エムスリーの先行TOBに対抗し、福利厚生最大手を買収する
2024年実施なぜ第一生命は、エムスリーが先に仕掛けたTOBに異例の対抗をしてまで、福利厚生代行のベネフィット・ワンを約2,920億円で買収したのか
- 概要
- 2024年、第一生命ホールディングスが福利厚生代行で国内最大手のベネフィット・ワンを株式公開買付けで買収し完全子会社化した案件。医療情報のエムスリーが先行して1株1,600円でTOBを進めていたところへ、第一生命が2,173円で対抗し、争奪戦を制した。買収総額は約2,920億円であった。
- 背景
- 少子高齢化で国内の保険市場が縮み、保険商品を売り続けるだけでは成長の天井が見えていた。第一生命は中期経営計画で「保険業から保険サービス業への進化」を掲げ、非保険領域での事業スケール獲得を狙っており、約950万人の会員を持つ福利厚生代行はその旗艦の標的であった。
- 内容
- 2023年11月にエムスリーが1,600円でTOBを開始。第一生命は同年12月に対抗する買収提案を公表し、価格を2,173円へ引き上げた。約51%を握る親会社パソナグループが高値を選び、2024年3月にTOB成立、5月に完全子会社化。エムスリーのTOBは不成立に終わった。
- 含意
- 日本の大企業が既に進行中のTOBへ正面から対抗するのは異例で、TOB市場が新たな局面に入ったと受け止められた。相互会社から出発した生保が非保険サービスへ本格的に踏み込む、ポートフォリオ改革の象徴でもある。
TOB市場の新局面と、生保のポートフォリオ改革
第一生命によるベネフィット・ワンの買収が異例だったのは、価格の高さそのものよりも、日本の大企業がすでに進行しているTOBに正面から対抗した点にある。相手の同意なく対抗提案に踏み込むことを「お行儀が悪い」と避けてきた市場慣行のなかで、第一生命は約3週間で対抗の意思を固め、価格を積み増して争奪戦を制した。ブルームバーグが「日本のTOB市場は新たな局面に」と評したように、この案件は、対抗提案が絵空事ではなく現実的な選択肢となったことを市場に印象づけた。過半数を握る親会社が高値を選んだ結果、少数株主にも厚いプレミアムが及んだ点も、これまでの親子上場の解消とは異なる後味を残したといえる。
もっとも、この買収の本質は攻防の派手さではなく、生命保険会社のポートフォリオ改革にある。少子高齢化で国内の保険市場が縮むなか、第一生命は保険を売るだけの会社から、顧客接点とキャッシュフローを保険の外にも広げる会社へと軸足を移そうとしてきた。福利厚生代行という約950万人の会員基盤は、その転換を象徴する資産である。相互会社として相互扶助から出発した企業が、株式会社化・海外買収・持株会社化に続く一手として、非保険サービスへ本格的に踏み込んだ——ベネフィット・ワンの買収は、日本の生保が成熟した国内保険モデルの先に何を描くのかという問いを、鮮明に映し出した案件であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
保険業から保険サービス業へ——縮む国内市場
第一生命ホールディングスによるベネフィット・ワンの買収は、少子高齢化で縮む国内保険市場を背景に構想された。死亡保障や医療保険を主戦場としてきた生命保険は、人口減少のもとで新規契約の伸びが鈍り、保険商品を売り続けるだけでは成長の天井が見えていた。第一生命は中期経営計画で「保険業から保険サービス業への進化」を掲げ、デジタルを活用した新規エコシステムの構築と、非保険領域における事業スケールの獲得を国内事業戦略の柱に据えていた[1]。菊田徹也社長のもとで進む非保険領域への拡張のなかで、福利厚生代行という新たな顧客接点は、その延長線上に位置づけられる標的であった。
売り手パソナと福利厚生代行最大手ベネワン
標的となったベネフィット・ワンは、企業の福利厚生を代行する国内最大手である。約950万人の会員を抱え、契約企業の従業員に旅行・レジャーや健康支援などのサービスを一括で提供する法人向けの基盤を持っていた[2]。同社の株式は、人材派遣のパソナグループが過半数を保有する親会社であり、東証プライムに上場する親子上場の関係にあった。パソナは中核の人材事業への集中を進める過程で、成長を続ける福利厚生子会社の扱いを検討しており、その株式は市場の関心を集める資産となっていた。第一生命にとっては、約950万人の会員基盤と自社の販売網を結びつければ、法人接点を一気に広げられる相手であった。
決断
争奪戦の口火——エムスリーの先行TOB
争奪戦の口火を切ったのは、第一生命ではなくエムスリーであった。医療情報サービスを手がけるエムスリーは2023年11月15日、ベネフィット・ワン株式の過半数取得をめざし、1株1,600円で公開買付けを開始した[3]。医師向けプラットフォームを持つエムスリーにとって、ベネフィット・ワンの会員基盤は健康支援や予防事業を広げる足がかりになる。親会社のパソナグループはこのTOBに応募する契約を結んでいたが、その契約には、より高い価格での対抗提案があった場合には応じることができるという条項が含まれていた[4]。過半数を握る親会社が売却に前向きであったことが、後にこの案件を異例の争奪戦へと発展させる伏線となった。
第一生命の異例の対抗——2,173円への引き上げと二段階買収
第一生命の動きは速かった。エムスリーのTOB開始からわずか3週間後の2023年12月7日、第一生命ホールディングスはベネフィット・ワンの完全子会社化をめざす買収提案を公表し、対抗の意思を鮮明にした[5]。日本では大企業が相手先の同意を得ないまま対抗的に買収を提案するのは異例とされてきたが、第一生命は当初1株1,800円を前提とする価格を示し、12月には2,123円、最終的には2,173円へと買付価格を引き上げていく[6]。エムスリーの提示した1,600円を大きく上回る水準であり、縮む国内保険市場への危機感が、同社を異例の対抗へと踏み切らせた。
軍配を決めたのは、過半数を握る親会社パソナグループの選択であった。2024年2月8日、パソナとベネフィット・ワンは第一生命による買収に合意し、ベネフィット・ワンの取締役会は第一生命の公開買付けに賛同する意見を表明した[7]。第一生命は翌9日から1株2,173円で公開買付けを開始する。もっとも、51.16%を握るパソナはこの公開買付けには応募せず、ベネフィット・ワンによる自己株式取得に応じて保有株を売却する段取りとされた[8]。TOBで少数株主から株式を買い集めたうえで、親会社の持ち分を自己株取得で処理する二段階の買収スキームが組まれたのである。
結果
TOB成立とエムスリーの撤退
公開買付けは成立した。2024年3月12日、第一生命ホールディングスはベネフィット・ワンへのTOBが成立したと発表した。応募は買付対象の約77%に達し、発行済株式総数に占める割合は37.41%と、成立の条件とした下限15.44%を大きく上回った[9]。一方、先行していたエムスリーの1,600円のTOBは、より高い価格を示した第一生命に応募が流れ、買付予定数の下限に届かず不成立に終わった。エムスリーは2024年3月1日にTOBの不成立を発表しており、約3か月半に及んだ争奪戦は、後から参入した第一生命に軍配が上がった[10]。医師向けプラットフォームでベネフィット・ワンの会員基盤を取り込む構想は、価格競争の前に潰えた。
完全子会社化と約2,920億円
TOBの成立後、第一生命は残る株式の取得を進めた。親会社パソナが保有する51.16%分は、ベネフィット・ワンによる自己株式取得で処理され、さらに株式併合によって少数株主の株式を金銭で買い取るスクイーズアウトが行われた。この二段階の手続きを経て、2024年5月、第一生命ホールディングスはベネフィット・ワンを完全子会社化した[11]。買収に投じた総額は約2,920億円にのぼり、その内訳は公開買付けに約1,681億円、パソナ持ち分などの自己株式取得に約1,239億円であった[12]。ベネフィット・ワンは上場を廃止し、第一生命グループの一員として、保険にとどまらない事業ポートフォリオの一角を担うことになった。
- 日本経済新聞 2023年12月7日「第一生命、ベネフィット・ワンに買収提案 エムスリーに対抗TOB」
- 日本経済新聞 2023年12月7日「第一生命、なぜベネフィット・ワンにTOB?エムスリーに異例の対抗」
- 日本経済新聞 2024年3月1日「エムスリー、ベネワンTOB不成立 第一生命対抗で」
- 日経ビジネス 2024年2月9日「ベネフィット・ワン争奪戦 満額回答示した第一生命が勝利」
- Bloomberg 2024年3月12日「時計の針進めた第一生命Hの対抗案、日本のTOB市場は新たな局面に」
- ビジネス+IT「第一生命HD『ベネフィット・ワン買収』の意味は?」(2024年2月21日, SBクリエイティブ)
- マールオンライン(M&A専門誌マール2024年11月号)「第一生命HD、ベネワン対抗TOB成功の舞台裏」
- 株式会社ベネフィット・ワン 2024年2月8日「第一生命ホールディングス株式会社による当社株式(証券コード2412)に対する公開買付けに関する意見表明のお知らせ」
- 第一生命ホールディングス株式会社 2024年2月8日「株式会社ベネフィット・ワン株式(証券コード2412)に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」
- 第一生命ホールディングス株式会社 2024年3月12日「株式会社ベネフィット・ワン株式(証券コード2412)に対する公開買付けの結果に関するお知らせ」
- 第一生命ホールディングス 有価証券報告書【沿革】