NTTコミュニケーションズの設立と国際通信への進出
完全民営の子会社で国際へ——IDC買収を見送り、宮津純一郎社長はなぜ自前路線を選んだか
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- 概要
- 1999年7月1日、持株会社体制へ移行したNTTが、長距離・国際通信を担う完全民営のNTTコミュニケーションズを発足させ、国際通信事業へ本格進出した経営判断。同時期、国際デジタル通信(IDC)の買収をめぐる騒動の末に、他社の資産を取り込まず自前の国際基盤で進む道を選んだ。
- 背景
- 14年に及ぶ分離・分割論議と1997年のNTT法改正(純粋持株会社の解禁)を経て、1999年7月にNTTは持株会社体制へ移行した。長距離・国際は、NTT法の縛りを解かれた完全民営会社NTTコミュニケーションズが担った。
- 内容
- NTTは当初、業務提携先IDCの買収を約300億円と見込み株式総額312億円で打診したが、自前でグローバルATMサービスや国際光ファイバー網を整えるうちに社内で「IDCは要らない」との声が強まった。最終的にIDCは英ケーブル・アンド・ワイアレス(C&W)が株式総額690億円で買収し、NTTは自前路線を選んだ。
- 含意
- 営業・料金業務を東西地域会社へ委託して高効率を実現した点や、規制外の完全民営会社を独占の残る東西会社と同じ持株傘下に置いた二重の体質は、発足直後から公正競争上の懸念を招き、独占禁止法による監視の強化が求められた。
自前で築くという選好と、残された緊張
NTTコミュニケーションズの発足は、国内の電話会社であったNTTが、長距離・国際とデータ通信という新しい領域に踏み込む出発点であった。IDCという既存の国際事業者を取り込むのではなく、自前の光ファイバー網とデータ基盤で進む道を選んだ点に、この判断の性格が表れている。買収騒動が「出来レース」と評された経緯を割り引いても、他社の資産を買うより自力で基盤を築くという選好は、後年のグローバル展開にも通じていたとみることができる。
同時にこの発足は、規制の外に置かれた完全民営会社を、独占の残る東西会社と同じ持株傘下に抱えるという構造上の緊張を初めて可視化した。効率の高さが独占事業との一体運営に支えられているのなら、公正競争の確保は器を分けただけでは完結しない。国際・データへ攻めるNTTと、市内通信を握るNTTという二つの顔をどう両立させるかという問いは、その後のグループ再編やNTT法をめぐる議論にも引き継がれていったとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
分離・分割論議の決着と持株会社体制
日本電信電話(NTT)は1985年の民営化以降、市内通信の独占をめぐって分離・分割の是非が繰り返し議論されてきた。1997年のNTT法改正で純粋持株会社を頂点とするグループ再編が認められ、1999年7月1日、NTTは持株会社の下に、地域通信の東日本・西日本と、長距離・国際通信のNTTコミュニケーションズを置く体制へ移行した。14年に及ぶ論議の末の再編成であった[1]。
新体制の中でも、長距離・国際を担うNTTコミュニケーションズは特異な位置にあった。同社はNTT法の縛りを解かれた完全民営会社として発足し、規制を受ける東西の地域会社とは性格を異にした。国際通信への進出にあたり、NTTは1998年10月にグローバルATMサービス、同12月に国際デジタル専用サービスを子会社のNTT国際ネットワーク経由で始め、米中を結ぶ高速光ファイバー網にも参加するなど、再編に先立って自前の国際基盤を築き始めていた[2][3]。
決断
完全民営会社としてのNTTコミュニケーションズ
1999年7月1日に発足したNTTコミュニケーションズは、長距離・国際通信とデータ通信を担う完全民営会社として、東西地域会社とは異なる自由度を与えられた。発足時点の効率は際立ち、従業員一人当たり売上高は2億円、総資産回転率は1.3回に達した。一人当たり0.4億円・0.5回だった旧NTTはもとより、同業のDDI(0.8億円・0.7回)や日本テレコム(0.9億円・0.6回)をも上回る数字で、競争の出発点から新電電各社に差をつけていた[4]。
もっとも、この高効率には仕掛けがあった。営業窓口や料金請求・収納、電話の移転・設置といった人手のかかる業務を東西の地域会社へ委託することで、NTTコミュニケーションズは人員を極端にスリム化できた。新電電関係者からは、20名ほどの営業マンで1兆3000億円を売り上げているのではないか、との揶揄も出た。効率の高さは、独占的な東西会社と一体で運営される構造に支えられていた[5]。
IDC買収騒動と自前路線の選択
国際基盤の確保をめぐり、NTTは当初、業務提携先の国際デジタル通信(IDC)の買収を検討した。宮津純一郎社長によれば、1998年8月に長距離国際部門から買収案が出て、300億円ほどで取得できると見込み、同年8月末に株式総額312億円で非公式に打診した。ところが自前でグローバルATMサービスや国際光ファイバー網を整えるうちに、NTT社内には国際通信は自前でやりたい、IDCは要らない、との声が強まった[6]。
NTTが腰を引く一方で、IDC筆頭株主の伊藤忠商事とトヨタ自動車は引かず、争奪は英ケーブル・アンド・ワイアレス(C&W)への高値売却へと向かった。C&Wは624億円を提示し、最終的に株式総額690億円で買収、伊藤忠とトヨタには各約122億円の現金が入った。宮津純一郎社長は「IDCを買収しなかった影響は全くない」と語り、同じ資金なら東南アジアの通信事業者へ資本参加した方がよいと述べた。この一連の経緯は「出来レース」との批判を招いた[7]。
結果
公正競争と二重の体質という問い
完全民営のNTTコミュニケーションズを、独占の残る東西会社と同じ持株会社の傘下に置いた構造は、発足直後から公正競争上の懸念を呼んだ。とりわけ、NTTコミュニケーションズが東西会社へ支払う業務委託費は、その増減次第で両者の利益補填の温床になりかねないと指摘された。東西会社が握る全国6000万件の顧客情報が国際・長距離側へ漏れる恐れも取り沙汰され、独占禁止法による監視の強化が求められた[8]。
NTTコミュニケーションズの視線は、回線を売るだけの事業にとどまらなかった。同社は単なる回線屋からコンピュータとネットワークに絡んだソリューション企業への移行を狙うとされ、発足時点でソリューション事業部に営業370名・技術系790名を抱えた。宮津純一郎社長も再編後に矢継ぎ早に新しい国際戦略を打ち出すとし、コンピュータベンダーとの提携を意識すると語った。市内通信の独占がシステム構築や放送の領域へ及ぶ懸念も残された[9][10]。
- 週刊東洋経済 1999年7月10日号「宮津NTT社長が語る『IDC買収騒動』」
- 週刊東洋経済 1999年7月17日号「『新NTT』監視へ公取の出番」
- 日本電信電話 有価証券報告書(2000年3月期・連結)