地域別子会社による分散立地——観光地ごとに別法人で地元銘菓を持つ稼ぎ方の原型
鳥取の飴菓子メーカーは、なぜ統一ブランドの全国出荷ではなく、各地に別会社を並べる道を選んだか
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- 概要
- 1972年の北陸寿設立を皮切りに、寿製菓(現・寿スピリッツ)は各地の観光地ごとに別法人を立て、その土地の銘菓を製造販売する分散立地を全国へ広げた。売られる場所の側に会社を分けて置くこの構造が、のちのケイシイシイやシュクレイの土台となり、寿スピリッツ固有の稼ぎ方の原型となった。1970〜90年代を通じて固まった面的な戦略である。
- 背景
- 1952年に鳥取県米子市で飴菓子の家業として創業。山陰地方の土産菓子から出発したが地元市場は狭く、創業期から出荷先を県外の観光地に求める必要を抱えた。本社工場から統一ブランドを全国へ送り出す通例とは逆に、土産が買われる売場の側へ近づいていった。
- 内容
- 1972年の北陸寿を皮切りに、宮崎・神戸・下呂・鳥羽・但馬・倉敷・奈良・名古屋・京都と、80年代後半から90年代初頭にかけて温泉地・観光地ごとに地域子会社をほぼ毎年のように設立した。2006年には純粋持株会社へ移り、会社はこの体制を「地域事業会社の連合体」と自ら位置づけた。
- 含意
- 観光地の売場を地元法人で押さえる型は、北海道のケイシイシイ、首都圏のシュクレイへと延び、コロナ後に営業利益率24%超の高収益へ結実した。地元市場の狭さを逆手に取った分散が、全国最大規模の土産菓子グループの背骨となったとみることができる。
売場の側に会社を分けるという選択
この判断の核にあるのは、統一ブランドを全国に配るのではなく、売られる場所の側に会社を分けて置く、という選び方であった。地元市場の狭さから県外へ出荷先を求めた地方メーカーが、観光地・駅・空港という最終接点ごとに地元法人を並べ、その土地の銘菓を掲げていく。効率だけを見れば重複の多い分散だが、売場を握ることを最優先した構えが、観光需要の追い風のなかで固有の強さに転じたとみることができる。
もっとも、売場に寄り添う構造は、人が動かなければ回らない弱さと表裏でもある。コロナ下で全セグメントが沈んだのは、観光動線に売場を集めていたがゆえであり、回復後に最も高く伸びたのも同じ理由による。1972年に始まった分散立地は、北海道へ、首都圏へと器を替えながら半世紀を生き延びた。地元の狭さから生まれた型が次の人流の変化にどこまで耐えるかは、この先も問われていくとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
狭い地元市場と、観光地の売場という着眼
寿製菓は1952年4月、鳥取県米子市で飴菓子の製造として始まった。当初は山陰地方の土産用菓子を卸に納める家業で、地元だけを相手にする限り伸び代は乏しかった。1959年には観光土産菓子部門へ進み、1968年に銘菓「因幡の白うさぎ」を出して観光土産の高級化に取り組んだ。地元の卸に納めるだけでなく、旅行者が土産として買う菓子へ主力を移していった[1][2]。
出荷先を県外へ広げる必要は、創業期から構造的にあった。1975年、寿製菓はそれまで社内に置いていた鳥取・松江・米子の営業拠点を別法人の寿販売として切り出し、同年に山口へコトブキ屋を設立して山陰から山口へ販路を伸ばした。全国の菓子メーカーの通例が本社工場から統一ブランドを全国へ出荷する形であるのに対し、寿製菓は土産が売られる観光地の売場の側に立ち、そこへ会社を近づけていく道を選んだ[3]。
決断
1972年北陸寿から始まった連鎖
分散立地が始まったのは、1972年4月の北陸寿であった。寿製菓は石川県加賀市に株式会社コトブキ(旧・北陸寿)を設立し、加賀温泉の土産菓子需要を地元法人で取りにいった。本社から製品を送り込むのではなく、その土地に会社を構えて地域の銘菓を製造販売する流儀が、ここから型として定着していく。以後は西日本を中心に販売子会社を順次立て、全国へ販売網を広げていった[4][5]。
1980年代に入ると、地域子会社の設立は加速した。1980年に宮崎と神戸、1982年に岐阜・下呂と三重・鳥羽、1987年に兵庫・但馬と岡山・倉敷、1988年に奈良、1989年に名古屋、1990年に京都と、温泉地や観光地ごとに製造販売の地域子会社をほぼ毎年のように並べた。各社はその土地の銘菓ブランドを掲げ、観光地の土産物店・駅・空港の売場という最終接点に地元法人で入り込む布陣を、十数年かけて全国へ敷いていった[6]。
地域事業会社の連合体という構造
この組み立ては、一般的な菓子メーカーとは逆であった。本社工場で統一ブランドを量産して全国へ配るのではなく、各地の銘菓を土地ごとの別会社で持つ。消費者の最終接点である売場の側に会社を分けて置く構造は、80年代の段階で持株会社的な体制へ接近していた。1993年には米子の淀江工場に和風城郭を模した『お菓子の壽城』を併設し、作る場所を見せて売る直販も型に加えた[7]。
別会社で束ねる集団の実態は、2006年に器として整った。同年10月、寿製菓は純粋持株会社へ移り商号を寿スピリッツに改め、地域ごとの銘菓ブランドを傘下に並べる立ち位置へ切り替えた。会社自身はこの体制を「地域事業会社の連合体」と呼び、北海道から沖縄に至る全国を網羅した販売と製造の一貫体制と説明する。地元法人を足し合わせて全国の土産市場をすくう構造が、法人格の上でも明確になった[8][9]。
結果
型の延長——北海道、そして首都圏へ
分散立地は近隣の観光地にとどまらなかった。1996年、寿製菓は陸路で結ばれない北海道へ跳び、千歳にケイシイシイ(旧・コトブキチョコレートカンパニー)を設立し、1998年には小樽の運河沿いに洋菓子の直営店ルタオを構えた。地域別に別法人を立てる型に、遠隔地と洋菓子・直営観光店舗という新領域を接いだ動きで、のちにルタオは主力ブランドの一角へ育った[10]。
2011年には、この型を地縁のない最大市場である首都圏へ持ち込んだ。東京都港区に別会社シュクレイを立て、東京駅や空港の売場ごとに限定ブランドを並べる手土産事業を築く。売場の側から会社を分けるという1972年以来の流儀を、人流の集まる一等地でそのまま純化させた展開である。地域子会社の連鎖として始まった構造が、遠隔地と大都市へ延び広がっていった[11]。
高収益の土台として
売場の側に会社を並べた構造は、観光需要が戻ると厚い収益に変わった。コロナ前の2020年3月期に売上451.8億円・営業利益64.5億円だった連結業績は、インバウンドと国内旅行の回復を受けて2025年3月期に売上723.5億円・営業利益176.1億円へ伸び、営業利益率は14.3%から24.3%へ上がった。全国の観光動線に売場を握る事業構造が、回復後にむしろ高い利益を生むことを示している[12]。
連合体の稼ぎ頭も、この半世紀で移った。地域別セグメントの売上構成は、2015年3月期に北海道のケイシイシイが32%、創業地の寿製菓・但馬寿が23%を占めていたのに対し、2025年3月期には首都圏のシュクレイが41%で最大となり、ケイシイシイ29%、寿製菓・但馬寿14%と続く。2016年の時点で寿スピリッツは製造子会社6社・販売子会社11社を全国に抱えており、鳥取の一工場から県外へ会社を分けて始めた稼ぎ方が、各地の売場を押さえる連合体として全国最大規模の土産菓子グループを形づくった[13][14]。
- 寿スピリッツ 有価証券報告書【沿革】
- 寿スピリッツ 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
- 寿スピリッツ 有価証券報告書(連結)
- 寿スピリッツ 有価証券報告書(連結・セグメント情報)
- 寿スピリッツ 2024年3月期 第2四半期決算説明会 質疑応答
- 日本経済新聞(2016年10月12日)「全国の土産菓子 仕掛けたのは鳥取企業」