営業畑一筋の檀克義氏を第3代社長に指名した経営判断。前社長の菊本忠男氏が就任からわずか9カ月余りで退任した後を受けた人事で、創業家でも技術者でもない営業出身のプロ経営者への承継となった。
- 背景
- ローランドは創業者・梯郁太郎氏が技術先行で育てた会社だが、バンドブームの終焉で国内シンセサイザーの売れ行きが落ち込み、欧米向け輸出も低迷して1995年3月期は2期連続の減収減益となっていた。開発陣が自信をもって送り出した製品が市場にそっぽを向かれるケースが増えていた。
- 内容
- 檀氏は1972年にエース(現ローランド)へ中途入社し、東京営業所の立ち上げや海外市場の開拓など営業畑を歩んできた。「これまでのローランドは技術先行型で、営業が消化不良を起こしていた」と反省し、営業からの的確な市場情報を発信してヒットの確度を高める考えを示した。自らを「楽器音痴」と語る冷静な目が期待された。
- 含意
- 檀社長の下でローランドは開発体制の改革も進め、マニア層向けの新製品で連結売上高を1998年3月期に582億円と3期連続の増収増益へ回復させた。技術先行の弊を営業の目で正しつつ、創業者・梯氏の「分野を絞りひたすら特化する」思想は引き継がれた。
創業者の思想と、外から来た目
この承継の核心は、技術で会社を興した創業者が、あえて技術者ではなく営業出身者を後継に選んだ点にある。国産初のシンセサイザーを生んだローランドにとって、技術は誇りであり存在の根拠でもあった。その会社が減収減益に沈んだとき、梯氏が求めたのは、より優れた技術者ではなく、技術と市場のあいだをつなぐ目であった。9カ月で去った技術者の後に営業畑を据えた人事には、技術先行のままでは成熟した楽器市場を生き抜けないという創業者自身の見立てが表れていたとみることができる。
もっとも、創業者が存命で会長として特化の思想を掲げ続けるなかでの承継は、後継者にとって独自色を出しにくい面も残る。檀氏に託されたのは、梯氏の特化の哲学を崩さずに、そこへ営業と市場の視点を接ぐという難しい役回りであった。創業者の思想を受け継ぐことと、外から来た目で会社を変えることは、時に相反する。両者をどう両立させるかは、その後の非創業家経営が問われ続ける課題になったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
短命に終わった後継者
ローランドは、創業者・梯郁太郎氏が1972年に設立し、国産初のシンセサイザーなどを世に送り出して育てた電子楽器メーカーである。梯氏は1995年に社長を退いて会長となり、後任には技術者の菊本忠男氏が社長に就いた。ところが菊本氏の社長在任は、就任からわずか9カ月余りにとどまった。技術先行で歩んできた会社の舵取りは、就任早々の後継者にとって重い課題となっていた[1]。
交代の背景には業績の変調があった。1980年代後半のバンドブームが終わると国内のシンセサイザーの売れ行きが落ち込み、欧米向けの輸出も低迷して、1995年3月期の決算は2期連続の減収減益となっていた。開発陣が自信をもって送り出した製品が、市場にそっぽを向かれるケースが増えていた。主力の鍵盤楽器の市場は成熟に向かい、コンピューターミュージックなど新規分野の育成や、若者や音楽マニア以外の顧客の開拓が急がれる状況であった[2]。
決断
営業畑のプロ経営者へ
1996年4月1日、梯会長は檀克義氏に後任を言い渡した。突然の指名に本人はまだ戸惑いと意欲が相半ばしていたという。檀氏は1941年に福岡県で生まれ、兄が経営する共同航空を経て、1972年にエース(現ローランド)へ中途入社した。以来、東京営業所の立ち上げや海外市場の開拓を手がけ、営業畑一筋に歩んで1989年に取締役、1995年に専務となった。創業家でも技術者でもない、営業出身の経営者への承継であった[3]。
檀氏は「これまでのローランドは技術先行型で、営業が消化不良を起こしていた」と反省し、営業から的確な市場情報が発信されればヒットの確度が高まると分析した。自らを「楽器音痴」と語り、趣味としてではなくビジネスとして音楽をとらえる冷静な目に、業績回復への期待が集まった。技術で先を走りながら、その製品を市場に届ける営業の力が追いつかない——創業者が営業出身者を選んだのは、その不均衡を正させる狙いがあったとみられる[4]。
結果
営業重視と開発改革の両輪
檀社長の下で、ローランドは営業重視への転換と並行して開発体制も作り替えた。1994年に導入した「プロデューサー制」を軸に、市場の変化を読んで製品企画を立てる仕組みを整え、1996年以降はマニア層向けの新製品を相次いで当てた。連結売上高は1998年3月期に582億円へ伸び、3期連続の増収増益を達成した。「五十歩百歩の商品では勝ち残れない。二百歩の商品が常に求められる」と檀社長は語り、市場を先取りする製品づくりを社の目標に据えた[5]。
一方で、営業出身の社長が率いてもなお、ローランドの土台には創業者・梯郁太郎氏の「分野を絞りひたすら特化する」思想があった。梯氏は会長として「大を避けてナンバー1を取る」戦略を掲げ続け、特化した分野で業界1位を確保することを求めた。技術先行の弊を営業の目で正しながら、特化の哲学は手放さない——非創業家への承継は、創業者の思想を保ったまま、経営の力点を技術から営業へ移す試みであったといえる[6]。
- 日経ビジネス 1996年4月15日号「新社長登場 檀克義氏 楽器は苦手でも、売る目は厳しく」
- 日経ビジネス 1998年12月21日・28日号「ローランド 改良より新技術生む組織に縮小」
- 日経ビジネス 2000年4月10日号「有訓無訓 梯郁太郎 規模が大きくなっても、ひたすら特化する」
- ローランド 有価証券報告書(1996年3月期・連結)