日興コーディアル証券の買収——金融危機のシティから証券リテールを取り込む

2009年実施

みずから純損失を抱えた三井住友は、なぜ危機のシティに5450億円を投じ、手薄な個人向け証券を丸ごと取りにいったのか

時期 2009年5月
意思決定者 奥正之(会長)
論点 証券ビジネスの強化と銀証融合
概要
2009年5月、三井住友フィナンシャルグループは経営難のシティグループから日興コーディアル証券の全事業と日興シティグループ証券の大半を5450億円で取得すると発表し、同年10月に三井住友銀行の完全子会社とした経営判断。金融危機で放出された大手証券のリテール基盤を取り込み、手薄だった個人向け証券を一気に補った。
背景
シティは2008年の巨額損失で公的資金を受け、2009年1月の事業再編で日興を含む非中核事業の売却を決めた。買い手の三井住友は自前の個人向け証券を持たず、証券業務を大和証券との合弁・大和証券SMBCに委ねていた。
内容
三菱UFJ・みずほとの争奪を制し、5450億円で落札。旧日興コーディアル証券の全事業と日興シティグループ証券の一部を新設会社が承継し、三井住友銀行の完全子会社とした。承継は引受人員が中心で、法人業務は一から立て直した。2011年4月にSMBC日興証券へ改称。
含意
純損失3734億円を出した年度の直後という逆風で、危機に売られた優良証券を取りにいった判断。買収は10年続いた大和証券との合弁解消を招き、三井住友は証券を自前で持つ道へ移った。高い取得価格と、人材・顧客の流出という代償も伴った。
筆者の見解

危機を値切りの好機と見た一手

この買収の芯にあるのは、危機を値切りの好機と見た判断である。優良な証券会社が平時に売りに出ることはまれで、シティが金融危機で日本の稼ぎ頭を手放したからこそ、三井住友は自前で欠いていた個人向け証券を丸ごと得られた。純損失を出した直後という自らの傷を承知のうえで、めったに来ない売り物を取りにいった。守りに徹する選択肢もあったなかで、攻めを選んだところに、この決断の性格がうかがえる。

ただし、危機の買い物には値札以上の代償がついた。相場より高い価格に加え、身売りで痛んだ人材と顧客をどうつなぎ留めるか、法人業務をどう立て直すかという重い課題が残った。銀証融合という狙いが数字に表れるまでには年月を要し、大和との訣別も新たな負担を伴った。それでもSMBC日興証券は三井住友の証券部門の中核へ育ち、危機のさなかに大手証券を丸ごと取り込んだこの一手は、のちのグループの姿を形づくる分かれ目となった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

シティが手放した危機の証券

旧日興證券を母体とする日興コーディアルグループは、2006年に発覚した不適切な会計処理で信用を落とし、2007年から米シティグループの傘下に入った。そのなかで個人向けを担っていたのが日興コーディアル証券である。ところが、迎え入れた側のシティ自身が金融危機に呑まれた。2008年に巨額の損失を出して米政府の公的資金を受け、翌2009年には中核事業と非中核事業を切り分ける再編に入る。危機のさなか、シティは手にして間もない日本の証券会社を売りに出した[1][2]

証券が手薄だった三井住友

買い手の三井住友は、三大金融グループのなかで自前の個人向け証券をほとんど持たなかった。証券業務の中心は、大和証券と組んだ合弁の大和証券SMBCで、出資は大和が六割、三井住友が四割。法人向けの引受や助言をこの会社に委ねる形で、銀行と証券をつなぐ事業では三菱UFJやみずほに後れを取っていた。全国に店舗網を張る個人向け証券を自前で抱えることは、三井住友にとって長年の願いであった[3]

決断

三メガの争奪を制した5450億円

シティが売りに動くと、三大金融グループが日興を奪い合った。競り合いを制したのは三井住友で、2009年5月1日、5450億円で取得することにシティと合意したと発表する。対象は旧日興コーディアル証券の全事業と、法人向けの日興シティグループ証券の大半。これらを新設した会社に引き継がせ、三井住友銀行の完全子会社とする組み立てであった。日興の看板と全国の個人顧客を、まとめて手中に収める買収であった[4][5]

純損失のさなかの決断

決断は、三井住友自身が痛手を負ったさなかに下された。買収を発表する直前の2009年3月期、リーマンショックの直撃で連結の最終損益は3734億円の赤字に沈んでいた。手元に傷を抱えながら、危機で投げ売りされる大手証券を取りにいく——攻めと守りを同時に迫られる判断であった。主導したのは奥正之会長で、三井住友銀行の頭取を兼ね、グループの最高経営者として案件を束ねた。買収の実務は、完全子会社となる三井住友銀行が担った[6][7]

もっとも、手にしたのは完成した組織ではなかった。承継したのは株式・債券の引受を担う人員と投資銀行の顧客担当が中心で、機関投資家向けの営業やトレーディング、リサーチは対象から外れていた。三井住友がねらったのは、日興の看板と個人顧客を土台に、銀行と証券を組み合わせる銀証融合を進めることにある。欠けた機能はシティグループ証券との業務提携で補いつつ、法人向けの証券業務を一から立て直す道を選んだ[8]

結果

高値の代償と、大和との訣別

買収の値付けには、当初から高すぎるという声が上がった。純資産や株価純資産倍率から見積もれば日興の値は3000億円ほどで、5450億円は割高だという指摘である。しかも身売りの過程で日興は傷んでいた。上場を控える顧客企業は離れ、この一年で人員の一割が抜けていた。証券会社の値打ちは人と顧客にこそあるとすれば、その両方が損なわれた会社を高値で買った格好であった[9]

買収はもう一つの関係も断ち切った。日興という自前の証券会社を得た三井住友は、大和証券SMBCの主導権を握ろうとして大和と対立し、10年続いた合弁を解いた。三井住友は保有する四割の持ち分を手放し、全事業を大和側へ渡す。証券を他社と分け合う立場から、自前で持つ立場へと移った。取り込んだ日興コーディアル証券は法人業務の再建に時間を要したものの、2011年4月にSMBC日興証券へ改称し、銀証融合の柱へ育っていく[10][11]

出典・参考